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古文 高校生

竹取物語の現代語訳読んでもわからないのでわかりやすく教えて欲しいです、最後の3行わかりません

古 3rd ステップ 1 たけとりものがたりると、 22 文悟 古物 竹取物語 ワークコーナー1の作業例 ○はワーク①、 □はワーク②、 はワーク ③の解答例 () ラ変体 名 助 名 名 下二用助名助 カ変用完了・終 名 名 名 助名助 四用 サ四体 かかるほどに、 男ども六人つらねて庭に出で来たり。 一人の男、 文挟みに文をはさみで申す、 要点の確認 こうしているうちに、 男たちが六人、連れ立って 庭に 出てきた。 一人の男が、 文挟みに 訴状を挟んで申し上げることには、 ○文章展開図 文=匠たちの < 竹取の翁〉 <皇子〉 かぐや姫が 文の内容 サ四尾 助名 名 名 助 ラ四用 ラ四用 過去・体 名 名四・用助 名 助名助 サ四用 「作物所の匠 漢部内暦申さく、玉の木を作りつかうまつり しこと、 五穀断ちて千余日に力を尽くし 五穀を断って 千余りの日の間、力を尽くし 「作物所の 職人、 漢部内が 申し上げます玉の枝を お作り申し上げたことは、 〇皇子は 位もくださ 副詞の呼応打消〉 完了・体 名 未 終 接 I ラ四・未打消・終 名助八四用助 名 助八四・未使役・未意志・終 助八四用ガ下二・用 ○かぐや姫が たること少なからず。しかるに、緑いまだ給はらず。これを給ひて、家子に給はせ む」と言ひて捧げ この宮から ことは 少なくありません。 それなのに、 手当をまだいただいておりません。(かぐや姫が私に)手当をくださって、(私から)弟子たちにお与えさせましょう。」と言って (文を高く差し出し 存続・終 名助名助サ四・体 助 名助 ※文末用法(強調) カラ 断定・ 打消 名 名 雇用助 ラ変未 本 名 助 たり。 竹取の翁、「この匠が申すことは、何事ぞ。」と傾きをり。 皇子は、我にもあらぬ気色にて、 解答 ている。 竹取の翁は、 「この職人が 申し上げることは、 どういうことですか。」と首をかしげている。 皇子は、 自分が自分でないような 様子で、 II I ワ上一八四・ 名ヤ下二用 命(巳)存続終 名 助 名 カ四用助 名助 ラ四体名助ラ四・命 助 八四用助上一已助 5 肝消える給へり。これをかぐや姫聞きて、 非常に驚いて座っていらっしゃる。 これを 「この奉る文をとれ。」と言ひて見れば、 名助サ四用過去・体 文に申しける かぐや姫が聞いて、 「匠がさし出している訴状を取りなさい。」と言って(文を)見ると、 訴状に申し上げた ※連体形の代用。この「同じ」を連体形ととる説もある。← (尾) シク・体 名助 名 名 名 使役・ シク・終名助 ラ下二用ワ上一用ハ四用助 体 名 ラ四・未 四 やり、皇子の君、千日いやしき匠らともろともに同じ所に隠れる給ひて、かしこき玉の枝作らせ給ひ ことには、「皇子の君は、 千日間身分の低い 職人たちと一緒に 同じ場所に 隠れて いらっしゃって、 立派な玉の枝を(匠ら(私たち)に)お作らせに 名 名四未意志・終 助 サ下二用ハ四・用過去・終 助 名 サ変体助 名 助 助 なって、官位もお与えになろうと おっしゃった。 四 当然体 名 官も給はむと仰せ給ひき。これをこのごろ案ずるに、 助 サ変・用 これを このごろ よく考えると、 御使ひとおはしますべきかぐや姫の要じ ご側室としていらっしゃるはずの かぐや姫が 必要と 名助名 助 ラ四当然体断定終 四終 八四・終推量体断定用詠嘆終助ラ四用助 給ふべきなりけりと承りて、 なさっているに違いないのだよと承知して、 のアクセス ラ四・未意志・終助サ四・用助 この宮より給はらむと申して、 このお邸から(緑(手当)を)いただこう」と申し合って、 「給はるべきなり。」と言ふ。 (匠たちは)「当然いただくべきです。」と言う。 太字は打消の助動詞

