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数学 高校生

数Ⅲ青チャート例題125の「-1/n+1」がどこからでてきたのかわかりません

級数O の初項から第n項までの部分和を Snとするとき,Szn-1, Sznをそれ | 級数O の収束,発散を調べ,収束すればその和を求めよ。 静>) San-1が求めやすい。Sanは San=Sn-1+(第 2n項)として求める。 厚本例題125 1 2通りの部分和 San-1, San の利用 211 OOOO0 1 1 新限級数1- 2 1 2 1 4 3 3 4 0 について n ぞれ求めよ。 基本124) 4章 前ページの基本例題124と異なり,ここでは( )がついていないことに注意。 -のようなタイプのものでは,Snを1通りに表すことが困難で,(1)のように, S, San の場合に分けて調べる。……の そして、次のことを利用する。 [1] lim San-1=lim San=S ならば lim S,=S 15 無 限 級 数 n→m n→0 n→00 [2] lim San-1キlim San ならば {S.}は発散 2→0 →0 答 1 ) Stn-1=1- 2 1 1 1 1 1 2 3 34 n n 1 1 =1 4部分和(有限個の和)なら ()でくくってよい。 =1 2 (3 3 n 1 F1- n+1 1 Sn=San-1- n+1 参 無限級数が収束すれば、 その級数を,順序を変えずに 任意に( )でくくった無限級 数は、もとの級数と同じ和に 収束することが知られている。 (1)から lim San-1=1,um Sen=lim(1- =1 n→0 「カ→ よって lim Sn=1 れ→0 したがって,無限級数のは収束して,その和は1 自然数 快討)無限級数の扱いに関する注意点 上の例題の無限級数の第n項を と考えてはいけない。( )が付いている場合は,n n n+1 番目の( )を第n 項としてよいが,( )が付いていない場合は、n番目の数が第n項となる。 注意 無限級数では,勝手に( )でくくったり、項の順序を変えてはならない! 例えば、S=1-1+1-1+1-1+……=(1-1)+(1-1)+(1-1)+……とみて、S=0などと1 したら 大間違い」(Sはヘ比 -1の無限等比級数のため,発散する。) ただし、有限個の このような制限はない。

