学年

教科

質問の種類

古文 高校生

このプリントの答えがわかる方がいらっしゃれば教えてください😭 数が多くて申し訳ないのですがよろしくお願いします🙏

番 古典探究「雪のいと高う降りたるを」 雪のいと高う降りたるを、A例ならず御格子参りて、炭櫃に火おこして、物語などしてB集まり候ふに、 「C少納言よ。 香炉峰の雪いかならむ。」 と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、D笑はせ給ふ。 巨人々も「Fさることは知り、歌などにさへ歌へど、G思ひこそよらざりつれ。なほ、Hこの宮の人にはIさべきなめ り。」 と言ふ。 1 読み仮名 御格子 炭概 候ふ 御簾 2 語句の意味 参る 例ならず 候ふ . 3 文中の状況はどのようなものか、整理せよ。 4 傍線部A、Gをわかりやすく口語に改めよ。 5 傍線部Bについて、敬語を抜き出し、その種類、敬意の方向を答えよ。 6 傍線部Cは「遺愛寺鐘敵枕聴、香炉峰雪撥簾看」を根拠とする、誰の詩の一節か。 7 また、この詩の内容を踏まえた時、傍線部Cのように言葉を発した意図がわかる。 何か、その意図をわかりやすく説 明せよ。 傍線部Dの主語、またEがどのようか かを答えよ。 り 傍線部Fは何を指すか。 傍線部Hは誰を指すか。 傍線部文法的に説明せよ。 添加 文中より天下の副助詞を抜き出せ。 右の文の入る作品は何か。また著者名を答えよ。

回答募集中 回答数: 0
古文 高校生

回答配られず復習ができないので下の方、どなたか正しい答えを教えて頂きたいです🙇‍♀️

値古今著聞集|源義家、衣川にて安 倍貞任と連歌のこと 三 傍線部分の助動詞について、その終止形 を答えよ。また、その意味と活用形を、そ (文新-) - 次の語句の読みをすべてひらがな(現代一 仮名遣い)で記せ。 の古今著聞集一 安倍貞任一 S 。 れぞれ後のア~カから選び、記号で答えよ。 こもんちもんび くs (完答2点×5) 0川ありげれば) 貞任ら堪へずして 逃れ落ちけるを 言はれたりければ一 [ASS と言へりけり S今S-) 4 陸奥 鎮守府 軍の男ども の衣川の館一 八幡太郎義家 ヘS 終止形動 意味一 活用形 3まんたう2上し S5] )O こゴ]の ヘ へ 線部分の語句の意味として最も適当な一 ものを、後のア~エから選び、記号で答え一 [意味) す。 雪、はだれに降りて一 (EX) ア 推量 H - 誕当 4 カ尊敬 ェ 完了 どっさりと さかんに (活用形] 貞任響をやすら アおさめて一 ウ下に向けて一 はげたる矢をさし外して一 ア 表面がばさばさになった」 ィ色の落ちた一 ウ鳥の羽根の部分が落ちた」 ェ弓につがえた Oやさしかりけることかな」 ア 未然形 イ 連用形 オ 巳然形 ウ終止形 ェ 連体形 休憩して、 命令形 「衣のたてはほころびにけり」と「年を 経し糸の乱れのくるしさに」の連歌の掛詞 を指摘し、何と何を掛けているのか、漢字 で答えよ。また、運歌に使われている縁語 を三つ答えよ。 掛詞 【衣のた】 まと 縁語 【 本 .ほこう、 簡単である (完答3点×2) ィ きまりが悪い 風流である 耐えがたい ア みぞれ混じりに ィゆるめて イ はらはらと 組 Iエイオイ イイエイオ