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英語 高校生

most の後ろのof themは省略していいのですか?? また but most have never before been so deeply convinced of the importance of their work.この文の訳し方がよくわからなく読めません... 続きを読む

講義音声 17 40 比較 《否定語+ 現在完了 [仮定法] + 比較》 の as [than] now の省略 UNESCO employees have been long devoted 〈to increasing S V M₁ C 40/88 international cooperation (in the areas (of education, science, and M2 culture))〉, but most have never before been so deeply 接 S 助 M1 M2 V convinced 〈 of the importance (of their work)〉. M3 1. 比 + 仮 こと 例 るの い。 C 仮 ださ 日本語訳例 例 ※1 *2 国連教育科学文化機関の職員は,教育, 科学, 文化の分野で国際協力を拡大するこ ※4 ※3 ※3 *5 と に長い間尽力してきたが,職員の大半は,自らの仕事の重要性を今ほど深く確信 したことはかつてなかった。 *6 直訳 ※1 UNESCO の訳は 「ユネスコ」 でも可です。 ※2 ※3 employees の訳は 「従事している人々」 「従事者」は可ですが 「従業員」は不適切です。 さざ have been devoted to ~ の訳は 「〜に献身してきた」 「~に打ち込んできた」 「~に身 [時 間]を捧げてきた」 「〜に専心してきた」 「〜に専念してきた」 「~に力を注いできた」 などでも可 とします。 ただし, 「~に没頭してきた」 は不自然です。 ※4 increasing ~は「(協力)を増やすこと」 「~の増加」 は不自然です。 「(国際的な協力)を高 止めることは可です。 「~を加速させること」は誤訳です。 ※ 5 目には most は most of them (=the employees) なので 「職員の大半」 とします。 ※6文の後半はas now 「今ほど」 を補って訳してください。 so deeply の soは省略されている as now に呼応する so なので, 「それほど (深く~を確信した)」 と訳さないように注意してください。 して 本 thei と訳 2. W 「私 で 辞書 「疲

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古文 高校生

高校古典です!! 玉勝間の師の説になづまざることについてです!! 最後の『そはいかにもあれ』は現代語訳するとそれはどうでも良いことだになるのですがそれとは何を指すのですか? どなたかよろしくお願いします🙇‍♀️

たと つくろ て、 接助(単純) ナリ・用 よさまに ただ師を んは、 ひら 八四・用 ラ変・未・補 仮・体係助(区別)副 取り持っているとしたらそれは、 体裁よく 尊みて、 のみ 助(対象) 副助(限定) マ四・用 接助(単純) ただ師の存在)だけを尊んで、 思はざる 助(対象)助(区別) 八四・未打・体 (学問の)道を大切に)思わない態度で のりなが みち たふと なり。 2宣長は、 道を 断・終 係助(区別) 尊みいにしへを 助(対象) マ四・用 思ひて、 助(対象) 八四・用接助(単純)ナリ・用 ひたすら ひたるに道の ある。 宣長(私)は、 (学問の) 道を尊んで、古代のことを大切に思って、 おも こころ むね を 思ひいにしへの 格助(対象) 八四・用 意の 明らかな ことを 旨と 故に、 助 (連体) 格助(主格) ナリ・未 婉・体 助(対象) (原因) を思い、 古代の精神が 明らかになることを 第一と思うために、 副詞の呼応 たふと ことわり わたくしに を 尊心理の 欠け ことを ば、 えし 助(状態) (対象) マ四・体格助(主格) カ下二・未・体 ざること 助(対象)係助(区別) 副副助(強意)係助(強意) マ上一・未打・体 配慮できないことが も 顧み 師を尊ぶ道理が 欠けるようなことを、 どうしても 個人的に 、 ある なほ わろしと、 そしらん人は ・ラ変・体格助(対象) 副 あるのを、 やはりよくないと、 終 格助(引用) ラ四・未婉・体 非難するような人は そしりてよ。そは 保助(区別) ラ四・強・命 非難して結構だ。 せんかたは 「保助(区別)ク・終 それはどうしようもない。 保助(区別) 私は ひと ひと 人に こころ そしられじ よき 格助(受対) ラ四・未受・未打意・終ク・体 非難されないようにしよう、よい人に ならんと て、 助(結果) ラ四・未意・終格助(引用)接助(単純) なろうと思って、 道を 曲げ、 いにしへの 人から 助(対象) ガ下二・用 (学問の)道を曲げ、 助(連体 古代の精神 副詞の呼 を 曲げ 助(対象) ガ下二・用 接助(単純)副 を曲げて、 て、 さてあるわざは ラ変・体 結びの省略(ある) ず 保助(区別) 副サ変・未・打・用係(強意) そのままでいることは とてもできない。 ●これすなはち わが ん。 師の 道を 明らかならんこと 助(主格)ナリ・未 婉・体 (学問の)道が明らかになること おも 思ふが (引用) 八四・体格助(連体) 14 心なれ ・巳 たらそれは、ただ師の存在だ けを尊んで、(学問の)道を 大 切に)思わない態度である。 1宜 長(私)は、(学問の)道を尊んで、 古代のことを大切に)思って、 ひたすら(学問の道が明らかに なることを思い、古代の精神が明 らかになることを第一と思うため に、個人的に師を尊ぶ道理が欠け るようなことを、どうしても配慮 できないことがあるのを、やはり よくないと、非難するような人は 非難して結構だ。それはどうし ようもない。私は人から非難さ れないようにしよう、よい人にな ろうと思って、(学問の)道を曲げ、 古代の精神を曲げて、そのままで いることはとてもできない。こ れはつまり私の師の考えであるの で、かえって師を尊ぶことでもあ るはずではないか。それはどう でもよいことだ。 接続 助(連体) 助(体) これはつまり 結びの省略(あらん) 「私の師の 考えである たと ば、 かへりては 師を 尊むにも ある べくや。 接助(順確原因) 副 ので、 係助区別) そは かえって 助(対象) マ四・体断用係助(強意)ラ変・体・補当・用保助(疑問) 師を尊ぶことでも あるはずではないか。 いかにも あれ。 区別 保助(同)ラ変・命 それはどうでもよいことだ。

