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日本史 高校生

見づらくてすみません🙇‍♀️ 江戸時代の交通網は、どのように広がっているだろうか。 この問いを教えてほしいです

4 江戸時代の交通と主な特産品 かんきん ねん 米や商品作物、特産品の換金や大消費地へ の輸送のため、海運が発達した。 陸上でも、 ごかいどう 五街道など多くの街道が各地をつないだ。 もう 読み解き 江戸時代の交通網は、どのように 広がっているだろうか。 まつまえ 江差 松前 はこだて 箱館 昆布 はちのへ 青森 八戸 日本海 秋田 1000 ちょうせん 朝鮮 つしま 対馬 -朝鮮通信使の 通った航路 しものせき 下関 「はかた ○ はぎ 8 べにばな 金 佐渡 [紅花」 せんだい お 仙台 小和 「新潟 しらかわ とうじき 陶磁器 [綿織物] 輪島 白河 日光 おき 隠岐 富山 |薬 みや 宮古 けせんぬま 気仙沼 いしのま 宇都宮 |銀 ふくやま 銀 府 京都 広島 広島 福山 岡山 大坂 さい やま ちょうど 獅子 博多 和歌山 陶磁器 長崎 大 平 洋 かつお かつお ご かいどう とうかいどう 五街道/東海道 & 鹿児島 こうしゅう 清・オランダ からの航路 りゅうきゅう 琉球からの たねがしま 0 200km 節の航路 7種子島 甲州道中 にしまわ ・西廻り航路 ひがき たる ・菱垣廻船・樽廻船の航路 奥州道中 日光道中 東廻り航路 その他の航路 ちかせんどう にっこうどうちゅう 中山道 おうしゅう 主な特産物

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日本史 高校生

この2つの答えはエとイであっていますか?

(2) 江戸幕府の組織のうち奉行についての説明で正しいのはどれですか。 ア 寺社奉行は大規模な寺院・神社の統制, 町奉行は江戸・大阪の市政, 勘定奉行は幕府財政と江戸周辺の 支配を担当した。 イ 寺社奉行は幕府財政と直轄地の支配, 町奉行は江戸の市政, 勘定奉行は寺院・神社の統制と寺社領の 支配を担当した。 ウ 寺社奉行は寺院・神社の統制と寺社領の支配, 町奉行は大坂の市政, 勘定奉行は幕府財政と直轄地の 支配を担当した。 エ 寺社奉行は寺院・神社の統制と寺社領の支配, 町奉行は江戸の市政, 勘定奉行は幕府財政と直轄地の 支配を担当した。 (3) 寛永文化の絵画の分野についての説明で正しいのはどれですか。 ア 狩野派の狩野探幽は朝廷の御用絵師となり高い位に就いた。一方, 大和絵の土佐光起は幕府の絵師として 高い位に就いた。 イ京都の俵屋宗達は大胆な構図により新しい装飾画を始めた。 代表作に建仁寺蔵の「雷神風神図屏風」がある。 ウ家康から京都鷹ヶ峰の地を与えられた本阿弥光悦は, 蒔絵などの調度品や楽焼の茶碗などに洗練された作品を 残した。 I 備前焼の酒井田柿右衛門は, 赤絵 (色絵の一種) の技法を完成させた。代表作は「色絵花鳥文大深鉢」で ある。