回答募集中 回答数: 0
現代文 高校生

現代文の100字要約の問題です。 上手くまとまらず、悩んでいるのでわかる方教えていただきたいです。

現代文の文章ですが、松尾芭蕉以降の近世の世界観を逃 さてここで、「山吹や蛙飛びこむ水の音」に戻ろう。このようにかはづの和 歌の歴史を見てくると、「山吹」「かはづ」「水」という組み合わせはさほど不 思議ではない。しかしここにはすでに、和歌の観点から見た場合、重大な欠落 がある。それは「鳴く」という言葉の欠落だ。連歌集である『蒐玖波 集』の 歌でさえ、「なにごとのあらそひか有る鳴く蛙」と、かはづは鳴くことになっ ている。しかし芭蕉はかはづを鳴かせなかった。「蛙飛びこむ水の音」という 着想だけでも、これは和歌の言葉を通して見た自然ではなく、その隙間を縫っ て芭蕉自身が発見した新しい自然だった。かはづは鳴かない。なんと、ぶざま にも水に飛び込んだのである。そして山吹の問題だ。其角は和歌の歴史から 言って当然のように山吹をつけた。なにしろかはづが鳴かないのだから、せめ て山吹でもないことには歌の道に連なることができない。しかし(芭蕉は即座 にそれを退け、やがて「古池や」に至ったという。結果としてここに、「山吹」 も「清流」も「鳴く」も無い、無いものだらけのかはづの句ができた。千年の あいだ続いたかはづの自然は、ここにあとかたも無く崩壊したのである。 それにしても、このような和歌の歴史の中で考えてくると、なんと革命的な 句なのだろう。単に和歌で必須とされる要素が無い、というばかりではない。 鳴く」に対して「 I」が対時され、「声」に対して「 Ⅱ 時され、「清い」に対して「一 D の文章を読み、あとの設問に答えよ。 芭蕉は「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」と言ったという。『三冊子』 はこの言葉について、「X私意をはなれよといふ事也」と書きとめている。魔 末保は、このようなことが言われるには、「松が、まさにそこにある松、つま り、 即物的に接することのできる松として出現しはじめた時代だという前提が なければならない」と論じた。これは「江戸時代にとって自然とは何であった か」という問題を考える上での根幹である。我々の時代はすでにそういう時代 が始まってから久しく、物は「即物的に」物でしかないのが当たり前になって しまった。そうでなければ、これほど環境は悪化しないし、これほど多くの物 が平然と消費され捨てられたりはしない。それゆえに、近世という時代が始 まって間もなく、芭蕉や西鶴や近松に何が起こっていたか、よほビ自夏刀b かせなければ理解できないのである。(中略) A自然はすでに近世において、ただの樹木や石や水という「物」になってし まった、と考えられる。それまでは表現するだけで自然の力を感じさせた雅語 (たとえば和歌の言葉)や雅の絵画(中世山水画など)さえももはや力を持た ず、貨幣経済の中でひたすら自然が消費されていくようになった。遊山を描く 扉風絵や旅を書きつける旅行記などは、まさにそのような消費対象としての 自然(自然の俗化)を調歌しているわけだが、同時に、このような「物」とし ての自然の出現は、新しい文学をもたらすことにもなったのである。 芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」の句は、作られた時のことが「葛の松 原』に書かれている。『野ざらし紀行』の旅を終えて江戸に戻って一年ほど後 のことだ。旧暦三月の暮れ、江戸の郊外に遊んだ。雨が静かに降り、風柔らか に吹き、ときたま蛙が水に飛び込む。芭蕉は「言外の0フゼイこの筋にうかび て、蛙飛びこむ水の音 といへる七五は得給へりけり」という。このとき芭蕉 は七五のみ想い浮かんで、上の言葉は浮かばなかった。するとそこにいた其角 小、上を付けた。それが「山吹や」である。