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日本史 高校生

ヤマト政権の直轄地、直轄民。豪族の私有地、私有民の違いが分かりません。豪族はヤマト政権の支配下にあるから、豪族の私有地、私有民はヤマト政権の直轄地、直轄民になるということなのでしょうか??

めであった。この讃・珍・済・興の五土のうち,『日本書紀』 いんぎょう あんこう めいぶん の記述により,済は允恭天皇,興は安康天皇、武は 7 天皇 にあてられている。 また,この頃には熊本県 8 古墳出土鉄 刀や、埼玉県 9 古墳出土鉄剣の銘文から 「獲加多支鹵大王」 の名がみられ、倭王武をさすと考えられる。このことからヤマト 政権の支配が九州から東国に及んだことが確認できる。 10 氏姓制度 11 氏 文大 12 姓 (カバネ) 13 14 連 15 造 ◆ 6世紀の朝鮮半島では, 高句麗が一段と勢力を強めて南下し, 圧迫された1・2は562年までに3を次々と支配下に おさめた。その結果,ヤマト政権の勢力は朝鮮半島から後退した。 16 国造 17 倉 18 名代子代 19田荘 おおきみ 大王を中心に構成されたヤマト政権は6世紀までに10と 呼ばれる支配体制を整備した。 豪族は血縁を中心に構成された 11 という政治組織に編成され,政権の職務を分担し、大王 は11に対して地位を表す 12 を与えた。12のうち. 20部曲 13 は葛城氏・蘇我氏など, 14 は大伴氏・物部氏など の有力豪族に、君や直は地方豪族に与えられた。 政権の中枢を ちゅうすう にな 担ったのは大臣・大連に任じられた有力豪族で, その下で 15 が部を率いて軍事・祭祀などの職掌を分担した。 地方豪族は さい 16 に任じられ地方支配を保証された。 また, ヤマト政権は 直轄地の17,直轄民の 18 の部を各地に設けた。 豪族 は私有地の 19 |や私有民の20 を支配した。 稲荷山古墳 出土鉄剣

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日本史 高校生

日本史助けてください〜😭😭😭😭

軍事力 7 (幕府直轄軍)…足利氏の家臣、守護の一族、有力地方武士から構成 将軍護衛,御料所の管理, 守護の動向をけん制 幕府の財政 (1)8 ( 2 ) 有力守護の分担金 外交 (3)地頭・御家人への賦課金 とそう (4) 土倉役・ 9 権力の強化 ] (直轄地) からの年貢・公事・夫役 10 □役 (高利貸業者 〈土倉酒屋〉への営業税), ](通行税) 11 (入港税),段銭(段別に課した臨時税), 棟別銭(家屋の棟別に課した臨時税) (5) 日明貿易の収益 とき やすゆき 1390年 土岐康行の乱…..義満,土岐氏を討伐 91年 12 99年 13 ○東アジアとの交易 倭寇 日明貿易 1401年 03年 日本人を中心とする海賊集団 (前期倭寇, 14世紀) → 朝鮮半島・中国大陸沿岸で猛威 (米・大豆・人などを略奪 ) 2・3隻~数百隻の船団, 根拠地: 対馬・壱岐・肥前松浦地方 蒙古襲来後の元と日本 鎌倉幕府, 1 ] を派遣 (1325) 建長寺再建の資金づくりのため 足利尊氏,2 ] を派遣 (1342)... 夢窓疎石のすすめで後醍醐天皇を祀る天龍寺建立のため 明 (1368年3 □ 〈太祖洪武帝〉建国) →通交と倭寇の禁止を日本に求める ↓ H 04年 ・・義満, 六分の一衆 (山名氏) の内紛に介入, 山名氏清を倒す ・・・ 義満, 大内義弘を倒す 足利義満, 正使4 ] (僧)・副使 5 ] (博多商人) を明に派遣して国交を開く しんげん 3代将軍足利義満, 国書で「日本国王臣源」と名乗り, 朝貢貿易の形式をとる 勘合を用いるところから勘合貿易とよばれる 輸出品 : 刀剣、槍、鎧,扇、屏風,鋼,硫黄 輸入品: 6 勘合貿易開始 4代将軍7 6代将軍 8 11年 32年 1523年 9 からもの 生糸,陶磁器,高級織物,書籍,書画→唐物として珍重された 朝貢形式を屈辱的として中断 貿易を再開 細川氏 (堺商人) vs 大内氏(博多商人) →大内氏が実権を握る 47年 最後の勘合貿易船を派遣, 大内氏の滅亡と共に断絶→後期倭寇が活発化 日朝貿易 朝鮮 (1392年, 李成桂が高麗を倒して建国)→通交と倭寇の禁止を日本に求める ↓ さんぼ 国交樹立 (1404)→貿易・文化交流を開始→三浦 (10 ないじほ ・ ・塩浦・乃而浦) を開き, 漢城(漢陽)

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古文 高校生

枕草子「御前にて人々とも」 最後の一文なんですけど、なぜ謙譲語の「啓せ」の敬意の方向が使いでなはく作者(清少納言)から中宮定子へ向けての敬語、「参らせ」が作者(清少納言)から使いではなく中宮定子に向けてなのでしょうか?  「参らせ」の方は直前の尊敬語「給へ」で作者である清... 続きを読む

まへ 御前にて人々とも 御前にて々とも、また、もの仰せらるるついでなどにも、「世の中の 腹立たしう、つかしう、片時あるべき心地もせで、ただ、いづちもいづ ちも行きもしなばやと思ふに、ただの紙のいと白清 なるに、よき筆、 しきし ② みちのくにがみ 白き色紙、陸奥紙など得つれば、こよなうなぐさみて、さはれ、かくてし ③かうらいばし むしろ ばしも生きてありぬべかんめりとなむおぼゆる。また、高麗端の莚、青う こまやかに厚きが、縁の紋いとあざやかに黒う白う見えたるを、ひき広げ て見れば、何か、なほこの世はさらにさらにえ思ひ捨つまじと、命さへ惜 しくなむなる。」と申せば、「いみじくぼかなきことにもなぐさむなるかな。 をばすてやま 姨捨山の月は、いかなる人の見けるか。」など笑はせ給ふ。 候ふ人も、「い みじうやすき息災の祈りななり。」など言ふ。 のち さて後、ほど経て、心から思ひ乱るることありて、里にあるころ、めで たき紙二十を包みて賜はせたり。仰せ言には、「とく参れ。」などのたまは ⑤⑤ ず みやう 寿命経もえ書くましげにこそ。」と仰せられたる、いみじうを ひ忘れたりつることを、思しおかせ給へりけるは、なほただ人にてだに、 をかしかべし。まいて、おろかなるべきことにぞあらぬや。心も乱れて、 啓すべきかたもなければ、ただ、 よはひ 「かけまくもかしこきかみのしるしにば鶴の齢となりぬべきかな 5 あまりにやと啓せさせ給へ。」とて参らせつ。 お * さぷら (第二百五十九段) 10.

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