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数学 高校生

数Ⅰの問題です (1)の(ii)と(2)、(3)分からないので解答だけでも教えて下さると有難いです🙇🏻

15 S商事がP市とQ市にカレー店をオープンさせることにした。人口の多いP市と人口の 少ないQ市で,店名を変えて価格に差をつけて販売するのがよいか, P市とQ市ともに 同じ店名で同じ価格で販売するのがよいかを検討している。1日当たりの利益は (利益)={(価格)-(1 皿作るのにかかる費用)}×(販売数) で表される。以下では,利益が最大となる価格を決定するように考えよ。 (1) まず,価格に差をつける場合について考える。事前の調査によると,P市の店ではカ レー1皿をx円としたとき,1日当たり 700-x(m)売れることがわかった。また, 1皿作るのにかかる費用は300円である。利益をf(x) 円とすると f(x) =-(xー| アイウ )(x-| エオカ となる。ただし,|アイウ|<|エオカ|とする。 一般にa<0のとき,y=alx-a\x-8)の式の形から、右辺を平方完成することなく 最大値をとるのは x=| キ のときであるとわかるから,P市の店では1皿の金額を クケコ円にするのがよい。 キ に当てはまる式を,次のO~9 から1つ選べ。 O a 0 8 の a+B a-8 α+8 2 α-B 0 0 a α 0 Vas 2 α B () a<0, α<8のとき,y=a(x-aXx-β)について,正しいものを次のO~0か らすべて選べ。 サ ソ=0 としたときの2次方程式の判別式の値は正である。 0 y= a(x-a)(x-β)のグラフは下に凸の放物線である。 の a+8>0のとき,y=a(x-aXx-8)のグラフの頂点は第1象限にある。 y=a(x-a(x-8)のグラフは,y=ax? のグラフをx軸方向にのみ平行移 動したものである。 0 a8>0 のとき,y=a(x-a(x-8) のグラフは y軸と正の部分で交わる。 (i) 下線部について,そのように考えられる理由を キ の式を用いて説明せよ。 あ また,Q市の店では,カレー1皿をx円,1皿作るのにかかる費用を 300円としたとき の1日当たりの利益は g(x) = -x2+(b+300)x-3006 で表される。実際には,P市で 利益が最大になる価格より安い価格で1日当たりの利益が最大となり,そのときの利益 は 10000円である。よって,b=| シスセであることがわかる。 (2) 次に,P市とQ市の店で同じ価格にする場合について考える。P市とQ市の利益の 合計が最大となるような1皿の価格はソタチ円である。

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日本史 高校生

どうして黒田清隆首相は藩閥政府を推す発言をしたのですか?彼自身が藩出身だからですか?? どなたか優しい方教えてください🙏🏻

1帝国議会のようす 1893年に出版された錦絵。壇上の中央に立っている発議者の発言を,絵中央の机の速記者が記録しているよう すを描いている。発議者のうしろには、議長·書記官を中心に諸大臣がならんでいる。 4 初期議会と条約改正 議会制度の整備や条約 改正の成功を,当時の世 界情勢を背景に,考察し てみよう。 1889(明治22)年2月11日,憲法発布と同 初期議会 時に衆議院議員選挙法が公布され,選挙権と被 選挙権が規定された。翌日,黒田清隆首相は超然主義演説をおこない。 >1 くろだきよたか ちょうぜんしゅ ぎ 内閣総理大臣の変遷 1840~1900 年 総理大臣 出身·政党 5 総選挙で多くの議席を占めるとみられていた政党の意向に関係なく, 1885 伊藤博文O 長州 はんばつ 藩閥政府は政策を実現すべきだと主張した。 1888 黒田清隆 薩摩 1889 山県有朋0 長州·陸軍 1890年,最初の衆議院議員総選挙がおこなわれると,民党(立憲 1891 松方正義①薩摩 かくとく 自由党·立憲改進党などの反政府派の政党)が過半数を獲得した。第 1892 伊藤博文2 長州 やまがたあり 1回帝国議会(第1議会)では,超然主義を掲げる藩閥政府の山県有 かか >1 選挙権は満25歳以上 の男性で、直接国税15円以 上の納入者とされ,全人口 (3900万人)の1.1%に過ぎ なかった。被選挙権は満30 歳以上の男性で,納税資格は 選挙人と同様だった。 >2 日本海軍が大型軍艦 とも さくげん 10 崩内閣に対し,衆議院の民党議員は政費節減(行政費の削減),民力 ちそ 休養(地租軽減)を理由に,次年度の予算案の削減を主張した。山県 内閣は自由党の一部の議員を買収し,ようやく予算案を成立させた。 まつかたまさよし 翌年の第2議会でも,松方正義内閣と民党が予算案をめぐって対立し, 松方は衆議院を解散した。 の建造を急いだのは,清国の りとう たいこう 1892年におこなわれた第2回総選挙では,松方内閣は吏党などの 海軍力に対抗するためだった。 15 かんしょう 『2最初の総選挙のようす 記 名投票で役人の目の前に投票箱 があった。(ビゴー筆) 政府支持派の当選をめざし,はげしい選挙干渉をおこなったが,民 いとうひろぶみ 党の優勢をくずすことはできなかった。松方にかわって,伊藤博文 いしん かくりょう げんくん が明治維新以来の実力者を閣僚にすえ,いわゆる元勲内閣(第2次 ぐんかん >2 伊藤内閣)を組織したが,軍艦建造費をめぐって民党議員と対立し しょうちょく 20 た。このとき, 衆議院議員に政府への協力を求める詔勅が出され、 自由党の協力もあって軍艦建造費はようやく衆議院で可決された。 このように,衆議院における藩閥政府と民党との対立は,第1議会 ぼっぱつ から日清戦争勃発直前の1894年の第6議会(初期議会)まで続いた。 69

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