ここに、「山吹や蛙飛びこむ水の 昔」という発句ができあがった。この其角の案はもっともで、まさに和歌に連 なる句の世界としては、まっとうな作だった。そしてそこには、Bまだ近世の 俳人たちを支配していた自然観がかいま見える。 『万葉集』にいう。「かはづ鳴く清き川原を今日見ては何時か越え来て見つつ 偲はむ」||かはづは必ず清い川、澄んだ水にいる。そしてかはづは必ず「鳴 く」。澄んだ水でないと生息しない蛙のうち、和歌の世界でその美しい鳴き声 が詠まれるのはたった一種類、かじか蛙だけである。『万葉集』に始まった 「かはづ」の歌は、つまりかじか蛙だけのための歌であり、そうであるからに は「澄んだ水、清流」そして「鳴く」という二つの言葉が不可欠だったのであ る。「かはづ鳴く神名火川に影見えて今か咲くらむ山吹の花」 は、神社のある場所の川のことをいう。ここでは飛鳥川か竜田川だ。この歌に は山吹の花が出現する。「清流」「鳴く」「山吹」の三つの言葉がこうして、「か はづ」とセットになって現れるようになる。「かはづなくるでの山吹ちりにけ り花のさかりにあはまし物を」 |これは『古今和歌集』の歌だ。井出の玉川 は山城の国の川のことだが、「玉川」は清流を意味する。川は清流でなくては ならず、水は、常に流れて水を入れ替える=でよくてはよう!よい。「匹こよく pv しゅう が対 日 」が対時され、「流れる川」に対して 」が対時されたのである。古池とはどんな池だろうか。まず流れな い。水が入れ替わらない。澄んでいない。その底には、枯れ葉や木の残骸や動 物の死体が腐って堆積し、間違いなく濁っている。その周辺には苔や菌類や古 木や下草がいつも濡れてじっとりと生きていて、数え切れないほどの生命が地 を這っている。古池とは歴史の堆積であり、生命のるつぼなのだ。そこに蛙が 飛び込めば底の堆積物は一気に舞い上がり、水はさらに濁るだろう。かじか性 がそういう環境に暮らせるはずがなく、ここに登場する蛙はがま蛙や殿様蛙 牛蛙など、そのあたりで庶民が日常的にみかける生命力旺盛な蛙に違いない。 Vト さらに言えば、古池が川と違うところは、ふだんはじっと動かないところ だ。まるで川は我々人間の意識の流れのようであり、古池は我々人間の無意識 の堆積物のようである。みじろぎもしないその濁り水に突然一匹の蛙が飛び込 む、というその一瞬に起こるハモンのざわめきは、記憶の堆積と無意識に起 こるざわめきのようだ。何が起こったのか。周知のように禅では、座禅の際に このざわめきを意図的に起こす。p意識によって隠された連関への目覚めをも たらすためである。 芭蕉はこの句から、風雅の道を見つけたと言われている。すなわち、蕉風の 確立である。蕉焦風では、言葉の革命と新しい境地の創造が、確かにあった。そ トトキA+ -神名火川と れは、和歌の言葉の背後に隠された自然を、詩の言葉として発掘するというこ とだった。「木のもとに汁もなますも桜かな」 ーごく日常的な食べ物の出現。 J るャ 了東風々に糞のいきれを吹きまはし」 ふがん人のうしろむき」 -排池物も詠まれる。「団扇もて -まるで浮世絵のように、俗世の人の姿を捉える。 うぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれか うたをよまざりける」と、『古今和歌集·仮名序』にも言う。もはやかはづは 驚と同じくらい、和歌の世界のスターとなった。それもその美声ゆえであっ た。いったんスターとなったからには、代表的な和歌の集に登場し続ける。 海くれて鴨のこゑほのかに白し」||思い切りのいい不定形。声が色とL て眼に見える。和歌の言葉の繰り返しの中で日本人の脳裏に形成された定型E 自然観は、このように次第に崩れてゆき、江戸時代になってそれは新たな自 世界を構成することになった。私たちの今日の自然観は、和歌のそれではな~ 俳譜の自然観にずっと近い。 傍線部 a.bの漢字の読みを記せ。 (日留) (田中優子『江戸の自然,

