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現代文 高校生

文章の意味が分かりません。 単語とか調べたものの、筆者の伝えたいこと、 各段落の内容が分からないので分かりやすい言葉で教えてほしいです。 問題の解説が掲載されていないため、漢字問題以外、解説お願いできませんか?🥺 シャーペンが私の、間違っていたとこのみピンクで正解を示して... 続きを読む

off ② ひとひととして向き合い、関係を構築すること自体が稀なことだから。 ⑧ 自立した主体の確立こそを理想とする社会の中で育ってきたから。 ④他者との関係性を損なわないためには、互いに適度な距離をとることが必要だから。 ⑥ 関係だけでなく、個人の能力も自分の本質を為すものとして無視できないから。 五日 (解答番号は、第二間で【古文】あるいは【現代文】 のいずれを選択した場合でも1~35 です。) 第一問 次の文章を読んで、設問 (問1~間10)に答えよ。 ひとりの人間と、彼/彼女が最初に出会うことば 〈言語〉との関係は、自明であり必然的であるというよりはるかに、ある種 偶然と事故によって支配されている。ひとりの人間がその誕生時において引きずる言語的ケイプそのものも、すでに複雑で した経路と水をかかえている。そうだとすれば、ことばの獲得とは、生得的な関係による る種の根源的な喪失とのなかから再発見 再獲得されるなにかであることになる。そのときことばは、私たちの生地ではな なものではなく、あ く、移住地であるのかもしれないのだ。 もしそのように考えることが許されるなら、ことばは私たちの存在を根源的に決定づけるなにものかであることをやめる。こ とばと私たちとの関係のなかに、 な属関係・新有関係を前提としない、旅と移住の運動性が生まれはじめる。こ とばはそれ自体として説明されるのではなく、それが言語的な未発の意識とのあいだに保存する記憶や痛みや欲動のほうから 定義され、そのことによってことばは言語的言語外的な認識によってつねに流動の渦のなかに置き直される。 私たちはみな、自分自身の前言語的な存在のかたちを、ことばという場に住みつかせるのだ。言語を とせずに存在する自分自身というものがあって、それをあらためてことばという異土に移り住まわせる。 そのとき、われわれが な手掛かり ことばを使うという行為は、本来的にすでに移住の行為、移民の行為だということになる。私たちはそのようにして日本語の世 さらにいえば、私たちはそのようにして、日本語話者としての「日本人」へと移民した。 ブラジルでは、ればふつう 「グラフィチ」と呼ばれる。 街路の壁々に描かれた、奔放な落書きのような風刺絵。 そもそもイ タリア語で柱や壁に傷をつけて書かれた「掻き文字」を意味する考古学用語が、日常の街路の壁の落書きをさすことはと 定の業界で仲間内だけで使われる僕。 された「グラフィティ」 (Graffiti)を、そのままブラジルのポルトガル語風に発音すれば「グラフィチ」。この国の街で、グラ フィチはあらゆる通りと路地とに満ちている。消されても消されても、人々は色とりどりのスプレーをふたたび持ってきては、 知らぬ間に家々の、シャッターを呟くばかりの想像力の氾濫によって色と線で埋め尽くしてしまう。 落書きが文字だけであれば、それはふつう「ビシャソン」である。 独特の字体に、特のようなことばの断片が踊り、かぶ 文字が歌やのかたちに変容してきだし、壁の平面に陰影の凹凸が生まれ、ことばに色と風合いとかたちが備わりはじ める。俗っぽいことばや政治的なスローガンを書き連ねる(「ビシャール」=壁に落書きを描く)だけのピシャソンにまじって、 時々はっとするほど時的な数行が、うす汚れた壁面に陥っていることもある。 ブラジルのグラフィチやビシャソンの世界の豊能さを、ブラジルを訪ねるはるか以前に私がはじめて知ったのは、デニス・ テッドロックの詩集『夢の暦の日々』のなかの記述からだった。 ニューメキシコのズニ族や、グアテマラのキチェ族の口承文化 や神話の研究で知られる北米の人類学者・民俗学者テッドロックは、ブラジルのカンピーナス市に滞在して特異な詩集のコウソ ウを練っていたとき、町の落書きのひとつに印象的な詩句を発見する。彼はそのポルトガル語の詩句を、こう写し取ってい VAI-SE A PRIMAVERA QUEIXAS DE PASSAROS, LAGRIMAS NOS OLHOS DOS PEIXES テッドロックが住んでいた家からわずかに二ブロックほど離れた路地に書かれていた、このビシャソンの飛び跳ねる奔放 筆跡を想像しながら、私はすぐに(テッドロックもおそらく気づいていない) この詩句の出自を理解した。 