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現代文 高校生

模倣となぞりの教科書の読解と構成の答えが分からなくて教えて欲しいです🙇‍♀️🙏

<課題>具体例に基づいて論を構成する力を身につけよう 筆者は豊富な具体例と二項対立を提示しながら、日本の芸道におけ る身体訓練を考察していく。書道・舞踏の稽古といった事例や、自分 議論を支える文献などを参照しながら、模倣と「なぞり」、「形」と 「型」といったよく似たことばを対比させることで、日本文化における 身体のあり方という大きなテーマを言語化していくのである。筆者の 議論を参考に、具体的で説得力ある議論の組み立て方を学んでいこう。 ●構成 「模倣と「なぞり」」(一七四・1)の違いについて、本文に沿って 筆者の考えを説明しなさい。 2、「型」(一七五、1)と「形」(一七七・114) とはそれぞれどのような ものか、整理しなさい。 読解 「雪面と全身とが相呼応して、いわば両者の変転が一つの活動と して進行してゆく」 (一七五・122) とはどのようなことか、説明 なさい。 2.「『~できる』知、身に染みこんだ図式にほかならない」 (一十 ・16) とはどのようなことか、説明しなさい。 「心身態勢を内部から「なぞる』」 (一七八・144) とはどのようなこ とか、説明しなさい。 4.「型破りが『さまになる』」(一八〇.8)とはどのようなことか、 説明しなさい。 ●言語活動 1. 「なぞり」によって身につけたものにどのようなものがあるか、 話し合ってみよう。 「模倣」について自分なりのテーマを定め、「序論(問題設定)」 「本論(具体的事例に基づく考察)」 「結論(問題設定に対する自分の 答)」という構成で、八〇〇字以内で論じてみよう。