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現代文 高校生

現代文の100字要約の問題です。 上手くまとまらず、悩んでいるのでわかる方教えていただきたいです。

現代文の文章ですが、松尾芭蕉以降の近世の世界観を逃 さてここで、「山吹や蛙飛びこむ水の音」に戻ろう。このようにかはづの和 歌の歴史を見てくると、「山吹」「かはづ」「水」という組み合わせはさほど不 思議ではない。しかしここにはすでに、和歌の観点から見た場合、重大な欠落 がある。それは「鳴く」という言葉の欠落だ。連歌集である『蒐玖波 集』の 歌でさえ、「なにごとのあらそひか有る鳴く蛙」と、かはづは鳴くことになっ ている。しかし芭蕉はかはづを鳴かせなかった。「蛙飛びこむ水の音」という 着想だけでも、これは和歌の言葉を通して見た自然ではなく、その隙間を縫っ て芭蕉自身が発見した新しい自然だった。かはづは鳴かない。なんと、ぶざま にも水に飛び込んだのである。そして山吹の問題だ。其角は和歌の歴史から 言って当然のように山吹をつけた。なにしろかはづが鳴かないのだから、せめ て山吹でもないことには歌の道に連なることができない。しかし(芭蕉は即座 にそれを退け、やがて「古池や」に至ったという。結果としてここに、「山吹」 も「清流」も「鳴く」も無い、無いものだらけのかはづの句ができた。千年の あいだ続いたかはづの自然は、ここにあとかたも無く崩壊したのである。 それにしても、このような和歌の歴史の中で考えてくると、なんと革命的な 句なのだろう。単に和歌で必須とされる要素が無い、というばかりではない。 鳴く」に対して「 I」が対時され、「声」に対して「 Ⅱ 時され、「清い」に対して「一 D の文章を読み、あとの設問に答えよ。 芭蕉は「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」と言ったという。『三冊子』 はこの言葉について、「X私意をはなれよといふ事也」と書きとめている。魔 末保は、このようなことが言われるには、「松が、まさにそこにある松、つま り、 即物的に接することのできる松として出現しはじめた時代だという前提が なければならない」と論じた。これは「江戸時代にとって自然とは何であった か」という問題を考える上での根幹である。我々の時代はすでにそういう時代 が始まってから久しく、物は「即物的に」物でしかないのが当たり前になって しまった。そうでなければ、これほど環境は悪化しないし、これほど多くの物 が平然と消費され捨てられたりはしない。それゆえに、近世という時代が始 まって間もなく、芭蕉や西鶴や近松に何が起こっていたか、よほビ自夏刀b かせなければ理解できないのである。(中略) A自然はすでに近世において、ただの樹木や石や水という「物」になってし まった、と考えられる。それまでは表現するだけで自然の力を感じさせた雅語 (たとえば和歌の言葉)や雅の絵画(中世山水画など)さえももはや力を持た ず、貨幣経済の中でひたすら自然が消費されていくようになった。遊山を描く 扉風絵や旅を書きつける旅行記などは、まさにそのような消費対象としての 自然(自然の俗化)を調歌しているわけだが、同時に、このような「物」とし ての自然の出現は、新しい文学をもたらすことにもなったのである。 芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」の句は、作られた時のことが「葛の松 原』に書かれている。『野ざらし紀行』の旅を終えて江戸に戻って一年ほど後 のことだ。旧暦三月の暮れ、江戸の郊外に遊んだ。雨が静かに降り、風柔らか に吹き、ときたま蛙が水に飛び込む。芭蕉は「言外の0フゼイこの筋にうかび て、蛙飛びこむ水の音 といへる七五は得給へりけり」という。このとき芭蕉 は七五のみ想い浮かんで、上の言葉は浮かばなかった。するとそこにいた其角 小、上を付けた。それが「山吹や」である。ここに、「山吹や蛙飛びこむ水の 昔」という発句ができあがった。この其角の案はもっともで、まさに和歌に連 なる句の世界としては、まっとうな作だった。そしてそこには、Bまだ近世の 俳人たちを支配していた自然観がかいま見える。 『万葉集』にいう。「かはづ鳴く清き川原を今日見ては何時か越え来て見つつ 偲はむ」||かはづは必ず清い川、澄んだ水にいる。そしてかはづは必ず「鳴 く」。澄んだ水でないと生息しない蛙のうち、和歌の世界でその美しい鳴き声 が詠まれるのはたった一種類、かじか蛙だけである。『万葉集』に始まった 「かはづ」の歌は、つまりかじか蛙だけのための歌であり、そうであるからに は「澄んだ水、清流」そして「鳴く」という二つの言葉が不可欠だったのであ る。「かはづ鳴く神名火川に影見えて今か咲くらむ山吹の花」 は、神社のある場所の川のことをいう。ここでは飛鳥川か竜田川だ。この歌に は山吹の花が出現する。「清流」「鳴く」「山吹」の三つの言葉がこうして、「か はづ」とセットになって現れるようになる。「かはづなくるでの山吹ちりにけ り花のさかりにあはまし物を」 |これは『古今和歌集』の歌だ。井出の玉川 は山城の国の川のことだが、「玉川」は清流を意味する。川は清流でなくては ならず、水は、常に流れて水を入れ替える=でよくてはよう!よい。「匹こよく pv しゅう が対 日 」が対時され、「流れる川」に対して 」が対時されたのである。古池とはどんな池だろうか。まず流れな い。水が入れ替わらない。澄んでいない。その底には、枯れ葉や木の残骸や動 物の死体が腐って堆積し、間違いなく濁っている。その周辺には苔や菌類や古 木や下草がいつも濡れてじっとりと生きていて、数え切れないほどの生命が地 を這っている。古池とは歴史の堆積であり、生命のるつぼなのだ。そこに蛙が 飛び込めば底の堆積物は一気に舞い上がり、水はさらに濁るだろう。かじか性 がそういう環境に暮らせるはずがなく、ここに登場する蛙はがま蛙や殿様蛙 牛蛙など、そのあたりで庶民が日常的にみかける生命力旺盛な蛙に違いない。 Vト さらに言えば、古池が川と違うところは、ふだんはじっと動かないところ だ。まるで川は我々人間の意識の流れのようであり、古池は我々人間の無意識 の堆積物のようである。みじろぎもしないその濁り水に突然一匹の蛙が飛び込 む、というその一瞬に起こるハモンのざわめきは、記憶の堆積と無意識に起 こるざわめきのようだ。何が起こったのか。周知のように禅では、座禅の際に このざわめきを意図的に起こす。p意識によって隠された連関への目覚めをも たらすためである。 芭蕉はこの句から、風雅の道を見つけたと言われている。すなわち、蕉風の 確立である。蕉焦風では、言葉の革命と新しい境地の創造が、確かにあった。そ トトキA+ -神名火川と れは、和歌の言葉の背後に隠された自然を、詩の言葉として発掘するというこ とだった。「木のもとに汁もなますも桜かな」 ーごく日常的な食べ物の出現。 J るャ 了東風々に糞のいきれを吹きまはし」 ふがん人のうしろむき」 -排池物も詠まれる。「団扇もて -まるで浮世絵のように、俗世の人の姿を捉える。 うぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれか うたをよまざりける」と、『古今和歌集·仮名序』にも言う。もはやかはづは 驚と同じくらい、和歌の世界のスターとなった。それもその美声ゆえであっ た。いったんスターとなったからには、代表的な和歌の集に登場し続ける。 海くれて鴨のこゑほのかに白し」||思い切りのいい不定形。声が色とL て眼に見える。和歌の言葉の繰り返しの中で日本人の脳裏に形成された定型E 自然観は、このように次第に崩れてゆき、江戸時代になってそれは新たな自 世界を構成することになった。私たちの今日の自然観は、和歌のそれではな~ 俳譜の自然観にずっと近い。 傍線部 a.bの漢字の読みを記せ。 (日留) (田中優子『江戸の自然,

