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古文 高校生

(2)について質問です。 最後の詠嘆の助動詞は 〜であったなぁ または 〜であるなぁ どちらでもいいんですか? 回答は現在形で訳してました。

III 「そうふくじ たちばななんけい 次の文章は、江戸時代後期の人、橘南谿による『西遊記』の一節で、筑前の国にある崇福寺で聞いた話を書きとめたもので す。文中の「この国」は筑前国であり、文中に見える鐘の岬・織幡山・志賀・宗像などの地名も筑前のものです。これを読ん で、後の問い(問一〜問七)に答えなさい。なお、本文は一部改変したところがあります。 tový> おりはた うしとら (注1) この国の海中に鐘あり。 その所を鐘の岬といふ。 織幡山の艮の方、岸を離るること、わづかに五町ばかりの所にあり。 船 (注2) つきがね にてその所に至れば、よく見ゆるよし、里人いふ。これはむかし三韓より撞鐘を船に積みて渡せしに、竜神その鐘を望み、こ の海に至りて、波風にはかに起り、船くつがへりて、鐘はつひに海底に沈みぬ、三韓より渡りしてとはふるきことにゃ、万葉 集の歌にも、 (注4) (注3) しか すめかみ 千早振る鐘の岬を過ぐれども我は忘れず志賀の皇神 読人しらず と出でたり。また、新古今にも、 (注5) 白波の岩打つ音やひびくらん鐘の岬の暁の空 衣笠内大臣 (注6) また、家の集、 音にきく鐘の岬はつきもせずな ひびくわたりなりけり 俊頼 (注7) おほせ Slett) また、大名寄に、 聞きあかす鐘の岬のうき枕夢路も彼に幾夜へだてぬ など、諸集に見えて、むかしより竜宮の物とて人々おそれ、誰取りあげんとせし人も無かりしに、当君の先祖、黒田長政、こ の国の太守となりて、「この崇福寺を菩提寺に取り立て、いまだ程よき鐘もなければ、新たに造り鋳んよりは海中にある鐘こ そ名高き鐘なれば、引き上げてこの寺に寄附せん」とありしを、諸臣皆、「この鐘は竜神の惜しみ給ふと古来より申し伝へ候へ ば、今更引き上げ給はんもおそれ有り」と諫めしに、元来長政勇将なれば、聞き入れ給はずして、「我が用にて我が領内にあ る物を取るに、竜神とて惜しむやうやある。早くも海より引き上げよ」とて、数十艘の船を浮べ、鐘の竜頭に大綱をおびたた (注8) りゆうづ Yat Jist さう 税

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日本史 高校生

入試の問題です。解答が出なかったので採点ができません。どなたか解答お願いします😭

A1 選 日本史 日本史の問題は, 【1】 から 【4】 まである。 (0)7 【1】 次の文章を読んで、下の問いに答えよ。 と呼ばれた人々の居住する北方への進出も 大化改新後,古代国家の形が整えられていく中で, ぬたりのさく 開始された。 まず現在の新潟県に拠点として淳足柵などの城柵が置かれた。 その後, さらに積極的な政策が と交流し、朝貢関係を結んだ。 とられ, B の船団が日本海沿岸部の北方に派遣され、各地のA 一方, 太平洋側でも, 宮城県で柵で囲われた7世紀の囲郭集落が発見されている。 中央政府は、城柵や囲郭 A に対しては物資の支 集落に関東などから住民を移住させ開拓にあたらせ,支配領域を拡大した。 給や政治的地位の授与を行い, 服属関係を結んだ。 8世紀に入ると,活発に城柵が設置され,支配領域の拡大が進んだ。 708(和銅元)年に現在の山形県に 出羽郡が建郡され出羽柵がおかれ、 712 (和銅5)年に出羽国がおかれた。その後,出羽柵は現在の秋田県 に遷され、やがて秋田城となる。 724 (神亀元)年には陸奥国府も置かれた が築かれた。このこ ろ, A 側の反発も見られ,720 (養老4)年には反乱も生じている。 反乱終結後, 税負担の軽減や A への懐柔策による安定化が図られ、その後東北では約半世紀間平和が継続した。 一方で桃生城な どの新たな城柵の設置も行われた。 そして774 (宝亀5) 年の桃生城襲撃に始まる A の反乱が開始 され, 三十数年にわたり戦争状態が続いた。 I その間に, 中央では784 (延暦3) 年に長岡京, さらに794 (延暦13) 年に へと遷都が行われ, オ 政治改革が進められたが, A との戦争も本格化した。 征夷大将軍に任命された E は802(延 暦21)年に胆沢城を築き, 翌年さらに志波城を築いて東北経営の拠点とした。 805 (延暦24) 年に,徳政相 論と呼ばれる議論が裁定され, A との戦いに一応の終止符がうたれた。 にあてはまる語句を書け(人名は氏名)。54/5 問1 文中の A~Eの 2 下線部ア~オに関する問いに答えよ。 アその政策の中で実施された, 民衆に対して農地の支給と収容を行う法制度を何というか書け。 これにより, 一部の A は飛鳥に朝貢し, 6世紀末に建立された日本で最初の本格的寺院の 西側の広場で儀礼を行ったことが記録されている。 この寺院の名を書け。 @ 各地の国府に中央から派遣される役人を総称して何というか書け。 エこの中で780 (宝亀11) 年に乱をおこし, C を焼き落とした人物の氏名を書け。 この改革を進めたのは何天皇か書け。 53/5