回答募集中 回答数: 0
古文 高校生

高1範囲の古文の質問4つです... Q1.『児のそら寝』p250の最後の行で,児が僧から「おどろかせたまへ。(目をお覚ましなさいませ。)」と言われたのにもかかわらず,起きなかったのは,児がどう考えたからか。p251の内容を参考に説明しなさい。 Q2.『絵仏師良秀』p25... 続きを読む

古七のつ初未宇 6 の びもよ 比の比用 401」 児のそら寝 これも 今は 昔、比叡の山に 児 ありけり。僧たち、よひの つれ 出コ に児()いた。 e の 僧たち(が)、宵の づれに、「いざ、かいもちひ せむ」と 言ひけるを、この 児、心よせ 作ろう。と T言ったのを、 この児(は)、期待して 「さお ばたもち(を) に聞きけり。さりとて、しいださむを 待ちて寝ざらむも、わろかり そうかといって、作りあげるのを 待って 寝ないでいたらそれも、きっとみっとも 国Sた。 なむと 思ひて、かたかたに 寄りて、寝たる よしにて、いでくる 寄って、 1 ないだろうと思って、 (部屋の)片隅に 寝ている ふりで、(ぼたもちが)できあが を 待ちけるに、すでに しいだしたる さまにて、ひしめきあひたり。n 様子で、 るのを待っていたところ、早くも 作りあげた (僧たちが)集まって騒いでいる。 >S この児、さだめて おどろかさむずらむと 待ちゐたるに、僧の、 児(が)、きっと(僧たちが自分を)起こすだろうと こS 待っていたところ、 倍が、 もの 申しさぶらはむ。おどろかせたまへ」と言ふを、うれし mを 覚ましなさいませ) 「のしp-° 回うのを、(児は)うれし 一度に いらへむも、待ちけるかともぞ 答えたらそれも、(起こされるのを)待っていたかと U くども、ただ ただ 1P 思ふとて、いま ひとこゑ 呼ばれて いらへむと、念じて 寝たる (僧たちが)思うといけないと考え、もう一度 呼ばれて(から)答えようと、 我慢して Oに ほどに、「や、な 起こしたてまつりそ。 をさなき 人は 寝入りたまひ 「おい、お起こし申し上げるな。 人は 寝入りなさってし にけり』と 言ふ こゑの しければ、あな わびしと 思ひて、いま まった。 6- (僧たちの)言う声がしたので、 J (昭は)SS 困ったと 6。 一度 起こせかしと 思ひ寝に聞けば、ひしひしと ただ 食ひに 1度 起こしてくれよと 思いながら寝て 聞いていると、むしゃむしゃと ひたすら(ぼたもち 食ふ 音のしければ、ずちなくて、無期の のちに、「えい」と いらへ を)食べる 音がしたので、 リ どうしようもなくて、長時間たった後に、「はい」と たりければ、僧たち わらふ こと かぎりなし。 * D4る ものだから 僧たち(が)笑う 『宇治拾遺物語』 こと(は)はなはだしい。 学習の手引き 現代の仮名遣いと違う語に注意しながら、繰り返し音読しよう 2児が心の中で思っている部分を指摘)

回答募集中 回答数: 0
日本史 高校生

緊急です!どなたかこの問題やって下さいませんか?お願いします!