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日本史 高校生

宝暦、天明期の文化の問題です。15番を教えてください。

やまがただい [12 明和事件] (1767) 山県大弐 江戸で尊王論→死刑 がもうくんべい らいさんよう 高山彦九郎 諸国遊説, 蒲生君平 『山陵志』 頼山陽 『日本外史』 (3) 生活から生まれた思想 ぜんかん とひ とあん ①心学(京都) (13石田梅岩 『都鄙問答』 平易な町人道徳 手島堵庵・中沢道二らが ② 封建社会への批判 (4) 儒学と教育 ① 幕府 ふんど (14 安藤晶益 『自然真営道』 万人直耕の自然の世が理想 18世紀後半 儒学のうち古学派 折衷学派・考証学派がさかん →寛政異学の禁(1790) で朱子学を正学に→官立の昌平坂学問所設置 ほんと ② 諸藩 藩校(藩学) 藩士の教育 郷校(郷学) 城下から離れた地の藩士や庶民 ③民間 私塾 [15 〕 (大坂) 町人出資, 富永仲基(16 井幡彬) なかもと 寺子屋 一般庶民の初等教育, 読み・書き・そろばん 女子教育 『女大学』 貝原益軒の著作をもとに作成 女性の心得を説く (5) 文学と芸能 出版物や貸本屋の普及 さんきょう しかけ きょうし ① 小説 17 洒落本〕:118 山東京伝) 『仕懸文庫』 [19 黄表紙 〕: 恋川春町 『金々先生 ほん [20 よきぶそん 上田秋成 『雨月物語』 ② 俳諧 与謝蕪村 (天明期) 『蕪村七部集』 はやる なんぼ しょくさんじん やどやのめしも ③ 風刺 川柳 柄井川柳ら撰 『誹風柳多留』 狂歌: 大田南畝(蜀山人), 石川雅望 (宿屋飯盛 ) でんじゅてならいかがみ ④浄瑠璃 竹田出雲 (18世紀前) 『仮名手本忠臣蔵』 『菅原伝授手習鑑』 近松半二 (18世紀後) 『本朝廿四孝』 るの だんきん (6)絵画 ① 浮世絵 宝暦期 [21 錦絵 〕 (22鈴木春信) 「弾琴美人」 など 多色刷りの版画を ME ふじょうちゅっぽん 寛政期 美人画 〈23 喜多川歌麿) 「婦女人相十品」など とうしゅうしゃちく えびぞう 役者絵・相撲絵 (24東洲斎写楽 「市川蝦蔵」など 大首絵の手法 ②写生画 (25円山等) 「雪松図屏風」 など 遠近法の手法 円山派 立画(画) 26

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日本史 高校生

至急でお願いします。

答えはすべて解答欄に書きなさい。 [1] 近世社会の成熟と幕藩体制の動揺に関し、次の各問いに答えなさ [1] い。 [思・判・表] (1) 享保の改革と経済の発展について、 各文の空欄にふさわしい語句 を解答欄に書き入れなさい。 (教科書 P.166~P.168 参照) 1716年, 紀州藩主 (①) が8代将軍となり、 享保の改革が 始まった。 この時代は、 手工業生産にも変化が見られ, 京都の西 陣から高機が伝わると, 北関東では問屋商人が原料や資金を農家 前貸し 製品を受け取る (②)も現れた。 学問の世界では, 江戸の儒学者 (3) が中国古代言語を研究して古典の解釈を 試み、 また、政治・経済などへの造詣の深さから ( ① )の政治 顧問にも就任した。 彼の説く学問は経世論として確立され、幕藩 体制に動揺のきざしが見えるとさらに盛んになり、弟子の ( ① )は、 藩による商業活動や専売制の必要を論じるなど, 後世にも通じる 経済論を展開し、江戸の政治、経済思想上に名を残している。 (2) 近世社会の成熟と危機の始まりについて、各文の空欄にふさわしい 語句を解答欄に書き入れなさい。 (教科書 P.170~P.174 参照) (1) (2) e 2 ④ ① 3 © A (3点×12) 庶民の初等教育機関である(①)は, 18世紀半ばから19 世紀半ばにかけて増加・普及した。 文化面では、文人画の世界で 秀作を残しながら、 俳句の世界でも活躍した(②)が現れた。 同時代の画家には, 動植物を題材とする優れた作品を多く残した (③)もいる。 浮世絵の分野では, () が多くの美人画を描き人気を博した。 日本の古典を研究する (5)では、賀茂真淵や本居宣長が,文献学的な研究を発展させた。 政治の世界では、10代将軍家治の時代に老中を務めた (⑥) が, 商人の経済力に着目した財政再建に 取り組んだが、賄賂政治の批判を受けたり、相次ぐ天災や凶作で「(⑦) の大飢饉」が発生するなど, 社会 不安が広がる中, 失脚した。 農村でも変化が見られ、18世紀半ばには有力な百姓の中から農村工業や商業な どの多角的経営を始める (⑧)が各地に登場した。