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地理 高校生

地理のテストの問題を出すとしたらどのような問題を出しますか?写真の範囲から40点分出ます。

SUSTAINABLE DEVELOPMENT GOALS 5 BAR.COM TRY をなくし、食料生産を可能にする ことは、 SDGsにおける17の目標のうち、ど の目標の解決に結び付くのだろうか。 関する と考えられる目標のアイコンを色 世界の食料不足の現状について とらえよう。 の事例から から続可能な食料生産に関連した 13 SDGsの目標を達成するために、日本が協力でき ることや私たちが取り組めることは何か考えよう。 1 食料が十分に得られない人々 ラテンアメリカその他14 合計 4.5 アメリカ 2507 ような地域に多いのだろうか。 1149 Thaあたりの穀物 (2019 5000kg 1000kg/ ブラジル サンヒ 3 深刻な食料不足が起こった地域への国連世界食糧計画(WFP) よる食料理助 (ジンバブエ 2016年) 干ばつが続いたことで農作 収量が減り、子どもを中心に飢餓状態に陥る人が急増した。 8 14 4052 コンゴ共和国 ●(2378) 15 10 16 E 国・地域別) (2018年) 125%以上 75~100 100~12550~75 K エチオピア (2832 4811 バングラデシュ 821 ジンバブエ 11 17 50%未満 資料なし [FAOSTAT] 6 12 日本 6269 中国 6278 18 (2018) (FACE) 栄養不足人口の地域別割合 栄養不足人口はどの 2 世界の物自給率と 1haあたりの穀物収量 | 読み解き 穀物自給率が低い地域に着目しよう。 (3026) 世界には、健康で活動的な生活を送るために必要かつ十分な栄 養を得られていない栄養不足の人々が、7億人近く存在する ( 特に南アジアとサハラ以南アフリカでは,3人に1人の子 どもが、 慢性的な栄養不足のために年齢相応の身長に成長できて いない発育阻害の状態にあり、栄養不良が原因で命を落とす子ど もも多い。アフリカでは、生産技術の遅れなどから穀物収量が少 ないため(図2)、急激な人口増加に食料の増産が追いつかないこ となどが食料不足の原因となっている。 一方, 南アジアでは緑の おんけい かんがいい! 革命によって穀物収量が増えたものの、その恩恵が灌漑施設や化 れいさい 542042 とっぱつき 学肥料の費用を負担できない零細農民には行き渡っておらず (p.99) 栄養不足人口が減らない状況を生み出している。 干ばつなどの気象災害や紛争などによって突発的な食料不足が 発生すると、 迅速な食料援助が必要となる。 国連世界食糧計画 (WFP) は、 食料が欠乏した地域への緊急食料援助を行っており きんきゅう うべ (写真③) 日本や欧米諸国をはじめとする先進国が資金を拠出す ることにより,その活動を支えている。 オーストラリア . アフリカエナビ コン [新] アメリカ合衆国 アドイツ フランス アルゼンチング 1307 (215/7 インドネシア 日本 中国 バス 22インドパングラッシュ 「アジア ヨーロッパ 2012年 (2018年) (FACSTAT. ほか」 91 アフリカなどの発展途上国では、雨水と人力に頼った農業が行われ ていることが多い (写真)。このため、ひとたび干ばつなどが発生す ると、農作物の収量が、人々の食料供給が大打撃を受ける。ま た。 サハラ砂漠の周辺などの乾燥地域では、人口増加によって過度な 耕作や放牧が行われたことで砂漠化が進行し(図)、人々が農業や放 牧で生計を立てることが難しくなる事態も起こっている。 農業ができ なくなった人々は、仕事を求めて都市に流れ、収入が少ないために十 分な食べ物を得ることができない強菌となる。 この悪循環を改善す るためには、干ばつなどにも強い品種の開発 (p.176)、 収量を増 やすための技術協力などによって、その国の境や技術を生かした持 続可能な食料生産システムを構築していくことが必要である。 地生産性 (収穫面積1haあたりの収 主な国の労働生産性と土地生産性 読み解き 土地生産 10 して、アジア諸国とアフリカ諸国を比較しよう。 ①人口のによる 少ない木の残された草地が のの増加 ①草原を掘り起こして何度も同じ作物 表土の流出や 地化 2108 地力の低下 不山 ③ 日本の食料生産を活性化させるための取り組み 日本では海外の安い農産物を輸入するようになった結果, 国内の食料生 が縮小するとともに、 食料の輸送時に多くの二酸化炭素を排出するよう になった。こうしたなか, 地域で生産されたものをその地域で消費するとい 地産地消の取り組みが各地で行われるようになってきた。 これは、生産者 が見える食材を消費者に届け、 野菜の旬や伝統的な食材への理解を深 るなど、地域の子どもたちの食育も後押しする(写真)。また、農業を第 1次産業としてだけでなく, 加工食品をつくる第2次産業 流通・販売を担 第3次産業まで一体化した産業として発展させる6次産業化の動きも、 食料生産を活性化させる取り組みとして注目されている(図3 写真9)。 ③地の破壊 7 給食で地産地消を進める取 り組み (大分県 由布市. 2017年) しゅうかく 地元の農家が収穫したばかりの しょうかい 野菜を小学生に紹介し、農業や食 材への関心を高めている。 家畜の増加 ③細管現象による塩分 地下水位の の上昇(土壌の塩性化) 上昇 (断面図) 加工 人力だけに頼っているため生産性は低い。 だけでなく、 人口の急増による通伐採や過放牧 過耕作などの人為的な要因も関わっている。 の道具で畑を耕す人々 (エチオピア) 16 砂漠化を引き起こす人為的な要因の例 農業生産を難しくする砂漠化の進行には、気候変動 家の放牧 課題と国際協力 の過剰な 販売 4 x 2 ×3 農林漁業者が生産、加工、販売を一体化 8 農林水産業の6次産業化とは の向上 (48687-7 用の道 地域の活性化 6 9 地元産の 野菜を加工品に して販売する とで農業の6 産業化を学 校生(宮崎県 F1.201