24一般入試A問題 (2024 AG-B-1) 介護は介護する介護されるという立場が明確であり、その主体は介護される者であるため、介護される者が介護とい 関係を受け容れることを待つことしかできない。 介護する者と介護される者の間にひととひととの個別的関係が築かれるためには、それぞれが主体と客体としての役割 をバランスよく果たしつつ、対話の機会を十分に持つ必要がある。 春がゆく鳥の嘆き 涙が魚の目に (行く春や鳥啼き魚の目は mmm はしょう 「奥の細道」の矢立初めの句としてよく知られたこの芭蕉の詩句が、ブラジルの地方都市の路地の壁に優美に踊っているの 想像して、私は不思議な興奮にとらえられた。芭蕉の句が、地球の対地点にまでたどりつく三百年をこえる時の道程のなか で経験した無数の声と文字による橋の過程に携帯用の筆入れと墨壺である立」からとりだされた筆記用具によって 聖の手帖の表面に走った毛筆の軌跡が、時を超えて、南米の植民都市の街路の壁の、スプレーによる躍動する落書きへと転 写されるという、筆跡の機知に満ちたはるかなる旅程に。 このビシャソンとなった芭蕉の句において、過ぎゆこうとする「春」はもはや日本的な春の惜別の感傷を宿してはいない。 ブ ラジルの春とは、いったい植物的な陰喩として測られるものなのか、それとも生き物や食べ物の推移として感知されるものなの か、それすらもはや判然とはしない。 ここで悲しく啼く熱帯の鳥とは? アマゾン川の獰猛な魚の目に溜まる泪とは? 日本語 の Haikaiへと転生するあいだに、ひとつの文化が感情の構造として宿していた意味と感覚の図の が、ポルトガル語の 一体が破れ、異形の、しかしみずみずしい力にあふれた別種のポエジーが、一気に侵入する。 自宅の近くの壁にお気に入りの落書きを見いだしたテッドロックは、たしかにこの時の古典日本的起源を知ることはな かったかもしれない。 しかし「夢の暦の日々」という詩集が示すように、彼はブラジルにおいて経験する日常的な出来事と、そ の反映としての夢のイメージとを、彼がよく知るマヤ=キチェ族の暦の形式に置き換えられた日録のなかに書き込んでいった。 「の」の日にはじまり 「一三の死」の日で一回転する精緻なマヤ暦のなかで自らの日常と幻想とを反することで、彼は近 代世界を統べる日常の時間から離脱し、先住民の生きてきた別種の暦との連続性の感覚のなかに入ってゆく。人類学という実践 そのものが異なる時間性の境界を越えてつかのま生きる実践であり、自らがフィールドにおいて生きたはずの別種の時の充足 ふたたび近代的な時間の支配するアカデミーのなかへと回収してしまう逆説的な行為であるからこそ、人類学はつねに幻影 既存の粋を解ょうヒスコ 夢のを「詩」として、フィールドノートと民族誌の余白に分泌するほかはない。 そして、テッドロックの想像力のなか に堆積した、そうしたヨジョウとしてのポエジーの氾濫が、ポルトガル語となった芭蕉の詩句による無意識のによってうな がされたものであることは、かえって芭蕉の転生としてのビシャソンの力を示している。ハイカイは、ここでたしかに、異土に 移住して別種の「時」と季節を渡りながら、ことばと文字がたどる一つの真実の旅の道程を見事に示している。 ブラジルにおいて、俳句をブラジル時のゼンエイ的な運動へと架橋し、芭蕉の評伝的なエッセイを書いた詩人がパウロ・レミ ンスキーである。姓からも察せられるように、彼の祖父母はポーランド系の開拓移民で、さらに彼の母親には黒人の血統も流れ こんでいた。ポーランド系ムラート〈黒い混血児〉のブラジル人。 この特別のケイフの混合に、レミンスキーは大いなる誇りと を感じていたという。(中略) クリチバという日系人も多く住むブラジル南部の街に生まれ育ち、 「日本」と早くから出逢い、若いときに日本語を習 得したレミンスキーが芭蕉と出会うのは、かならずしも驚くべき偶然とは言えなかったかもしれない、とわかる。そしてポーラ ンド系ムラートのブラジル人によって書かれた、ポルトガル語による唯一の「芭蕉伝」は、やはり「奥の細道」の冒頭における 俳聖の漂泊の心持ちを伝えることからはじまる。 あのビシャソンにもあった「奥の細道」の矢立初めの旬が、ここでも引用さ れているのだ。 レミンスキーによるこの句のポルトガル語ヴァージョンはつぎのとおりである。 primavera não nos deixe pássaros chorum lágrimas no olho do peixe 実験・野心弟で (2024AG-B-3) (2024AG-B-4)