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日本史 高校生

徳川家の出来事A〜Fまでを年代の古い順に並ばなければいけないのですが、BFDAECの順であっていますか?教えて頂きたいです🙇🏻‍♀️

3 以下の問に答えよ。 A: 徳川家宣は、 朱子学者の(Ⅰ)と側用人の間部詮房を信任して、 政治の刷新をはかろうとした。 しかし、 徳川家宣は在職わずか3年余りで死去し、 そのあとを継いだ徳川家は満3歳であったため、 引き続き ( I )らが幕府政治を担うことになった。(I)は①長崎貿易で、 多くの金銀が流 出していたことを問題視し、これを防ぐために② 貿易額を制限した。 B:③関ヶ原の戦いで勝利したⅡは、1603年、④全大名に対する指揮権の正統性を得るための 征夷大将軍の宣下を受け、江戸幕府を開いた。1605年、将軍が世襲であることを諸大名に示すため、 子の(Ⅲ)に宣下を受けさせた。その後(Ⅱ)は駿府に移ったが、大御所として実権を握り続 け、大坂の陣で豊臣氏を攻め滅ぼし、その直後、大名の居城を1つに限り、⑤武家諸法度を制定して大 名をきびしく統制した。(Ⅲ)は、⑥天皇や公家が守るべき朝廷の運営などの基準を定め、娘を御 水尾天皇に入内させた。 C : 徳川宗家 (本家) がとだえると、 ⑦ 御三家の紀伊藩主であった(Ⅳ)が将軍になった。 ( N )は、29年間の在職のあいだ、諸政策を実行して②幕政の改革に取り組んだ。18世紀後半 は⑨幕藩体制にとって大きな曲がり角となった。 ⑩ 三都や城下町の町人地中心部に住む都市民衆は、零 細な棟割な側に住み、わずかな ① 貨幣収入で暮らしを支え、物価の上昇や飢饉、災害のときには、たち まち生活を破壊させた。 D : 幼少の徳川家綱を会津藩主で叔父の(V)が支えたことで、 社会秩序が安定しつつあった。 平和 が続く中で、 重要な政治課題となったのは、戦乱を待望する 12牢人や 「かぶき者」 への対策であった。 17 世紀後半には、政治の安定と経済の発展とを背景に(VI)が将軍となった。 ( V )の政治 は(VI)が(a)として支えた。 (VI)は代がわりの武家諸法度を出し、 13 幕府の統治理念 に変化があった。 また (VI)は、 1生類すべての殺生を禁じ、 捨子の保護なども命じた。 E 15 田沼意次が退いたあと、 徳川家斉の補佐として (b)に就任したのが、 白河藩主(VII)で ある。 国内外の危機がせまるのを感じて、飢饉で危機におちいった農村を復興することによって、幕府 の財政基盤を復旧し、 ⑩6 打ちこわしを受けた江戸の治安問題を解決し、 17 ロシアを中心とする 18 海外勢 力に対応するための 19 諸政策を実行していった。 IX SUPRA CRE F:徳川家は、 1635年、新たな武家諸法度を発布し、諸大名に法度の遵守を厳命した。 その中で、 大名には20国元と江戸とを1年交替で往復する制度を義務づけ、大名の妻子には江戸に住むことを強 制した。こうして()の頃までには、2幕府の職制についても整備された。 1637年、2島原 の乱後、幕府は、キリスト教に対してきびしい監視を続けていった。 問1 A~Fの文中(I) ~ (V)に入る人物名をそれぞれ漢字で答えよ。 IX 知・技 9

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