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日本史 高校生

答え合わせよろしくお願いします🙇‍♂️

明治政府は, 成立直後から東アジアに向けて活発な外交を展開した。 清国とは 1871年に国交を結んだが, 朝鮮との通交は容易に実現できなかった。 そのため, 1875年、日本は江華島事件を起こして朝鮮を開国させ、 を締結した。 イ ア 1894年, まった。 問1 空欄 ア 2 に挑戦! (3) イ が起こると、朝鮮をめぐって対立していた日本と清国は、朝鮮に出兵し、 に入る語句の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 ア 第1次日韓協約 ア 第1次日韓協約 ア 日朝修好条規 ア 日朝修好条規 イ甲申事変 イ甲午農民戦争 イ 甲申事変 イ 甲午農民戦争 問2 下線部(a)に関連して,日清戦争以前の出来事として正しいものを、 次の①~④のうちから一つ選べ。 ① 旅順の関東都督府が改組され, 関東庁が設置された。 がしんしようたん ② 政府は, 「臥薪嘗胆」を合言葉に軍備増強を進めた。 ③ 政府は、琉球の島民が殺害された事件を理由に、台湾出兵を行った。 ④ 朝鮮では、ロシアに接近する閔妃が殺害される事件が起こった。 問3 下線部(b)に関連して述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 なか ① この戦争中, 与謝野晶子が詩「君死にたまふこと切れ」 を発表した。 テール この戦争の講和条約で, 日本は2億両の賠償金を得ることになった。 (3) この戦争の結果,清国は朝鮮への宗主権を放棄し, その独立を認めた。 4 この戦争が終わると, ヨーロッパ列強の中国進出が強まった。 (b) 日清戦争がはじ ① 清国は、朝鮮が独立国であることを認める。 清国は、山東半島 遼東半島・台湾および澎湖諸島を日本に割譲する。 211: 2、利益線をめぐって清国と戦った日本が、同国と結んだ講和条約の内容として誤っているものを,次の ①~④の うちから一つ選べ。 ③清国は、償金2億両(当時の日本円で約3億円)を日本に支払う。 ④ 清国は、新たに重慶などの4市を開市・開港する。

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日本史 高校生

分からないので教えて欲しいです🙇

第⑥章 幕藩体制の成立 織豊政権の成立 (1) ヨーロッパ人の東アジア進出 (15世紀後半~16世紀) ① ヨーロッパの変貌 ルネサンス・宗教改革をへて近代社会への移行 イスラーム世界に対抗 a. 新航路の開拓 アジアへ進出 (オスマン=トルコの圧迫)→(1 ]時代 b. 海を中心とした交流の世界的展開 コロンブス, ヴァスコ=ダ=ガママゼラン ](イスパニア)の進出 a. フィリピン [3 ]を拠点とする b. 南北アメリカ大陸 メキシコ(ノビスパン) など の進出 a. インド (5 ]を拠点とする b. 中国 [6 ④ ヨーロッパ人の東アジア [7] a. 明(中国)の[ ←私貿易を禁止 b. 環シナ海貿易の展開 [7 貿易 (2) 南蛮貿易 ① 鉄砲伝来 (1543) ポルトガル人の a. 生産地 堺 (和泉) 雑賀 根来 (紀伊), 国友 (近江) →大量生産の実現 b. 日本社会への影響 戦法の変化 (足軽鉄砲隊の登場) 城の構造の変化 ② 南蛮貿易 a. 南蛮人 当時のポルトガル・スペイン人の呼称 b. 貿易港 [10 〕 (1584, スペイン人の来航) 長崎 豊後府内 c. 参加者 九州の諸大名 (大友 大村・有馬・松浦の諸氏), 商人 (京都・堺・博多など) d. 貿易品 輸出品 11 〕 (朝鮮伝来の灰吹法の技術)、 刀剣など 輸入品 [12 [] (中国産), 鉄砲, 火薬など ③. キリスト教の布教 a. 宣教師の来日 1549年(13 会 (14 鹿児島到着 (島津氏の布教許可) 大内義隆 (山口), (15 ) (豊後府内) らの保護 →のち、ガスパル=ヴィレラやルイス=フロイスらによる布教 b. 信者の数の急速な増加 [16 [〕 (教会堂), [ 17 (13 〕 (神学校) の建設 c. 貿易と布教の一体化 (19 の登場 貿易をのぞんで布教の許可と保護 (九州に多い) → 九州三大名(15 ). (20 ). (21 による [22 〕の派遣 . (伊東マンショ千々石ミゲル 中浦ジュリアン 原マルチノの少年4人をローマ教 皇のもとに派遣→1582年出発~1590年帰国) 宣教師 (23 のすすめ -〕 を占領する 中国・日本・朝鮮・台湾・琉球・安南 (ベトナム) など (後期倭寇の活動) ときたか [] 漂着→島主種子島時の関心 貿易への参入 〕 (宣教師の養成学校)

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世界史 高校生

この青のマーカーで引いてある文がどういう状況を指しているのかがわかりません。どなたか教えてください🙇🙇

わりに、日本の韓国権益を認めさせようとした (日露協商論・満韓交換論)。 しかし、ロシアとの外交交渉はまとまらず、1904 (明治37)年、日本は開戦 に踏みきった。 りょじゅん 日本は旅順や奉天を占領し日本海海戦でも勝利したが、国力を した。 (ルーション) 他方、ロシアでは革命運動がおこり、 社会不安が高まった。 1905 ( 38)年、 ちょうしゅん 日露両国はアメリカ合衆国の仲介で講和条約 (ポーツマス条約)を結んだ。 日本は韓国の保護権や、旅順と大連租借地(関東州)と長春・旅順間の鉄道 利権、北緯50度以南の樺太(サハリン)などを得たが、 賠償金はロシアがあ くまで拒んだため得られなかった。 (チャンチュン) ばいしょうきん ドンズ 運動 れっきょう アジア各地で近代化や民族主義運動に取り組んでいた人々は、日本の勝 利に注目した。自分たちも近代化すれば、日本のように西洋列強に対抗で きると受けとめたのである。 しかし日本は日露戦争中から韓国の支配をめざし、アメリカのフィリピ そうご しょうにん ン支配やイギリスのインド支配と相互承認の形で支持を取りつけていた。 (→p.61) 日露戦争が終わると、 日本は韓国を保護国とし、義兵による抵抗をおさえ へいごう て、1910(明治43)年には韓国を併合した。 またロシアとのあいだでは、ア D しじょう そし メリカが満洲市場に介入するのを阻止することで協調体制がとられた(日 たいわん ちょうせん ・ 露協約)。このように、日本は台湾 南樺太・朝鮮を支配し、満洲に権益 をもつ本格的な帝国主義国家となった。 アメリカが中国進出を企図 そしてあげた政策 満洲に権益を得た日本は、中国の門戸開放をとなえていたアメリカと走 立した。またアメリカでは中国人移民が1882年に禁止されていたが、19日 (p.94)

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