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世界史 高校生

世界史についての問題です🙇🏻‍♀️💦 少し枠が多めなのですがこの空欄の答えが分かる方いらっしゃいましたら答え教えて頂きたいです;;

解答番号 51~60 A 前6世紀頃から, アルプス以北のヨーロッパに広く住みついた民族は何か。 51 ゲルマン人の多くが異端のキリスト教アリウス派を信仰していたのに対し, 正統派であるアタナシウス派に改宗し たフランク王国のクローヴィスは何家の出身か。 52 C ローマ教皇を圧迫するランゴバルド王国を攻撃し、奪ったラヴェンナ地方を教皇に寄進してローマ教皇領の起源を つくった, フランク王国の国王は誰か。 53 D ノルマン人はヴァイキングとして恐れられていたが, 10世紀初め北フランスに上陸してノルマンディー公国を建国 した人物は誰か。 54 E 中世ヨーロッパの農民は農奴と呼ばれる不自由な身分であったが, その荘園の農奴が負担しなければならなかった 義務のうち、領主直営地での労働は何と呼ばれるか。 55 F ビザンツ帝国において, 貴族が農奴を使って経営する大土地所有制が拡大した。 この ような中, 11世紀末以降, 皇帝が中央集権を維持するために軍役奉仕と引きかえに貴 族に領地を与えた制度を何と言うか。 56 14世紀以来のイギリスのウィクリフやベーメンのフスらによる教会批判を収拾するた め、神聖ローマ皇帝の提唱によって1414年から18年まで開かれた会議は何か。 57 H 百年戦争において, 崩壊寸前の危機にあったフランスで,国を救えとの神の託宣を信 じてオルレアンの包囲を破り, イギリス軍を大敗させた農民の娘は誰か。 58-1-58-2 I 「大空位時代」 ののちに皇帝となった人物で、 神聖ローマ皇帝選挙の手続きを定め皇 帝選出権を聖俗の七選帝侯に認めた 「金印勅書」を発布した人物名。 59 右の写真はケルン大聖堂である。 ここに見られる教会建築は, 頭部のとがった尖頭ア ーチと高い塔を特徴とし, 窓にはステンドグラスが飾られた。 このような建築様式を 何と言うか。 60 58・158・2は完全解答

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古文 高校生

この問題の答えを教えてください🙇‍♀️

②館の内につはもの二人出で来て 已然形 連体形 ウ終止形 イ連用形 ア未然形 (=) 次の文章は『土佐日記』の一節である。承平四年(九三四年)十二月、先任の土佐の国司が任期を終えて京へ戻る準備を整えた一 方、後任となる国司が土佐にやって来ていた。後の問いに答えよ。 設問の都合上、一部表現を改めた部分がある。 (注1) (注2) やまとうた あるじまらうど (注4) からうた 二十五日。守の館より、呼びに文持て来たなり。呼ばれて至りて、日一日、夜一夜、とかく遊ぶやうにて明けにけり。 二十六日。 なほ守の館にて饗宴しののしりて、郎等までに物かづけたり。漢詩 声あげていひけり。 和歌、主も客人も、こと人もい ひあへりけり。漢詩はこれにえ書かず。 和歌、主の守のよめりける、 A みやこ出でて君にあはむと来しものを来しかひもなく別れぬるかな となむありければ、帰る前の守のよめりける、 たれ (注5) B ろたへの波路を遠く行き交ひてわれに似べきは誰ならなくに こと人々のもありけれど、 さかしきもなかるべし。 とかくいひて、前の守、今のも、もろともに降りて、今の主も、前のも、手取り交して、酔ひ言にこころよげなる言して、出で入りにけり。 KTHE (注) 1 守の館… 後任の国司が住む館。 はつおんびん 2… ここでは、「~た」という意味の完了の助動詞「たり」の連体形「たる」が撥音便 「たん」になり、さらに 「ん」が表記されなくなったもの。意味は「た る」と同じである。 3饗宴... 宴会をしてもてなして。 4 郎等・・・ 従者。 5 しろたへの… 和歌における枕詞の一つ。 「衣」 など白いものにかかるもので、ここでは「波」にかかっている。 問二重傍線部⑥⑥⑥の活用の種類として最も適当なものを次の中からそれぞれ一つずつ選び、 記号で答えよ。 ア 四段活用 イ 上一段活用 ウ下一段活用 エ サ行変格活用 オ カ行変格活用 カ ラ行変格活用 問二傍線部①1 「遊ぶ」とあるが、ここでは具体的にはどのような行為を表しているか。 最も適当なものを次の中から一つ選び、記号で 答えよ。 ア 旅行 イ談笑 ウ狩猟 エ賭事オ 音楽 問三波線部 の本文中における意味として最も適当なものを次の中からそれぞれ一つずつ選び、記号で答えよ。 ア 本当に ア 大騒ぎして それでも 「なほ」 ウ依然として イ 非難して 「ののしりて」 何度も けんかして オ言われるがまま エ喜んで 問四傍線部②「こと人」とあるが、これはどのような人のことであるか。 最も適当なものを次の中から一つ選び、記号で答えよ。 すっかり酔って D (注)い~ らうどう a