1. 室町幕府の成立に関する以下の文を読み、空欄に入る適切な語句を語群から選び,記号で答えなさい。 解答番号1~15 鎌倉時代末期,朝廷は大覚寺統と持明院統にわかれて皇位を争うようになった。1318年に後醍醐天皇が即位し親政 を開始したが,両統が交代で皇位につく(1 )には不満を抱いていた。一方,鎌倉幕府では執権による専制政治が おこなわれ,御家人の不満が高まりつつあった。このような中で,後醍醐天皇は 1324 年に(2| (3 )によって倒幕を計画したが,すべて失敗して隠岐へ流された。しかし各地で反幕府の活動が開始され,1333 年には4 )が京都を,(5| )が鎌倉を攻略して幕府は滅亡した。 京都に帰還した後醍醐天皇は,復古的な天皇親政を理想として統治組織を整えたが,その政治はあまりに急激で, 社会の混乱をまねいた。武士の信望を集めた4は,1335年の(6 )を契機に新政府に反旗をひるがえし,翌年に御 成敗式目にならった(7| )を制定して,京都に幕府を開く意志を示した。4|は新しい天皇として(8 )を立てる と,吉野に逃れた後醍醐天皇と対立した。こうして,約 60年にわたる南北朝の動乱がはじまる。 この中で力をつけてきたのは守護である。1352年の(| )で,守護は一国の荘園·公領の年貢の半分を獲得でき るようになると,荘園領主から年貢の徴収を請け負う(10 )をさかんにおこない,在地での支配権を強化していっ た。このため,この時代の守護を鎌倉時代のそれと区別して,( 11 )ということがある。 3代将軍12 )は 1392 年に南北朝の合体を実現し,室町幕府の全国支配を完成させた。幕府の機構で重視され たのは,将軍の補佐をする( 13 )である。この職は,足利氏一門の斯波·畠山·細川氏の三家から選ばれ,三 13 と呼ばれた。また侍所の長官である所司は,山名·赤松一色·京極の諸氏から選ばれ,これを( 14 )と称した。 守護勢力の中には将軍権力をおびやかすほどのものもあり,将軍の権力確立のため,その勢力削減につとめることも あった。山名氏清を倒した事件である( 15 )などは,その好例である。 ), 1331 年には ウ.半済令 オ.守護請 語群:ア.正中の変 カ、守護大名 イ.元弘の変 キ、両統迭立 エ,徳政令 ク.足利尊氏 ケ、足利義満 コ,足利義政 サ、管領 シ.四職 ス.新田義貞 セ、中先代の乱 ソ、建武式目 タ,光明天皇 チ、光厳天皇 ツ.明徳の乱 テ、応永の乱 2. 室町幕府の衰退と庶民の台頭に関する以下の問いの答えを,語群から選び、記号で答えなさい。 解答番号 16~25 0 足利義満が開始した日明貿易が朝貢形式だったため,貿易を中断した4代将軍は誰か。16 2 朝鮮との貿易が衰えるきっかけになった,1510年におこった事件は何か。17 3 沖縄では1429年に琉球王国が成立したが,東南アジアをはじめとする国際貿易の拠点になった港はどこか。18 の 倭人の進出に圧迫されたアイヌが1457年に蜂起したが,その中心人物は誰か。19 6 惣村は寄合の決定に従って運営されたが,村内で守るべき規約を何というか。20 6 領主へ納める年貢などを,惣村がひとまとめにして請け負うことを何というか。21 の 専制政治をおこなったため,1441年,有力守護の赤松満祐に殺害された6代将軍は誰か。22 1428年におきた,京都の土倉·酒屋を襲って質物や売買·貸借証文を奪った一換は何か。23 将軍の後継争いに幕府の実権をめぐる細川勝元と山名持豊が介入して,1467年に勃発した内乱は何か。24 O 商品経済がさかんになり貨幣の流通が広まる中,良質の銭を選ぶ行為が一般化したが,これを何というか。25 8 9

