日本史 高校生 約2年前 14わかりません →日本経済が、植民地などに移出入 (輸出入) を依存する体質へと変 (4)国際収支:貿易収支の大幅赤字、日露戦争等の ( 14 )利払いで 1913年主要輸出品輸出 ・移出先 ーフは1913年の主要貿易品の輸 先を示している。 これを参考 を経た日本経済に対して、 植 またした役割について説明して 生糸 綿糸 アメリカ フランス イタリア * 中国 朝鮮 綿織物 中国 絹織物 イギリス 英領インド フランス アメリカ 関東州 朝鮮 朝 銅 中国 イギリス フランス 0 20 40 60 80 100 1913年主要輸入品輸入 ・移入先 綿花 鉄類 英領インド アメリカ イギリス ドイツ 機械類 イギリス アメリカ ドイツ 米仏領インドシナ連邦 英領インド 台湾 大豆・豆粕 関東州 中国 朝鮮 砂糖 オランダ領東インド (インドネシア) * 台湾 0 20 40 台湾外国間及内地間貿易年表』より作成) 120 *印はその他。 100%を超える分は、植民地との間の 60 80 100 農民 教 p.285~ 農業の停滞 れいさい きんぴ だいずかす (1) 米作中心の零細経営 金肥(大豆粕など) の普及や品種改良→収 いと くわ *一方で、都市人口の増加により慢性的な 輸出の増加→桑の栽培や ( 1)に携わる農家が増大 こさくにん と小作人 解決済み 回答数: 1
日本史 高校生 約2年前 10番がわかりません 4 青森 5.鉄道国有法 c 日清戦争後の1901年: 青森( 間が全通 さいおんじ きんもち (2)(5)(1906):日露戦争後、西園寺公望内閣が制定、 軍事的政策から 鉄道網の統一的管理を目指し、 主要民間鉄道17社を買収 6 共同運送会社 7 日本郵便会社 国有化→旧国鉄の誕生 K Point 日本の鉄道敷設は、 明治初期~日露戦争までは「民営」が中心。 2 海運業の発展 みつびし (1)政府と結んだ三菱の独占に反発→半官半民の( 6 ) 設立で激しい競争 (2)( 7 )設立(1885):両社が合併し設立、政府の保護を受け発展 8 造船奨励法 a ○航海奨励法 日清戦争後、外貨節約や戦時の軍用船確保方針から、鉄鋼船の造船を する( 8 )と外国航路への就航を奨励する ( 9 ) を制定 10 196 第14章 近代の産業と生活 ほうせき b 紡績業の発展を受け、 綿花輸送で( 10 )航路の開設など、 新航路を開 解決済み 回答数: 1
日本史 高校生 約2年前 5番に何入るかわかる方いませんか? 世界大戦 大正政変 p.266~ たいしょう 1 大正初期の政治運動 さいおんじ きんもち (1) 第2次西園寺公望内閣 (1911~12) a 日露戦争後、 国家財政悪化状況→与党 (政友会)、 積極財政を要求 しだん はち はち * 商工業者は減税、 海軍は八八艦隊建造計画、 陸軍は師団増設を要求 b 明治天皇死去→大正天皇即位 (1912.7):(政内内大臣兼備 じゅうちょう c (2) が 『憲法講話』刊行 ( 3 )説や政党内閣論の提唱で、新時代に 期待する国民の政治的関心が高揚 しんがい ゆうさく d 中国情勢の変化 (辛亥革命) にともない陸軍が ( 4 ) 増設を要求→内閣は 財政上の理由で拒絶 →陸相上原勇作が単独で辞表提出→( 5 )の規定で組 閣できず、 西園寺内閣は総辞職 やまがたありとも Point 山県有朋内閣で導入された 「軍部大臣現役武官制」が内閣組閣に強 い影響をおよぼしている。 かつら ごけん (2) 第3次桂太郎内閣 (1912~13)と第1次護憲運動 げんろう やまがたありとも じじゅうちょう a 元老会議(山県有朋ら) →桂太郎(内大臣兼侍従長) を首相に推薦(非立書 的) b 第1次(6): 立憲政友会の( 7 )、立憲国民党の( 8 )らを中心 とする勢力は「( 9 )打破 ( 10 )」を掲げ、 桂の退 陣を要求 →運動が全国に波及 立憲政友会と立憲国民党→桂内閣不信任案提出→支持の民衆が議会を包囲 →桂内閣は在職53日で退陣 (1913.2) = ( 11 ) *桂は新党結成と元老政治からの脱却を掲げるが、 ( 12 ) の結党は桂の死後 解決済み 回答数: 1
世界史 高校生 約2年前 第一次世界大戦のイタリアの動きについてなのですが、イタリアは当初は中立保っていたが、途中から連合国側で参戦したと書かれていました。イタリアは、三国同盟を結んでいたのに中立を保っていたと言えるのでしょうか( ; ; ) 解決済み 回答数: 1