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現代文 高校生

文章の意味が分かりません。 単語とか調べたものの、筆者の伝えたいこと、 各段落の内容が分からないので分かりやすい言葉で教えてほしいです。 問題の解説が掲載されていないため、漢字問題以外、解説お願いできませんか?🥺 シャーペンが私の、間違っていたとこのみピンクで正解を示して... 続きを読む

た。 問4 傍線部 (3) 「このことを、なぜわれわれは素直に認めることができないのだろうか」とあるが、この問いに対する筆者 考えとして最も適切なものを、次の①~⑥のうちから一つ選べ。解答番号は2 ① 他者に対して心を開くことは危険を伴うことだから。 ② ひとひととして向き合い、関係を構築すること自体が稀なことだから。 自立した主体の確立こそを理想とする社会の中で育ってきたから。 ④他者との関係性を損なわないためには、互いに適度な距離をとることが必要だから。 ⑤ 関係だけでなく、個人の能力も自分の本質を為すものとして無視できないから。 upt 解答番号は、第二間で 【古文】あるいは【現代文】 のいずれを選択した場合でも1~25です。) 第一問 次の文章を読んで、設問 (問1~問10)に答えよ。 ひとりの人間と、彼/彼女が最初に出会うことば 〈言語〉との関係は、自明であり必然的であるというよりはるかに、ある種 の偶然と事故によって支配されている。ひとりの人間がその誕生時において引きずる言語的ケイブそのものも、すでに複雑で錯 した経路と水脈をかかえている。そうだとすれば、ことばの獲得とは、生得的な関係によるAなものではなく、あ ある種の根源的な喪失と離脱のなかから再発見・再獲得されるなにかであることになる。そのときことばは、私たちの生地ではな く、移住地であるのかもしれないのだ。 もしそのように考えることが許されるなら、ことばは私たちの存在を根源的に決定づけるなにものかであることをやめる。こ とばと私たちとの関係のなかに、A な帰属関係所有関係を前提としない、 旅と移住の運動性が生まれはじめる。こ とばはそれ自体として説明されるのではなく、それが言語的な未発の意識とのあいだに保存する記憶や痛みや欲動のほうから 定義され、そのことによってことばは間言語的言語外的な認識によってつねに流動の渦のなかに置き直される。 私たちはみな、自分自身の言語的な存在のかたちを、ことばという場に住みつかせるのだ。言語を な手掛かり とせずに存在する自分自身というものがあって、それをあらためてことばという異土に移り住まわせる。 そのとき、われわれが ことばを使うという行為は、本来的にすでに移住の行為、移民の行為だということになる。私たちはそのようにして日本語の世 へと移住した。 さらにいえば、私たちはそのようにして、日本語話者としての「日本人」へと移民した。 ブラジルでは、それはふつう 「グラフィチ」と呼ばれる。 街路の壁々に描かれた、奔放な落書きのような風刺絵。 そもそもイ タリアでに傷をつけて書かれた「掻き文字」を意味する考古学用語が、日常の街路の壁の落書きをさすことばへと転用 された「グラフィティ」 (Graffitti) を、そのままブラジルのポルトガル語風に発音すれば「グラフィチ」。