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現代文 高校生

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Since 1994 N TURITORY 【二】 次の文章は、小池昌代の随筆「道について」の一部である。後の問いに答えよ。 (30点) 知っている道に出たときの、あの不思議にほっとする、あたたかい感じ。わたしたちはどんなに大人になっても、身体の奥に、迷子に なることの恐怖をかかえて生きているのではないだろうか。 しかしどんな道も、いかなる町も、生きているひとと知り合うのに似て、少しずつ、だんだんと、なじんでくるものだ。 町の構造がようやく身体に入ってきたころ、「近道」とか「遠回り」というガイネンも入ってきた。 目印だけを頼りに通っていた道が、 案外回りであることがわかったり、思い切って足を踏み入れてみた小路が、思いがけぬところへ抜けていたり。 道を歩くことは、こ うして全身をかけて土地を切り開き、土地にもぐりこみ、土地になじんでいく行為にほかならなかった。 知らない道が見知らぬ場所へひとを誘うのは当たり前だが、知っている道が見知らぬ場所にひとを運んだり、知らない場所がよく知る 道に通じていることを知ることには、いつもささやかな感動がある。 1 道には知っていることと知らないことを結びつける機能が備わってもいるようだ。知っていることを伸ばしていけば、知らないところ へ出る。 知らないものを伸ばしていくと、知っている道に出る。 外国に旅に出ると、特に一人旅では、こういうことは明瞭に起こる。 言葉の不自由さに加えて、土地そのものからはじかれている感じ は、ひとを二重に異邦人にするが、それでもひとつの道が次第に親しい道になっていき、日々、見知らぬ場所へとひとを運び、再び宿へ とひとを戻すとき、その道はひとにとって、水や塩に等しい、命をつなぐ脈ともなる。 そうした道に付けられてある通りの名前を知った りすると、道は、いつでも記憶のなかに呼び出せる、親しい友のような表情さえ表す。 初めての道に足を踏み入れるときは、いつも身体に緊張が走るが、すべての道は、二度目に通るときから、「知っている道」になるこ とも面白い。当たり前のことだが、そのことはうれしい。 二度目に通るとき、ひとは、今の道と記憶のなかの道の、二つの道を同時に歩 くのだ。 以前、わたしの友人に、新しい記憶ほど剥がれ落ちてしまうという記憶障害を持っているひとがいた。そのせいなのだろうか、彼は何 度来ても、わたしの家へたどりつけない。 わからなくなったと、途中で電話が入る。 障害のことをそのとき知らなかった。そのたびに駅 まで迎えに行って、目印になるものを教えながら歩いたが、ついに、ひとりではやってくることができなかった。 わたしの祖母の呆けも、自分の家に帰れなくなったところから始まっている。 祖母も友人も、どれほどに自分がもどかしく、ふがいなく、心もとなく、不安だったことだろう。あのときは、ただ困った状況として とらえるだけで、彼らの不安そのものには目が向かなかった。 行きたい場所へ、行き着けないいま思うと、彼らの不安は、わたしの不安そのものに思える。 不安はすべて、未来を先取りした途 上に生まれ、その意味で、生きることはそのまま丸ごと、「不安」そのものだ、とわたしは思う。 子供のころ、迷子になったことがある。 夏の朝、家の前の道を、ひとりでずんずんと進んでいった結果、とんでもないところへ出てし まったのであった。 気がついて見回した町並みは自分のまったく見知らぬ場所である。見知らぬひとが歩いている。 見知らぬ自転車がとまっている。 自分 で勝手に歩いてきただけなのに、自分の帰るべき根元のようなものが、ぷっつんと音をたてて切れてしまったようだった。 遠心力のよう な透明な力によって、リフジンに道端に捨てられたような気がした。 わたしは、ひとりだった。 あたたかい共同体からはじきだされて。 こん棒で胸をつかれたような、激しい悲しみの感情がわいた。 わたしは大声をあげて、泣いたのではなかったか。 今でも遊園地やデパートや公園などで迷子のアナウンスがなされると、その子供の不安が自分のなかで、同じくらいの大きさにふくら んでしまう。きっと誰かが迎えに来てくれるに違いないと思うが、そうしたアナウンスは、見つかりましたという結果までは流さない。 とっ さに脳裏に浮かぶのは、親から見捨てられた、永遠の迷子としての子供のイメージである。 それが自分のなかの悲しみのようなものと共 鳴する。 ここはどこ? すべての迷子は、まずその疑問に射抜かれている。いつも暮らしている場所にいるとき、わたしはそんな質問をもった ことがなかった。自分が生きている場所を見失う不安、それは自分自身を見失う不安のことなのかもしれない。 ここはどこ? というひ とつの疑問は、わたしはだれ? という次の疑問を容易に呼び出しそうな気配を持っている。 しかし、わたしは、自分が迷子になったあのときの、ひりひりとした、 異様に新鮮な不安を、大人になった今、時々、味わいたいと思 & e 1

