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化学 高校生

(3)、解法の最後の アンモニアの物質量≒15mol までは分かるんですけど、求めるのはモル濃度なのになんでそれがそのまま答えになるんですか、?Lで割らなくていいんですか?🙇🏻‍♀️

o 例題22 溶液の濃度 96 次の各問いに答えよ。 原子量 H=1.0,C=12, N=14,0=16 (1) 尿素 (NH2)2CO3.0gを水に溶かし、全量を0.50Lとした。 この水溶液のモル 濃度を求めよ。 (2)12mol/Lの塩酸を水でうすめて、2.0mol/Lの塩酸 300mLをつくるには, 2 mol/Lの塩酸が何mL必要か求めよ。 (3) 質量パーセント濃度 28% 密度 0.90g/mLのアンモニア NHg 水溶液 (アンモ シニア水) がある。 この水溶液のモル濃度を求めよ。 KeyPoint 単位に着目して計算式や換算の方法を考えるとよい。 ●)センサー ●モル濃度 [mol/L] 溶質の物質量[mol] 溶液の体積[L] 1000mL 28% 解法(1) 尿素の分子量=14×2+1.0×4+12+16=60 3.0g 60g/mol =0.10mol/L 0.50 L (2) 必要な体積をV[L] とすると, 溶質の物質量は変化しない ので, 12mol/LXV [L] = 2.0mol/L× 300 1000 アンモニアの質量=9.0×102g× アンモニアの物質量= = -L V=0.050L (3) 溶液1L (1000mL) 当たりで考える。 アンモニア水の質量 = 0.90g/mL×1000mL=9.0×102g この中に28%のアンモニアを含むので よって 50mL ■解答 また, アンモニアの分子量は NH² = 17 なので, 100 28 -= 2.52×102g 100 2.52×102g = 14.8mol = 15mol 17g/mol (1) 0.10 mol/L (2) 50 mL (3) 15 mol/L S 5 原子量分子量 式量と物質量 .

解決済み 回答数: 1
生物 高校生

体液濃度の調節の範囲です(みすず生物Unit1①P.78) 問2が分かりません。 答えは5だそうです。 毒性がアンモニアよりも弱いことは分かりますが、水に溶けにくい、溶けやすいの部分がわからないです。 どうして答えが5になるのかわかる方がいたら教えてください!よろしくお願い... 続きを読む

問題1】体液濃度の調節 (2021 明星大学) 体液濃度の調節に関する次の文章を読み、以下の問い(問1~5)に答えよ。 食物の三大栄養素のうち、炭水化物や脂質は体内で分解されると最終的に二酸化炭素と水 になるが,(ア)は成分元素として窒素を含むため、窒素化合物が生じる。窒素化合物の うち,毒性の強い(イ)は水溶性で, 硬骨魚類ではそのまま水中に排出する。一方,陸上 生活をする哺乳類や両生類の多くは(ウ)として,鳥類や昆虫類の多くは(エ )として 排出する。 水生生物の中で,タイやマグロなどの海水中で生活する硬骨魚類では,体液の塩類濃度は 海水より(オ)く,( カ傾向にある。そのため体液の塩類濃度を保つために(キ)。 7 問1 文章中の(ア)~ (エ)に入る語として最も適当なものを、次の①~⑨ からそれぞれ1つず つ選べ。 ① 糖質 4 //// 予習/授業/復習 1/復習2/復習 3 ビタミン アンモニア ② コレステロール 5 塩素 8 尿酸 (DOR-HOR BADA (3) タンパク質 タン (6) 尿素 (9) 乳酸 問2 下線部aは体重を軽くしたり卵の中の溶液の濃度を保ったりするのに有益な代謝であ る。 (エ)の性質に関する説明として最も適当なものを、次の①~⑥から1つ選べ。 ① 毒性がアンモニアよりも強く, 水に溶けにくい。 ② 毒性がアンモニアよりも強く, 水に溶けやすい。 ③ 毒性がアンモニアと同程度に強く、水に溶けにくい。 ④ 毒性がアンモニアと同程度に強く、水に溶けやすい。 毒性がアンモニアよりも弱く、水に溶けにくい。 ⑥ 毒性がアンモニアよりも弱く, 水に溶けやすい。

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日本史 高校生

室町時代の社会と経済活動について、本文をもとに、農業の発達にはじまり、それが何の発達につながっていったのか、その連鎖の過程が分かるように、160字程度でまとめなさい。(教科書P.106~107参照) 教えてほしいです。お願いします。