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日本史 高校生

すみません、答えが分かりません教えてください

1340 1320- ●ポイント 40 20. 室町幕府の成立 ① 10 JAFR MT 【重要用語】 ① 鎌倉幕府はなぜ滅亡したのか。 ようりつ ほくちょう じゅりつ 基盤とし,のち足利氏に擁立されて京都に北朝を樹立した。 □12(大覚寺統 ② 天皇親政の理想をかかげた建武の新政が短期間で崩壊したのはなぜか。 へん けんむ 正中元弘の変を経て鎌倉幕府を滅ぼし, 建武の新政を実現。 □14 ( 挙兵し, 諸国の反幕軍の興起を促した。 建武の新政で重用。 新田義貞 こうき うなが 15 1305~58 鎌倉幕府の有力御家人であったが,元 ろくはらたんだい りはん 弘の変で六波羅探題を攻略し, 新政に参加。 のち離反。 60 1301~38 鎌倉幕府の御家人。 元弘の変で鎌倉を あしかがたかうじ 攻撃し幕府を滅ぼした。 建武の新政で足利尊氏と対立。 170 がわら らくしょ 〕 1334年京都二条河原に立てられた落書で, 建武 ふうし ねんかん き 新政権下の混乱ぶりを風刺した。 「建武年間記』 に収められる。 こうごん □180 1321~80 足利尊氏に擁立され持明院統から光厳 せいい 天皇のあとを継ぎ即位。 1338年尊氏を征夷大将軍に任命した。 90 よしの 〕 1336年, 後醍醐天皇が吉野に開いた大覚寺統の ・朝廷。 北朝を擁立する室町幕府と争い, 南北朝の動乱を現出。 にかいどうぜえん ) 1336年,足利尊氏が二階堂暮らに諮問し,替 鎌 倉 幕 府 ③ 南北朝の分立とはどのようなものであったか。 尊 だいかくじとう 13 (後醍醐天皇) 1288~1339 笑覚寺統から即位。 親政を行い, しん しせい 申された室町幕府の施政方針。 11 じんのうしょうとう き 中心人物。 南朝の正統を主張した 『神皇正統記』を著した。 氏 □120 こうのもろなお しゅうしゅう 氏の執事 高師直と直義の対立に始まり、尊氏の直義毒殺で収拾。 じみょういん 基盤とし、鎌倉幕府の干渉により持明院統と交代で皇位についた。 20. 室町幕府の成立 ① 建武の新政と南北朝の内乱 MARCUSKE AT ごふかくさ こうとう ちょうこうどう 後深草天皇に始まる皇統。 長講堂領を経済的 かめやま はちじょうにょいん 亀山天皇に始まる皇統。 八条女院領を経済的 かわち どう ごだいご おう 】1294~1336 河内の土豪。 後醍醐天皇に呼応して 朝 大覚寺統] 後醍醐天皇 ごむらかみ 1293~1354 後醍醐・ 後村上天皇に仕えた南朝の 文保の和談 南北朝の内乱 ただよし 1350~52年の足利尊氏と弟直義の対立抗争。尊 6 with (両統) 1迭立 後醍醐天皇吉野に移る 南関東・九州で 戦う 正中の変 元弘の変 <建武の新政 (二条河原の落書) 筑後川の戦い (菊池氏) 「持明院統」 尊氏入京、 光明天皇擁立 建武式目制定 北 室町幕府 尊氏, 一時帰伏朝 半済令 一観応の擾乱 守護大名 りょうとうてつりつ ◆両統迭立 持明院統と大覚寺統が皇位を争っ たため, 1317年幕府の仲介で文 保の和談が成立し, 両が交代で 皇位につくこととなった。 したかとき 北条高時 たかすけ 鎌倉幕府14代執権で、最後の得 宗。 内管領長崎高資に実権を握 られ、幕政を乱した。 もり ◆◆護良親王 後醍醐天皇の皇子。 父を助け討幕 運動に活躍し、 建武新政府で征夷 大将軍となるが、足利尊氏と対立 ゆうへ なかせん し失脚。鎌倉に幽閉され、中先 代の乱の時足利直義に殺害された。 いらいついか ◆建武以来追加 しきもぐ> じょうえい 建武式目は施政方針を述べたもの で, 基本法としては永式目が 用いられた。そして貞永式目の追 加や修正は、建武以来追加といわ たいへいき ぱいしょうろん 「太平記」と「梅松論」 どちらも南北朝の動乱を題材とし また軍記物語であるが、 「太平記」 は 南朝の側から,「梅松論」は足利尊 氏の側から描かれ、 好対照をなす。 〔地方〕 建武政府の職制 天皇 〔中央〕 国司・守護 ( 陸奥将軍府 鎌倉将軍府 -武者所(警備) しゃどころ 雑訴決断所 ぎつけっぱんしょ T恩賞方(思食事」 記録所(重要政

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