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古文 高校生

芥川龍之介 羅生門 局所の指す言葉の意味は 「盗人を選ぶか、飢え死にするかということ」 だと伝わるんですけど、 本文でどこを指しているのか分かりません。 教えてください🙏

げにん らしょうもん ある日の暮方の事である。 一人の下人が、 羅生門の下で雨やみを待っていた。 にぬりは まるばしら きりぎりす 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。 ただ、 所々丹塗の剥げた、 大きな円柱に、 蟋蜂が一匹とまって いちめがさ もみえぼし すざくおおじ いる。 羅生門が、 朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、 雨やみをする市女笠や採烏帽子が、 もう二三人はあ りそうなものである。 それが、 この男のほかには誰もいない。 つじかぜ わざわい らくちゅう はく たきぎ しろ こりす ぬすびと 何故かと云うと、 この二三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか機饉とか云う災がつづいて起った。 そこ で洛中のさびれ方は一通りではない。 旧記によると、 仏像や仏具を打砕いて、その母がついたり、金銀の箔がつ いたりした木を、 路ばたにつみ重ねて、 薪の料に売っていたと云う事である。 洛中がその始末であるから、 羅生門 の修理などは、 元より誰も捨てて顧る者がなかった。 するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲む。 盗人 が棲む。 とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、 棄てて行くと云う習慣さえ出来た。 そこで、日の目が見えなくなると、 誰でも気味を悪るがって、 この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまっ たのである。 からす ごま その代りまた鴉がどこからか、 たくさん集って来た。 昼間見ると、 その鴉が何羽となく輪を描いて、 高い鴟尾の まわりを啼きながら、 飛びまわっている。ことに門の上の空が、 夕焼けであかくなる時には、それが胡麻をまいた ようにはっきり見えた。 鴉は、勿論、門の上にある死人の肉を、 啄みに来るのである。 もっとも今日は、 刻限 ついば こくげん ふん あお が遅いせいか、一羽も見えない。 ただ、 所々、 崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、 鴉の糞が、 点々と白くこびりついているのが見える。 下人は七段ある石段の一番上の段に、 洗いざらした紺の襖の 尻を据えて、 右の頬に出来た、 大きな面皰を気にしながら、ぼんやり、 雨のふるのを眺めていた。 にきび すいび 作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」 と書いた。 しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う 当てはない。 ふだんなら、 勿論、 主人の家へ帰る可き筈である。 所がその主人からは、四五日前に暇を出された。 前にも書いたように、 当時京都の町は一通りならず衰微していた。 今この下人が、永年、使われていた主人から、 暇を出されたのも、 実はこの衰微の小さな余波にほかならない。 だから「下人が雨やみを待っていた」 と云うより も「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」 と云う方が、 適当である。 その上、 今日の 空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。 申の刻下りからふり出した雨は、いまだ に上るけしきがない。 そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして――云わばどうに もならない事を、どうにかしようとして、 とりとめもない考えをたどりながら、 さっきから朱雀大路にふる雨の音 を、聞くともなく聞いていたのである。 さる こくさが 85 g 雨は、 羅生門をつつんで、 遠くから、 ざあっと云う音をあつめて来る。 夕闇は次第に空を低くして、 見上げる と、門の屋根が、 斜につき出した夢の先に、重たくうす暗い雲を支えている。 いらか いとま ついじ うえじに ていかい ほうちゃく どうにもならない事を、どうにかするためには、 手段を選んでいる遑はない。 