この国の街で、グラ フィチはあらゆる通りと路地とに満ちている。消されても消されても、人々は色とりどりのスプレーをふたたび持ってきては、 知らぬ間に家々の商店の壁、シャッターを目呟くばかりの想像力の氾濫によって色と線で埋め尽くしてしまう。 書きが文字だけであれば、それはふつう 「ビシャソン」である。 独特の字体に、符牒のようなことばの断片が踊り、かぶ 文字がや虫のかたちに変容してきだし、壁の平面に陰影の凹凸が生まれ、ことばに色と風合いとかたちが備わりはじ める。俗っぽいことばや政治的なスローガンを書き連ねる(「ビシャール」=壁に落書きを描くだけのビシャソンにまじって、 時々はっとするほど時的な数行が、うす汚れた壁面に踊っていることもある。 ブラジルのグラフィチやビシャソンの世界の豊さを、ブラジルを訪ねるはるか以前に私がはじめて知ったのは、デニス・ テッドロックの詩集「夢の暦の日々』のなかの記述からだった。 ニューメキシコのズニ族や、グアテマラのキチェ族の口承文化 神話の研究で知られる北米の人類学者・民俗学者テッドロックは、ブラジルのカンピーナス市に滞在して特異な詩集のコウソ ウを練っていたとき、町の落書きのひとつに印象的な詩句を発見する。 彼はそのポルトガル語の詩句を、こう写し取ってい VAI-SE A PRIMAVERA QUEIXAS DE PASSAROS, LAGRIMAS NOS OLHOS DOS PEIXES テッドロックが住んでいた家からわずかに二プロックほど離れた路地の壁に書かれていた、このビシャソンの飛び跳ねる奔放 筆跡を想像しながら、私はすぐにテッドロックもおそらく気づいていない〉 この詩句の出自を理解した。 24一般入試A問題 (2024AG-B-1 (2024AG-B-2) ② 介護する 不十分さが解消されるため、その関係を豊かにすることに注力 介護が人間に向けられたものとなり、その人間の豊かさに寄与するものとなるためには、人間の価値を能力から切り離 で捉えた上で、介護する者と介護される者の間に心が開かれた関係が形成される必要がある。 介護は介護する介護されるという立場が明確であり、その主体は介護される者であるため、介護される者が介護とい う関係を受け容れることを待つことしかできない。 介護する者と介護される者の間にひととひととの個別的関係が築かれるためには、それぞれが主体と客体としての役割 をバランスよく果たしつつ、対話の機会を十分に持つ必要がある。 春がゆく鳥の嘆き 涙が魚の目に 行く春や鳥啼き魚の目は 巨) primavera não nos deixe passaros choram wwwwww (注) ばしょう 「奥の細道」の矢立初めの句としてよく知られたこの芭蕉の詩句が、ブラジルの地方都市の路地の壁に優美に踊っているの を想像して、私は不思議な興奮にとらえられた。芭蕉の句が、 地球の対地点にまでたどりつく三百年をこえる時の道程のなか 経験した無数の声と文字による橋渡しの過程に携帯用の筆入れと墨壺である矢立」からとりだされた筆記用具によって 俳聖の手帖の表面に走った毛筆の軌跡が、時を超えて、南米の植民都市の街路の壁の、スプレーによる躍動する落書きへと転 写されるという、筆跡の機知に満ちたはるかなる旅程に。 