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化学 高校生

解答は4.5です。 解説お願いします。

19 25 A 揮発性の液体試料の分子量は, 図1のような装置を用いて下の手順1~5に よって,気体の状態方程式から求めることができる。ある高校生が, シクロヘキ サンと未知の試料Xについて, この手順に従って分子量を求める実験を行った。 穴 はく アルミニウム箔 揮発性の 液体試料 温度計 温水 一ホットプレート 図 -1 手順1:乾燥した丸底フラスコとアルミニウム紹箔を電子てんびんにのせて質量を はかる。 手順2:少量の液体試料を手順1の丸底フラスコに入れて, 穴をあけたアルミニ ウム箔を被せ,ビーカーに入れた温水に浸して温水を加熱する。 手順3:液体試料がすべて蒸発したことを確認した後,丸底フラスコ内の温度が ほぼ一定になったら, その温度を測定し, 丸底フラスコを取り出して, その後,速やかに放冷する。 手順4:丸底フラスコのまわりの水をよく拭き取り, アルミニウム箔を被せたま ま電子てんびんで質量をはかる。 手順5:実験に用いた丸底フラスコをよく洗浄した後,丸底フラスコの口まで水 を入れ,その水をメスシリンダーに移して体積をはかる。 問1 シクロヘキサンについて, この実験の結果から分子量を計算したところ, シクロヘキサンの正しい分子量よりも大きくなってしまった。 どのような原 因が考えられるか。適当なものを, 次の①~⑥のうちから二つ選べ。 ただし, 解答の順序は間わない。 19 20 0手順1で丸底フラスコが十分に乾燥しておらず, まわりに水滴が付着し ていた。 手順2で丸底フラスコに入れた液体試料の量が少なく, すべて蒸発して も丸底フラスコ内を満たさなかった。 手順3で温水から取り出した丸底フラスコの放冷が十分でなかった。 手順4で丸底フラスコのまわりについた水が十分に拭き取れていなかっ た。 ⑤ 手順5で丸底フラスコからメスシリンダーに水を移したときに, 水が丸 底フラスコ内に残っていた。 コEN FI

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数学 高校生

ここのoueの並びが一通りに決まるのは分かるのですがなぜ同じもの(Aとして)見る必要があるのですか?

(2) m, PをAとおき, t, rをBとおく、 社二 2) mがpより左に,tがrより右にあるものは何通りあるか. のすべての文字を1列に並べるとき,次の問いに答えよ。 同じものを含む順列として求める。 主回をお 母音字の o, u, eがこの順であるものは何通りあるか。 使え方(1) 0, u,eをすべてAとおき, 3つのAの場所に, o, u, e の順に入れると考えて, Check 199 computer |PをAとおき, t, IをBとおく、 1)母音字o, u, eをすべてAとおき、 A. A. A, C, m, p, t,r t4oStお焼 同ラス のAロロADADロ OSお 人1 ロ 0 u e 8!_8·7·6-5·4·3·2·1 3! Aの場所を決め, o, る人 , eをこの順に入 -6720(通り) ニ 3·2·1 れる。 の 同じ文字Aを3個含 む8個の順列 れると (2) m, pをAとおき, t, rをBとおく、 すと、 AA, A, B, B, c, o, u, e の8文字を1列に並べる順列の総数を求めればよい。 よって,求める総数は, 61418! A地2!2! Aにはm, pが, B にはr, tがこの順 に入る。 武並の AロBAロOBO 8.7·6·5·4·3·2·1 2·1-2-1 10080(通り) 11 2-1-2-1 rp t 同じ文字Aを2個, 2個のトと自鼻少装商材 2111 Bを2個含む8個の C地kからし Ocus 順列 おさ人1で 一定の順序で並べるものをすべて同じものとする

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