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日本史 高校生

近世の城下町は、大名の居住地や政治的中心という本来の機能以外にも、機能を有していた。近世の城下町のこうした機能またははたらきについて、本文の記述を参考に、居住区の区切り方、どんな業種の人々が流入し、どんな人々の生活を支えるようになっていったのか、やがて何の拠点になっていたの... 続きを読む

の許可証を のために江戸 唐人屋敷が 地域の窓 とよとみひでよし 近世の城下町, 豊臣秀吉が全国を統 した1590年代から天下が徳川家に移 った1610年代を中心として、日本列島各 地でいっせいに建設された。強大な権力 を手にした武士によって都市計画がなさ れ, 全国で共通する性格を持った都市が ほぼ同時につくられた。 このような出来 事は、世界史レベルでみてもきわめて珍 しいといえる。ここでは信濃国飯田藩 (現在の長野県飯田市)の城下町をみてみ よう。 てんりゅうがわ しなの だんきゅう 飯田城は,天竜川に近い段丘の上に建 くじょうか 設された大規模な城である。 城の西と 北に連続して武家が広がり、 さらに連 ちょうにんち 城下町 ・貿易で れ、 されな 人が 続して町人地がかれた。 これらを取り 囲むように多くの寺院が連なり、武家地 の一部はさらに町人を囲んでいた。そ 近出の城下用) [アイナ パタ20 33 るい の外側には土塁と海がめぐらされ、村との境とな っていた。このような配置は地理上の影響を受け ていたが, 身分に応じて居住地を区切る方法自体 は、近世の城下町に共通している。 飯田にはおそくとも戦国時代に城があり,小規 まちば p.112 はいじょう まつ 飯田 92 鯨団殿下町かれる定期市で商人たちに分配さ られ、彼らは高畑の農村でそれらを売りさばいてい きょてん た。 城下町には民衆相手の商売で財をなした商人 がならび、近世後期には地方文化の拠点ともな った。 模な町場が付属していた可能性もあるが,このよ うな本格的な都市の建設が可能となったのは, 1590年代を中心に, 周辺の村々から大勢の人々が 集まってきたからである。 寺院はいずれも,もと もと周囲の村々に置かれていたのが,この時期に 移転したものである。 町人地についていえば,松 尾町一丁目と知久町一丁目は,それぞれ近くにあ った戦国時代の城 (松尾城, 知久平城) が廃城とな るのにともなって, そこにあった町場が移転した からとみられる。 このほか, 周辺の農村に暮らす 人々のなかから町場に引っ越した者もいたとみら れ、伊勢商人が引っ越してきたとの伝承もある。 このことは,戦国時代までに地域の内外で,商工 業がある程度展開していたことを物語っている。 城下町の商工業は、藩主やその家族、そして家 臣団などの生活をささえることを目的としていた が、周辺の村に暮らす人々の生活もささえた。た とえば、三河国から大量にもたらされる塩や魚が, はんしゅ 現在の地方都市の多くは近世の城下町にルーツ がある。身近な事例をもとに,都市の歴史を探っ てみよう。 ↑1960年の知久町三丁目 (飯田市歴史研究所蔵) 近代以後, 飯田は地元の政治、経済、文化の中心として発展した。

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政治・経済 高校生

政経の国民所得のところについて質問です。マーカーを引いてあるところがよく分かりません…補助金の分だけ市場価格が安くなっているというのはどういうことですか?また、なぜそれを加えるのか何方か教えてほしいです

総生産額 国内総生産 (GDP) 色の部分が各構成の範囲を示している。 はん い ( + 海外純所得) (中間生産物) 国民総所得 (GNI) 国民純生産 (NNP) (+補助金) (固定資本減耗 ) 国民所得 (NI) 海外純所得 (間接税) ┏第一次産業 生産 国民所得 分配 第二次産業 第三次産業 国民所得 雇用者報酬 財産所得 企業所得 三面等価 支出 国民所得 民間消費 政府消費 民間・政府投資 経常海外余剰 そうご ▲国民所得の相互関係 国民総所得(GNI)には,生産で使われる機械などの価値の減少分である こてぃ しほんげんもうげんかしょうきゃく ひ 固定資本減耗(減価償却費)が含まれており,これを差し引いたものを国民 (→ p.92) 純生産(NNP)という。しかし,国民純生産には,国民の作り出した価値 Net National Product とは関係のない間接税が含まれているため,これを差し引き,また,政府 しじょう(→p.117) の補助金の分だけ市場価格が安くなっているので,これを加えたものを国 じゅんすい せま ふか 民所得(NI) という。 これがその年に純粋に生産された狭い意味での付加 National Income 価値の総計額である。 はあく

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