選んでいれば、 築土の下か、道ば たの土の上で、 死をするばかりである。 そうして、この門の上へ持って来て、 犬のように棄てられてしまうばか りである。 選ばないとすれば――下人の考えは、 何度も同じ道を低徊した揚句に、 やっとこの局所へ逢着した。 しかしこの 「すれば」 は、いつまでたっても、 結局 「すれば」 であった。 下人は、手段を選ばないという事を肯定 しながらも、この 「すれば」 のかたをつけるために、 当然、 その後に来る可き 「盗人になるよりほかに仕方がな い」と云う事を、 積極的に肯定するだけの、 勇気が出ずにいたのである。 ぬすびと くさめ たいぎ ひおけ にぬり 「きりぎりす 下人は、大きな瞳をして、 それから、大儀そうに立上った。 夕冷えのする京都は、もう火桶が欲しいほどの寒さ である。 風は門の柱と柱との間を、 夕闇と共に遠慮なく、 吹きぬける。 丹塗の柱にとまっていた蟋蟀も、 もうど こかへ行ってしまった。 やまぶき かざみ あお うれえ おそれ 下人は、頸をちぢめながら、 山吹の汗疹に重ねた、 紺の襖の肩を高くして門のまわりを見まわした。 雨風の患の ない、 人目にかかる惧のない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、 夜を明かそうと思ったから である。すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の広い、 これも丹を塗った梯子が眼についた。 上なら、 人がいたにし ひじりづかたち さやばし はしご ても、どうせ死人ばかりである。 下人はそこで、腰にさげた聖柄の太刀が鞘走らないように気をつけながら、 わらぞうり 藁草履をはいた足を、 その梯子の一番下の段へふみかけた。 ようす うみ にさび それから、何分かの後である。 羅生門の楼の上へ出る、 幅の広い梯子の中段に、 一人の男が、 猫のように身をち ぢめて、 息を殺しながら、 上の容子を窺っていた。 楼の上からさす火の光が、かすかに、 その男の右の頬をぬらし ている。 短い髪の中に、赤く膿を持った面皰のある頬である。 下人は、 始めから、この上にいる者は、死人ばかり だと高を括っていた。 それが、 梯子を二三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、 しかもその火をそこここと 動かしているらしい。 これは、その濁った、 黄いろい光が、隅々に蜘蛛の巣をかけた天井裏に、 揺れながら映った ので、すぐにそれと知れたのである。 この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、 どうせただの 者ではない。 くも やもり 下人は、守宮のように足音をぬすんで、 やっと急な梯子を、一番上の段まで這うようにして上りつめた。 そうし たいら て体を出来るだけ、 平にしながら、 頸を出来るだけ、 前へ出して、恐る恐る、 楼の内を覗いて見た。 しがい 見ると、楼の内には、 噂に聞いた通り、幾つかの死骸が、 無造作に棄ててあるが、 火の光の及ぶ範囲が、 思った より狭いので、数は幾つともわからない。 ただ、 おぼろげながら、 知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た 死骸とがあるという事である。 勿論、 中には女も男もまじっているらしい。 そうして、その死骸は皆、それが、か つて、生きていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、 土を捏ねて造った人形のように、口を開いたり手を延ばし たりして、ごろごろ床の上にころがっていた。 しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、 ぼんやりした火の 光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖の如く黙っていた。 あ おし げにん ふらん おお 下人は、それらの死骸の腐爛した臭気に思わず、 鼻を掩った。 しかし、 その手は、 次の瞬間には、もう鼻を掩う 事を忘れていた。 ある強い感情が、 ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからだ。 うずくま ひわだいろ や 下人の眼は、その時、 はじめてその死骸の中に蹲っている人間を見た。 檜皮色の着物を着た、 背の低い、痩せ

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