このピシャソンとなった芭蕉の句において、 過ぎゆこうとする「春」はもはや日本的な春の惜別の感傷を宿してはいない。 プ ラジルの春とは、いったい植物的な陰喩として測られるものなのか、それとも生き物や食べ物の推移として感知されるものなの それすらもはや判然とはしない。ここで悲しく啼く熱帯の鳥とは? アマゾン川の獰猛な魚の目に溜まる泪とは? 日本語 の俳諧が、ポルトガル語の Haikai へと転生するあいだに、ひとつの文化が感情の構造として宿していた意味と感覚の連関の統 一体が破れ、異形の、しかしみずみずしい力にあふれた別種のポエジーが、一気に侵入する。 自宅の近くの壁にお気に入りの落書きを見いだしたテッドロックは、たしかにこの詩句の古典日本的起源を知ることはな かったかもしれない。しかし「夢の暦の日々」という詩集が示すように、彼はブラジルにおいて経験する日常的な出来事と、そ の反映としての夢のイメージとを、彼がよく知るマヤ=キチェ族の暦の形式に置き換えられた目録のなかに書き込んでいった。 「一の鹿」の日にはじまり 「一三の死」の日で一回転する精緻なマヤ暦のなかで自らの日常と幻想とを反芻することで、彼は近 代世界を統べる日常の時間から離脱し、先住民の生きてきた別種の暦との連続性の感覚のなかに入ってゆく。 人類学という実践 そのものが、異なる時間性の境界を越えてつかのま生きる実践であり、自らがフィールドにおいて生きたはずの別種の時の充足 をふたたび近代的な時間の支配するアカデミーのなかへと回収してしまう逆説的な行為であるからこそ、人類学はつねに幻影 夢の残滓を「詩」として、フィールドノートと民族誌の余白に分泌するほかはない。 そして、テッドロックの想像力のなか に堆積した、そうしたヨジョウとしてのポエジーの氾濫が、ポルトガル語となった芭蕉の詩句による無意識の刺によってうな がされたものであることは、かえって芭蕉の転生としてのビシャソンの力を示している。 ハイカイは、ここでたしかに、異土に 移住して別種の「時」と季節を渡りながら、 ことばと文学がたどる一つの真実の旅の道程を見事に示している。 ブラジルにおいて、俳句をブラジル時のゼンエイ的な運動へと架橋し、芭蕉の評伝的なエッセイを書いた詩人がパウロ・レミ ンスキーである。姓からも察せられるように、彼の祖父母はポーランド系の開拓移民で、さらに彼の母親には黒人の血統も流れ こんでいた。ポーランド系ムラート〈黒い混血児〉のブラジル人。 この特別のケイフの混合に、レミンスキーは大いなる誇りと 刺を感じていたという。(中略) クリチバという日系人も多く住むブラジル南部の街に生まれ育ち、流謫の「日本」と早くから出逢い、若いときに日本語を習 得したレミンスキーが芭蕉と出会うのは、かならずしも驚くべき偶然とは言えなかったかもしれない、とわかる。そしてポーラ ンド系ムラートのブラジル人によって書かれた、 ポルトガル語による唯一の「芭蕉伝」は、やはり「奥の細道」の冒頭における 俳聖の漂泊の心持ちを伝えることからはじまる。あのビシャソンにもあった「奥の細道」の矢立初めの句が、ここでも引用さ れているのだ。 レミンスキーによるこの句のポルトガル語ヴァージョンはつぎのとおりである。 lágrimas no olho do peixe (28) (2024AG-B-3) (2024AG-B-4)

