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政治・経済 高校生

ブレトンウッズ体制の固定相場制は全世界共通の価格なのですか???

2 ② IMF(国際通貨基金) IMF(国際通貨基金) 1945年設立 かわせ ① 為替の安定 固定相場制。 こっぱい 目的 ② 為替の自由化・・・・・・ 為替制限の撤廃。 ③ 国際収支の安定・・・赤字加盟国への短期融資。 日本は 1964年、IMF14条国 (為替制限可) から ※ 1952年加盟 8条国 (為替制限不可) へと移行。 IMFがめざすものは何ですか? 川せると加 の実現 IMFは、戦争の経済的要因を通貨の側面から除去するために設立された。 だからやるべきことは、まず何をおいても1の「為替の安定」だ。そして 通貨価値を安定させたければ、 交換レートをガチガチに固定しちゃえばいい。 そ ういう目的で、IMFは固定相場制を採用したんだ。 固定相場制って、 どんな制度なの? わかりやすくいうと、 変形の金本位制だ。 この当時、世界のほとんどの国は金不足だった。 でもアメリカだけは莫大 な金保有量を誇っていた。 きん ならば、世界で唯一 「米ドルだけが金と交換できる」ようにした上で、そのド じく ルを貿易の中心通貨 (=基軸通貨)にし、各国通貨をすべて「4ドル=いくら」 で表示していけば、世界の通貨価値は間接的に金の価値と結びつくことになる。 >< む、難しい! でもゆっくり考えればわかった。 ②の為替制限とは、例えば「円とドルの交換は禁止します」 みたいな「通貨 「交換の制限」のことだ。 これがなされれば、当然貿易は縮小する。 だからIMFで は原則的には認めない。 ただし例外的に、途上国 (=IMF14条国) には認められる。 途上国の商品は 競争力がなく、輸入ばかりが増えがちになるため、場合によっては為替制限を認 めてもらえないと、 際限なく貿易赤字がふくらむ恐れがあるからだ。 日本も最初は途上国扱いだった。 でもオリンピック景気の頃からは先進国扱い = IMF8条国) に格上げされている。 このIMF14条国から8条国への移行を 「資本の自由化」というんだ。 これで正確にはp.282にも書いたように、資金 移動が自由化されるとともに、 企業進出の自由化が実現した。 も戦争要因の除去には不可欠だ。 国際収支の赤字国、 つまり金のない国は、 かくさく 局面打開のために戦争を画策する可能性がある。 だからそういう国に融資するこ とは、戦争防止につながるんだ。 ③IBRD (国際復興開発銀行) IBRDは通称 「世界銀行」 とも呼ばれ、戦後復興資金の貸付用(その後は途上 国への援助用) に設立された。 戦後復興と途上国、この2つは、どちらも気長に待たないといけない融資先だ。 だからIBRDの融資は、IMFと違って長期融資だ。 ③全世界共通??? 例えば金ないくには1月に80円 ある人には1ドル=120円と とかしょする?? 2 経済分 ただしこのシステムでは、アメリカだけが世界中からの金との交換要求に 応えなければならないため、責任重大だ。でもアメリカがそれをやってく れるおかげで、他の国は金を全然持ってなくても安心して貿易できるんだ。 350 | 第2講 経済分野 21 国際経済 1 351

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日本史 高校生

苦手な教科なので、わかる方お願いします。 至急でお願いします。

答えはすべて解答欄に書きなさい。 (2) 高度経済成長について、 各文の空欄に適する語句を解答欄に 書き入れなさい。 (教科書 P.286~P.289 参照) [2] ① 朝鮮戦争による特需で日本の経済復興は加速したが, 1960年 に成立した池田内閣の ( ① )により,その後の高度経済成長 の方向付けがなされた。 高度成長の過程では(②)と呼ばれる 石炭から石油へのエネルギー源の転換も進んだ。 農業分野では, 1961年に経営規模の拡大や自立経営の育成などを目指す (③)が制定された。 経済や社会の構造の変化は、水俣病な どの(④)問題のように、 様々な社会問題も発生させた。 ② (2) ③ ④ [3] 占領と改革に関し、 以下の設問に記号で答えなさい。 [思・判・表] [3] (1) (1) 財閥の解体と農地改革に関する次の説明で、正しいものを一つ 選び記号で答えよ。 (教科書 P.271 参照) (2) ア GHQ は,同族経営のもとに多角的経営を行い、 独占的地位 を有する財閥を反民主的存在とみなし、 1945 年末に解体を 求めた。 (3点×4) (3点×2) イ 1947年には,一切の独占的組織を禁ずる独立禁止法が制定され, 執行機関として公正取引委員会が設置 された。 ウ 日本政府が自主的に決定した農地改革案はGHQに評価され、第一次と第二次の2回に分けて、1946年 11月から実施された。 I 当初,不在地主の農地所有は一切認められなかったが, 苦情が殺到したため,後に, 小規模不在地主の農 地所有が認められた。 オ農地改革で多くの小作人が自作農になり、土地を手に入れた農民は生産意欲を高めたので、 全ての農民の生 活水準が向上した。 (2) 経済安定政策に関する次の説明で、正しいものを一つ選び記号で答えよ。(教科書 P.277 参照) ア1948年12月, アメリカ政府はGHQ を通じ, 片山内閣に対して経済安定九原則を指令した。 イ GHQの経済顧問として来日した銀行家のドッジは, 1ドル=120円の単一為替レートを設定し, 輸出振興を 図った。 ウドッジ・ラインやシャウプ勧告などの政策により, 1949年中ごろにはインフレが鎮静化し, 中小企業を中心に生産 が回復してきた。 エデフレ政策と増税により大企業の倒産が増えたことに加え, 行政整理や企業の人員整理が進んだ結果, 失業 者が増加した。 オ官公庁労働者の争議行為の禁止, 労働運動の左右両派への分裂, 国鉄関係の事件の続発などで労働運動 は沈滞化していった。

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