回答募集中 回答数: 0
日本史 高校生

緊急です!どなたかこの問題解いて下さいませんか?お願いします。

11:07 7月20日(火) 全100%の, A campus.clark.ed.jp 1/2 クラーク記念国際高等学校 報告課題 日本史B 第5章 武家社会の成長 第5回 ☆教科書「詳説日本史 改訂版」p.120~152 を読み、つぎの問題に取り組みなさい。 1. 室町幕府の成立に関する以下の文を読み,空欄に入る適切な語句を語群から選び、,記号で答えなさい。 解答番号1~15 鎌倉時代末期,朝艇は大覚寺統と持明院統にわかれて皇位を争うようになった。1318年に後醍醐天皇が即位し親政 を開始したが,両統が交代で皇位につく(1 )には不満を抱いていた。一方,鎌倉幕府では執権による専制政治が おこなわれ,御家人の不満が高まりつつあった。このような中で,後醍醐天皇は 1324年に(|2| ), 1331 年には (3 )によって倒幕を計画したが,すべて失敗して隠岐へ流された。しかし各地で反幕府の活動が開始され,1333 年には 京都に帰還した後醍醐天皇は,復古的な天皇親政を理想として統治組織を整えたが,その政治はあまりに急激で、 社会の混乱をまねいた。武士の信望を集めた4は,1335年の( 成敗式目にならった(|7 )を制定して,京都に幕府を開く意志を示した。4は新しい天皇として(8 )を立てる と,吉野に逃れた後醍醐天皇と対立した。こうして,約60年にわたる南北朝の動乱がはじまる。 この中で力をつけてきたのは守護である。1352年の(9 )で,守護は一国の荘園·公領の年貢の半分を獲得でき るようになると,荘園領主から年貢の徴収を請け負う( 10 )をさかんにおこない,在地での支配権を強化していっ た。このため,この時代の守護を鎌倉時代のそれと区別して,( 11 )ということがある。 3代将軍 12 )は 1392 年に南北朝の合体を実現し,室町幕府の全国支配を完成させた。幕府の機構で重視され たのは,将軍の補佐をする( 13 )である。この職は,足利氏一門の斯波·畠山·細川氏の三家から選ばれ,三 13 と呼ばれた。また侍所の長官である所司は,山名·赤松·一色·京極の諸氏から選ばれ,これを(14 )と称した。 守護勢力の中には将軍権力をおびやかすほどのものもあり,将軍の権力確立のため,その勢力削減につとめることも あった。山名氏清を倒した事件である( 15 )などは,その好例である。 )が京都を,(5 )が鎌倉を攻略して幕府は滅亡した。 )を契機に新政府に反旗をひるがえし,翌年に御 語群:ア、正中の変 イ、元弘の変 キ、両統迭立 エ、徳政令 ケ、足利義満 ウ.半済令 オ.守護請 コ,足利義政 ソ、建武式目 カ、守護大名 ク.足利尊氏 サ、管領 シ.四職 ス、新田義貞 セ、中先代の乱 タ、光明天皇 チ、光厳天皇 ツ.明徳の乱 テ.応永の乱 2.室町幕府の衰退と庶民の台頭に関する以下の問いの答えを,語群から選び,記号で答えなさい。 解答番号 16~25 0 足利義満が開始した日明貿易が朝貢形式だったため,貿易を中断した4代将軍は誰か。16 の 朝鮮との貿易が衰えるきっかけになった,1510年におこった事件は何か。17 3 沖縄では1429年に琉球王国が成立したが,東南アジアをはじめとする国際貿易の拠点になった港はどこか。18 ④ 倭人の進出に圧迫されたアイヌが 1457年に蜂起したが,その中心人物は誰か。19 惣村は寄合の決定に従って運営されたが,村内で守るべき規約を何というか。20 領主へ納める年貢などを,惣村がひとまとめにして請け負うことを何というか。21 専制政治をおこなったため,1441年,有力守護の赤松満祐に殺害された6代将軍は誰か。22 1428年におきた,京都の土倉·酒屋を襲って質物や売買·貸借証文を奪った一換は何か。23 の 将軍の後継争いに幕府の実権をめぐる細川勝元と山名持豊が介入して,1467年に勃発した内乱は何か。24 0 商品経済がさかんになり貨幣の流通が広まる中,良質の銭を選ぶ行為が一般化したが,これを何というか。25 6 8

回答募集中 回答数: 0
古文 高校生

この古文のただし、二つに取ればというところです!翻訳を見るとただし、二つのうちのどちらか一つをとると書いてあります。 なぜですか?これは覚えるだけでしょうか?

4 1 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。 昔難波の三位入道殿、人に鞠を教へ給ひしを承りしに、「手持ちはい かほども開きたるがよき。」と教へられき。その次の日、またあらぬ人 に会ひて、「鞠の手持ちやう、いかほどもすわりたるよき。」と仰せられ き。これはその人の気に対して教へ変へられはべるにや。後日に尋ね申 しはべりしかば、「そのことはべり。先の人は手がすわりたりしほどに、 |が本にてあると教へ、後の人は手の広ごりたれば、すわりたるが 本にてあると申せしなり。」仏の衆生の気に対してよろづの法を説き給 へるも皆かくのごとし。連歌も、あまりにどこともなからむ人には、案 じたるがよきと申すべし。沈みたらむ人には案ぜぬがよきと教ふべきな り。ただし、二つに取れば、早くてどこともなき中に、無上の堪能はお のづからいで来べきなり。沈み果てたらむ人は、うるはしき上手にはな るまじきにや。ただ、上手に初めより添ひて、心ことばを学び給ふべ し。下手に添ひて悪き心の執着しぬれば、すべて直りがたきことなり。 * まり なん ば さん み にふ だう く ~ しゆじやっ *しづ かんのう の わろ に じょうよしもと つく pんどう (二条良基「筑波問答』)

回答募集中 回答数: 0