106 村や都市の住人たちは、どの ようにして生活を成り立たせて いたのか、考えてみよう。 水 石山寺蔵) 水車を設けて川から田に水を引いて いる。 WA M AMA GR TW SES MAMMAS A ③肥料やり (本)」,国立歴史民俗博物館に をまいている。 IS世紀末には、朝鮮から伝わっ 木綿の栽培が東海地方で始ま り、一般の衣服の生地として使 われ、のちには布やとし ても重宝された。 日本の鋼生産は15世紀初めに復 調して海外への主要な輸出品と り 15世紀末ごろには金鉱の 開発が始まった。 16世紀前半に は朝鮮からの技術移転により、 石見銀山などでの生産が本格 【化した [p.124]。 市では主から営業を許された 市座が設けられ、 その地の領主 に税をおさめる契約をした商人 のみに、営業が認められた。 3 室町時代の社会と経済活動 ②田植えの風景(背菜風俗 東京国立博物館蔵) 村ごとに、農民がそろって田植えを 行うようになった。 第2編 中世の日本と世界 室町時代は寒冷な気候の時期が多く、 15世紀にはし ばしば深刻な凶作や飢饉にみまわれた。 そのため、 なかで おくて 稲作では、各地の気候にあわせて早稲中稲 晩稲の品種が栽培され、竿 ばつや虫害に強い東南アジア原産の米(大唐米) も導入された。西日本で だいとうまい 農業・産業の 発達 は、米・麦・そば・野菜などの三毛作が登場し、庶民の食事を豊かにし かりそうもくばい しもごえじんぶんにょう さん いりあい た。 肥料として刈敷や草木灰が一般化し、 下肥(人糞尿)も使われ始めた。 しかし、人々が共同利用していた山野 河海などの入会地では、伐採や 用水をめぐる争いもめずらしくなく, 共通の利害を持つ人々は個々の社 園をこえて地域ごとに団結して協定を結ぶこともあった。 また, 手工業 の原料として、暴・・鮭・住胡麻・麻などの栽培もさかんになった。 漁業を専門とする集団が生まれ, 揚浜式の製塩業も普及した。 15世紀 前期には、 明や朝鮮に対する輸出品として銅の需要が増えたため、新し あげはま じゅよう い鉱山が数多く開発された。 にしじん はかな とうき 京の西陣や博多の絹織物をはじめ, 麻織物 綿織物 陶器・紙・酒・ 油などの生産が進み, 刀や農具をつくる鍛冶や鋳物業などの手工業もさ かんになった。 特に15世紀後期には、大きな窯の開発に成功した備前・ びんぜん から とこなめ 越前・瀬戸・常滑などで壺や腕などの陶器が大量に焼かれ、全国 信 に出荷された。 商業・流通の 発展 産業の発達につれて商業や流通もさかんになった。 ろくさいいち 市の開催日も増え、仁の乱後には月6回の六斎市 p.110 が一般化した。都市では常設の小売店 (見世物)が増加し、特定の商品だ けをあつかう専門の市場も生まれた。公家や寺社を所とする商工業者 の座も種類や数が増加し,一定地域内での仕入れ・販売の独占権や、領 内での関鈍免除の特権などを本所からあたえられた。 p101 産業や商品流通の発達とともに, 貨幣の流通もさかんになった。13世 せんのう だいせんのう 紀末から, 荘園では年貢の銭納化 (代銭納) が進み, 年貢にかわる銭をえ るために荘園の市場で作物が売却された。 逆に荘園領主は,納入された ばいきゃく たんせん むなべつせん きか によって、必要な商品を市場で購入できた。 また, 段銭棟別銭, 茜 土倉役など、銭納の税も一般化した。 ただし、宋銭や明銭などの渡来銭はつねに不足し、長期の使用による 破損もはげしかったため, 中国福建や日本各地で模鋳された銭が れつあく えりに 利用され始めた。 もっとも,それらの多くは劣悪な銭で, 撰銭 ( 銭の選 だいみょう。 6 別の対象となったので、 商取引が渋滞した。 そこで幕府や戦国大名は, くりかえし撰銭令を出して混乱をおさめようとしたが, 劇的な効果は望 めなかった。 また, そもそも銅銭は重くて運びにくく、 価値も一定しな かわし さいふ かもと やましろ いたくはんぱい。 かったので、為替や割符を用いた代銭納が好まれるようになった。 商品の輸送がさかんになるにつれて, 交通網も発達した。 近江国の大 津・坂本, 山城国の鳥羽・淀など交通の要地で, 馬借など運送業者が活 躍した。 物資の保管や委託販売を業務とする問(問丸) は, 馬借を支配し、 卸売り・運送や商人宿をいとなむ問屋に発展した。 幕府や公家・寺社は, 収入を増やすために多くの関所を設け、 商売物に税(関銭や津料)をかけ ることもあった。 といいま とい せきしょ ⑤機織り 喜多院蔵) 綿布は、 初 , めは朝鮮や中国から輸入されたが, 15世紀末に は、三河地方で綿花が栽培され、 綿織物業も各地 で発達するようになった。 うたあわせ ⑥ 大鋸引き(「三十二番職人歌合』 サン トリー美術館蔵) 大鋸は二人がかり で引く銀であり, 明から伝わったと される。 16世紀の室町通商店街のにぎわ い (「洛中洛外図屏風(上杉本)」 米沢市上杉 博物館蔵) 室町通りは南北に走る. 商家が建ちならぶ目抜き通り。 中央 に都で有名な烏帽子屋がある。 近郷 からの出稼ぎ農民が、 商家の屋根を ふきかえている。 西日本の10余か国に対明用の油 の専 MASTES NUE 油座は, 属し, 石清水八幡宮を本所とし た。 海路や陸路を通じて運ばれ た原料(荏胡麻) から灯油をつく り, 京都の公家や寺社, 各地の 問屋などに販売した。 流通貨幣(一文銭)の種類を限定 したり、 銭貨間の交換比率を定 めたりした。 ⑥ その結果, 銭の現物そのものは 現地に滞留し、しだいに各地で 流通の基準となる特定の銭が選 | 好されていった。 たとえば, 関 丸いらくつうほう 東では永楽通宝、九州では洪武 ■通宝が高い評価をえた。 ① FOLL 3 8t 第3章 ⑦ 明銭と造 明銭の① 洪武通 宝や②永楽通宝などが輸入され, そ れまでの宋銭などとともに1枚1文 として流通した。 日本 中国を問わ ず 民間の模造銭がさかんにつくら れ、日本では, 枝つきの③鋳造銭が 確認されている。 中世社会の展開 107

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