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世界史 高校生

世界史のプリントで空欄の部分がわからないです、、 教えてください💦💦お願いします、

【3】 文章中の空欄にあてはまる適切な語句を記入しなさい。 回 中世ヨーロッパには支配階級の 1 聖職者と2騎士、支配を受ける階級の 3 農民1 といった身分制度があった。支配階級の 騎士は4土地 によって支配関係が成り立っていた。農民は_6 5 た。農民は _と呼ばれた。その後、鉄製の農具が使用され、農地を三つに分ける9 力が向上した。領主は_10不輸の権といって税を拒否する権利や、11不人の権 ar _ を仲立ちとした主従関係である、 JAN によって支配されてい って国王を支配する土地に立ち入らせない権利を持っていた。そのため、有力者に進んで土地を譲り渡す、 12 が行われた。これを受けた教皇の権力は増大し、13イン/テンティウス3世 ときに絶頂となった。 国東 11世紀にはローマ教皇によって200年間に7回にわたって 140 教皇 15 ウルバヌス2世は1095年に 16 クレルモン宗教会議 征軍の派遣を決定した。 第一回目の遠征軍はパレスチナに 17エルサレム王国 _を開いてこの遠 というキリスト教国 家を建設することに成功した。 第四回遠征軍はコンスタンティノープルを占領して 18 ラテン帝国西 建設した。 083 に服さなければならず、土地を離れることができなかったために、 8 圃農法によって生産 とい の _が派遣されるようになる。 ち ①帝 EVE すぐ 【4】 以下の問いに答えなさい。 第5回放送講座から出題しています。 1. 教皇によって遠征軍が派遣された目的はどこを取り返すため? 2. 教皇は誰からの救援に応じて遠征軍の派遣を決定しましたか? 豊一イェルサレム ビザら皇国 OF 140* 81 3. 第四回遠征軍はどのような人々の要求によってコンスタンティノープルを占領しましたか? ヴェネツィア商人

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