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世界史 高校生

最後の問題以外わかりません。 誰か、間違いでも構わないので教えてください、

基本事項の確認 ①ユダヤ人の民族的指導者モーセが, エジプトにいたユダヤ人を率いてパレスチナに脱出す る途上、神から授かったものとは何か。 ( ) ②ユダヤ人が神の命に従って生き, 神との契約によってユダヤ民族は神から特別に選ばれた 民とする考え方を何というか。 ) ③ユダヤ人の日常生活は,すみずみにまで宗教的観念にもとづく規定が定められていたが, その規定の総体を何というか。 ) ④ イエスは、罪人とされ, 差別されていた人びとと交わり、あらゆる人に向けられる神の無 償の愛を説いた。 これをカタカナで何というか。 ) ⑤ イエスは、神の愛,神への愛, 隣人愛を説いたが, 「善きサマリア人」にみられる, その中 でも最も重要としたものは何か。 ( ) ⑥ イエスの弟子たちの筆頭はペトロであるが、イエスの教えを伝える活動をする人びとの中 で、とくにめざましいはたらきをした人物とは誰か。 ) ⑦ キリスト教の三元徳とされ, パウロがしたためた多くの書簡で価値あるものとされていた のは何か。 ) ⑧ キリスト教の教義や組織が整えられていき, 教会の父を意味する 「教父」と呼ばれた人物 で, 『告白』 を著した人物とは誰か。 ( ⑨ 神アッラーから啓示を受け, 神への絶対的帰依と神の前での人間の平等を説いた人物とは 誰か。 ( ) ① イスラーム共同体では、 神の意志の下に宗教 道徳 法律が一体化していたが, イスラー ム法のことをカタカナで何というか。 ( シャリーア )

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地理 高校生

この白地図がテスト範囲なんですけどどんなことを問われますか!!?

-1.5 -45 -30% ⑩ イギリス padle 1101/ フランス ⓒイスタンブール MELNT 2000 ①楯 ノルウェー 首 ⑥ モスクワ エ 4000km トルコ エチオピア ④ アフリカ大陸 作業2 地図帳を参照して,面積の大きい国上位10 か国を解答欄に記入しよう。 パキスタン ⑥ ムンバイ 1位 ロシア連邦 16位 オーストラリア連邦 2位 カナダ 17位 インド 3位 アメリカ合衆国 8位 アルゼンチン 4位 中華人民共和国 9位 カザフスタン 5位 ブラジル連邦共和国 10位 アルジェリア インド ⑥インド洋 1位 中国 12位 インド 105 120- ①コーラシア大陸 ロシア連邦 デレッシュ 13位 アメリカ合衆国 14位 インドネシア 15位 パキスタン 16位 ブラジル 7位 ナイジェリア 中華人民共和国 ジャカルタ 全作業1 地図帳を参照して, 地図中の1~5の大陸 作業3 本誌p.209と地図帳を参照して, 人口1億 名,および⑥~8の海洋名を記入しよう。 人以上の国 (2021年) を赤で着色し、 多い 順に解答欄に記入しよう。 18位 バングラデッシュ 9位 ロシア ペキン ⑤5 オーストラリア大陸 10位 メキシコ 11位 日本 12位 エチオピア 13位 フィリピン 14位 エジプト 165 Mages アメリカ ⑧ テンチン 18m -60% シャンハイ ①チョンチン 165 ・フランス ⑦ 太平洋 [②2 北アメリカ大陸 150° ① スヴァールバス ジブラルタル ③ グアム ④ ニューカレドニア 水ロサンゼルス 島 フランス 島 アメリカ合衆国 メキシコシティ ③3 南アメリカ大陸 リア 宗主国 ノルウェー イギリス アメリカ合衆国 フランス Ang ブエノスアイレス ⑤ タヒチ ⑥ グリーンランド ⑦プエルトリコ ⑧ ギアナ ②ューヨーク デンマーク 大西洋 STUL いい アメリカ ブラジル 島 作業 4 本誌p.230と地図帳を参照して, 地図中の⑥ ~Dの人口1,000万人以上の都市名を記入しよう。 作業 5 地図中の①~ ⑧は属領・植民地である。 本誌p.248と地図帳を参照して、 領土名を解答欄に記入しよう。 領土名 領土名 宗主国 ⑧ フランス [サンソン[ ホモロサイ 正距方 6? ◎サンパウロ フランス It フィ デンマーク アメリカ合衆国 フランス 7

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地理 高校生

考えても分からないので教えて欲しいです!