世界史 高校生 約2年前 通信制高校2年生の歴史総合です。 ⑴~⑹に入る語句を教えてください🙇🏻♀️ 年 東アジアのおもなできごと 1885 (①)が「脱亜論」を発表 1894 日英通商航海条約により, (②)の撤廃に成功 朝鮮で(③)戦争勃発→ 日清戦争勃発 T 1895 日本, 清との間に (b) 講和条約締結 1900 清で(④) 戦争おこる 1902 (5)締結 1904 日露戦争勃発 1905 日本, ロシアとの間に講和条約締結 1910 日本, 韓国併合条約を強要, d韓国を植民地化 1911 日本, ( ⑥)の完全回復に成功 81 解決済み 回答数: 1
日本史 高校生 2年以上前 日清戦争について、、 【ロシアの脅威に対して、清と対立しても朝鮮半島に影響力を持ちたいと考えていた。 日本は朝鮮への影響力を強めて大陸進出の足掛かりにしたいと考えていた。】と調べたら出てきたのですが、⭐️影響力とは具体的にどういうことですか?朝鮮が欲しかったということですか... 続きを読む 解決済み 回答数: 1
日本史 高校生 2年以上前 【至急】 ①日本は近代国家としてどのように外交を進めたのか。 ②明治初期の日本の国境の画定はその後の日本にどのような課題をもたらしたか。 この回答を教えてください!!よろしくお願いします🙇♀️ 解決済み 回答数: 1
日本史 高校生 2年以上前 読んでもよく分かりませんでした 分かる人は下の問いを教えてください! お願いします🙇♀️ 内閣総理大臣桂太郎、 外務大臣小村壽太郎らに提出された意見書。 6月11日におそらく作者のリークにより 七博士意見書 (しちはくしいけんしょ)とは、 日露戦争開戦直前の1903年(明治36年) 6月10日付で当時の 東京日日新聞に一部が掲載され、6月24日には東京朝日新聞4面に全文掲載された。 年の7人 (「東大七博士」) によって書かれた。 内容は桂内閣の外交を軟弱であると糾弾して「バイカル湖まで 東京帝国大学教授戸水寛人、 富井政章、 小野塚喜平次、高橋作衛、 金井延、 寺尾亭、 学習院教授中村進 侵攻しろ」 と主戦論を唱え、 対露武力強硬路線の選択を迫ったものであり、世論の反響も大きかった。 この意 見書を読んだ伊藤博文が 「なまじ学のあるバカ程恐ろしいものはない」と述べたと言われている。 同書を渡さ れた桂太郎は「政策のことまではいいが、軍事のことまで言うか」と困惑した。 4 44 「東大七博士の意見書」 『東京朝日新聞』 「噫(ああ)我国は既に一度遼東(りょうとう) 還附(かんぷ)に好機(こうき)を逸(いっ)し、 再び之(これ)を膠州湾事件(こうしゅうわんじけん) に逸(いっ)し、又(ま)た三度(みたび) 之れを北清事変(ほくしんじへん) に逸(いっ) す。 豈 (あ)に更(さら) に此覆轍(このふくて つ)を踏(ふ)んで失策 (しっさく)を重(かさ) ぬべけんや。 既往 (きおう) は追ふべからず、 只之 (ただこれ) を東隅 (とうぐう) に失ふも之れを桑楡 (さんゆ) に収 (おさ) むるの策 (さく)を講(こう)せざるべからず。 特に注意を要すべきは極 東 (きょくとう) の形勢漸(ようや)く危急 (きき)に迫 (せま)り、既往(きおう) の如(ごと)く幾 回(いくかい) も機会を逸(いっ) する余裕を存せず。 今日の機会を失へば遂(つい)に日清 韓 (にっしんかん) をして再び頭(こうべ)を上ぐるの機 (き) なからしむるに至(いた)るべき こと是(これ)なり。 (中略) 故(ゆえ)に極東現時(きょくとうげんじ)の問題は必ず満州 (まんしゅう) の保全 (ほぜ ん)に就(つき)て之(これ) を決せざるべからず。 もし朝鮮を争議 (そうぎ)の中心とし、 其 (その) 争議に一歩を譲 (ゆず) らば是(こ) れ一挙(いっきょ)にして朝鮮と満州とを併(あ わ)せ失ふことなるべし。 (中略) 之を要するに、 吾人(ごじん) は故(ゆえ) なくして漫 (みだ)りに開戦を主帳するも のにあらず。又(また) 吾人の言議 (げんぎ) 適中(てきちゅう)して後世(こうせい)より先覚 (せんかく) 予言者(よげんしゃ) たるの名称を得るは却(かえっ)て国家の為(ため)に嘆 (たん) すべしとするものなり。 (ああ) 我邦人 (わがほうじん)は千歳(せんざい) の好機 (こうき)を失はば我邦 (わがほう)の存立(そんりつ)を危(あやう)うすることを自覚(じか く)せざるべからず」 【作業】内村と東大七博士の言い分のどちらにより道理があるとおもいますか? 理由も書きましょう。 解決済み 回答数: 1