数科書p.144-145 p.89-95/p. 多様な民族によって生まれた独自の生活文化 メモ 2015 ラテンアメリカ p.145回目を参考にし て、その間において、人種・民族構成 のグラフの混合で 色しよう。 「ラテンアメリカは混血の人々の割合が 大きい の 。これは、ヨーロッパ だったラテンアメリカ では厳しい労働や感染症で先 住民の人口が減少し、アフリカからの e が連れてこられたという があるんだよ。 メキシコ (ムラート)ー crowd 「主な言語 「メステージ) 「アフリカ スペイン語 ポルトガル語 英 コロンビア 語 ■オランダ語 フランス語 (メステーン) 42 BRUSSENBAR 人種・民族構成 その他 ヨーロッパ系 an (メスチーン)」 ベルー s! (メスチーン) チリ 先住民 ラテンアメリカの主な言語と人種・民族 ドミニカ共和 (ムラート) 確認 教科書を参考にして、次の文章に適語を記入しよう。 アルゼンチン ていこく ◆ラテンアメリカには、インカ帝国に代表されるように②_ 3000m 2048 北口線 ブラジル 「ウルグアイ こうれいぎょう ◆ブラジルのリオデジャネイロの恒例行事であるカーニバルは, もともと謝肉 とよばれるヨーロッパにおける ①_ _の宗教行事だった が、アフリカ系の人々が参加することで, サンバのリズムで踊るにぎやかな おど 祭りに変化した。 の高 度な文明があった。 しかし, スペインやポルトガルなどのラテン系のヨー すい を広げたことで, その文明は急速に衰 ロッパ人が進出し ③_ 返した。 ◆ヨーロッパ人による ③ 時代には、②は④_ や鉱山な かんせんじょう えいきょう どで働かされ,厳しい労働や感染症の影響でその人口が減少するとアフリ 力から⑤ として大勢の人々が連れてこられた。 にちかくさ ◆アンデスの高地は⑥_ _の特色をもち, 気温の日較差が20~ 30℃と大きく、夜は0℃近くまで冷え込むことがある。 D 79ページの答え ② サンフランシスコ近郊のシリコンヴァレーの「ヴァレー」は「谷」で, フェニックス周辺のシリコンデ きまく ILLUTA その場所の自然環境が名前になっているんだね。 2部 15 事例9 ラテンアメリカ 2 伝統的な食文化と農業開発の歴史 作業 教科書p.147 を参考にし て、 右の図において、 畑 で着色し よう。また、さとうきびの記号を赤で 囲もう。 さとうきびは、 . や の メキシコ.. even 畑で栽培が盛んなんだね。 さとう きびから何をつくるんだろう? 自動車の増加が関係しているよ。 考えてみよう。 メキシコ R 太 数科書p. 146-147 p.89-95/71-76 メキシコ 平 エクアドル 200 熱帯林 サバナ 18 ベルー TRUEISTAR その他 バナナ カカオ コーヒー ●大 豆 アンドファガスティ かんきつ類 オレンジ ラテンアメリカの農業地域 チリー 大 19 2098 アマゾン グランパウロ ブラジル アスアイレス ahnaz アルゼンチン P メモ! 確認 教科書を参考にして、 次の文章に適語を記入しよう。 きゅうしゃめん かいたく ULI ◆アンデスの高地では、人々は山の急斜面を開拓して標高に合わせた作物を栽 増してきた。 例えば、高地の農村では作物の多くを家族や村のなかで消費す ①_ が営まれている。 標高 2000m付近までは熱帯に近 が栽培されている。 い気候で、 コーヒーやバナナなどの② ◆牛の放牧はヨーロッパ人が温暖なこの土地を開拓し、そこに持ち込んだ文化 では であり、19世紀に冷凍船が発明されると, 大草原の③ れいとうせん さか 輸出用の肉牛の飼育が盛んになった。 ◆ラテンアメリカの大規模な農牧場では,スペインやポルトガルから持ち込ま ④ _による経営が行われてきた。 てんかん じゅよう ◆牧草地から大豆 さとうきび畑への転換が進んでおり, 大豆は日本や、 需要 が高まっている中国などへ輸出され, さとうきびは砂糖や, アルコールの一 に加工される。 種である ⑤ バッ地理くいず ラテンアメリカが原産ではない野菜は、次のうちどれ? ① トマト ② とうがらし ③ たまねぎ

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