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漢文 高校生

⑶どうやったらこんな訳が出来るんですか?

17/20 問四後の1・2の問いに答えよ。(返り点を色 〔国破れて山河在り] (図は6点・国は7点) 国都(ここでは長安を指す)は破壊されたが山や河は変わ 41 しゅん よう 望 レテ 国破山河在 らず存在している。 ニシテ しろはる 城春 [城春にして草木 ジテクニ ニモ ギ 恨 烽 草 木 感時花涙 * 別鳥驚心 抵連鳥 A 白 家 欲頭 火 搔 更 万 三 月 心 たこ ラント 渾欲不 日課 恨…うらム。 驚…おどろカス。 6点) 今の 勝 簪 短〃 とき さらもく ] 町は春であって草や木は繁茂している。 かん はな なみだ [時に感じては花にも涙をぎ そ 時世に心が動かされては花を見ても涙がこぼれ落ち、 家族との別れを悲しく思っては鳥の鳴き声にも心がはっとする。 ほうくわさんげつ つら [烽火三月に連なり〕 のろしは三か月の間も続き、 かしょばんきん [家書万金に抵たる] 家族からの手紙は万金にも値する。 はくとうか さら みじか [白頭掻けば更に短く] 白髪の頭をかけば髪はいっそう短く、 五詩 〔渾て絆に勝へざらんと欲す〕 5文字に五 まったくかんざしを挿せなくなりそうだ。 この近体詩の詩形を漢字四字で答えよ。 空欄Aにあてはまる漢字を、次から選べ。 アイ深ウ繁 H K 傍線部を書き下し文にせよ。 五言律 鳥にも心を驚か +

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世界史 高校生

写真ページの所の歴史の流れがごちゃごちゃになってしまって、分かりやすく教えて頂けたら助かります🙇‍♀️

0 300km 5 ウィーン体制下のヨーロッパ 地時代と変わらなかった。 政治の面では、軍事力をもった指導者が実権 をにぎり、独裁によってどうにか国家の統合を保った。 また、 経済の面 でも、工業化はすすまず、 地下資源や農作物のモノカルチャーに依存し、 6E 年)七 自由の女 と駆り立 いそん しえん 独立運動を支援して進出したイギリスの資本に従属した。 伯父 ナポ 5 ヨーロッパでも、同じ言語や宗教、文化をもつ が 「諸国民の春」 人々が一つの政治的なまとまりをもつべきとい こい う国民意識がめばえ、この考え方をもとに国民国家をつくろうとするナ 運動がおこった。 国家を作ろうという ショナリズムの運動と、政治参加や自由な経済活動を求める自由主義の 自分たちで 0 とりわけフランスでは、1830年にパリの民衆が蜂起して専制政治をお いやしゃわい みおう 渡目 した。 な支持 改革 こなっていた国王を退位させた七月革命)さらに1848年の革命でおわって じゅけんては、 は普通選挙を求めるパリの労働者が立ち上がり、臨時政府が成立した した 1848-52 植民 第一共和政 この二つの革命の影響はヨーロッパ広がったが、6 とくにヨーロッパ全体が革命運動にゆれた1848年の春は「諸国民の春」と もろ 5 独立 から ンスタ まよばれた。ウィーンとベルリンでは三月革命がおこり、 メッテルニヒは 失脚してウィーン体制は崩れた。 しかし、これらの革命は、保守派の巻き返しで最終的には圧された。 AD フランスでは、強力な政府を期待する民衆の支持を背景に、 レオンが国民投票で皇帝ナポレオン3世となり、第二帝政を樹立した。 Apo たも 165270 0 彼は、社会政策と積極的な対外政策で人気を保ったが、ブロ 16/0 ほうかい (音仏戦争でプロイセンに大敗すると、第二帝政は崩壊した。そ その後もフランスの政治は安定しなかったが、 1875年になって、大総 ・二院制を定めた憲法が成立し、ようやくフランス革命以 フランス国際 来の音由主義による政治が定着した第三共和政)。 けいい 1870-1940 CQ ナショツリズムのは、どのような経緯で大西洋両岸に広がったのだろうか

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古文 高校生

古文の読解について質問があります。 古文単語や古典文法はある程度覚えてきたのですが、それを実際の問題の中でどう使って解いていけばいいのかが分かりません。本文を読むときに、品詞分解や文法知識をどのように使って意味を取っていくのか教えていただきたいです。 また、2枚目の(ア)... 続きを読む

あぶつあずまくだ 第4問 次の文章は、「阿仏東下り」という物語の一節である。阿仏は、亡き夫が遺した荘園を巡る訴訟のため、都に息子たち を残して鎌倉に下ることにした。本文は、富士山の麓あたりまで旅を続けて来た阿仏が体調を崩し、宿を借りたところから始ま 4の番号を付してある。(配点 45 ) る。これを読んで、後の問い(問1~4)に答えよ。 なお、設問の都合で本文の段落に ここち 1 これより風邪の心地とて、いたはりへるほどに、力なく宿を求めて、疲れをしばらくいたはり侍りけり (注1) あるじ 主言ひけるは、 (注2) 。 「やむごとなき御身として、折ふし三冬の半ばに、はるばるの御歩行なれば、疲れにこそおはしますらめ」と、十日ばかり いたはりりて、「これよりも鎌倉へは、何方へか御こころざしあるらむ。送り奉らむ」と聞こゆるほどに、こよなくうれしく (注3) こし 「比企谷といふ所に親しき人のありければ、この所へ送りてむ」 とあるほどに、主、輿を用意して乗せ奉り、ほどなく鎌 倉にては、比企の谷といふ所にぞ届け侍りけり。縁の人なりければ、はるばる下り給へるこころざしを、「いかばかり」とあは れみて、よくよくいたはり参らせけるほどに、旅の疲れなれば、ほどなくもとの心地し給ひけり。 (注4) くじ 2 さて、ここにしばらくおはして、鎌倉の公事ども聞き給ふに、まことに世の政事つかさどり給ふとて、天が下の人々、高 (注6) miin (注5) もしも集まりて、門の門に市をなせり。ここに執政の縁につきて、よきったよりありければ、ひそかにことの様を 言ひ入れければ、よにあはれにとぶらひて、「気色をうかがひて沙汰にあづかり給へ」と言ふも頼もしく、力づきてぞ見給ひ (注7) にける。 dくないん はつこのきば 3 さるに心許して 光陰送り給へるほどに、その年もはやうち暮れて、あらたまの春にもなりゆけば、東風吹く風もやはら (注8) かけひ つらら かに、のどけき空に鶯の、うら若き初声を軒端の梅におとづれて、枝をつたふもとやさし。懸樋の氷柱解けぬれば、ゆ 水の音ものどくて、ぶもやすき心地せり。 人ごころ懸樋の水にあるならば世はすぐさまにことや通らむ 4 かかるほどに、君の北の方、聞こし召して、「あなあはれや。子を思ふ道には身の苦しびをも顧みず、はるばると東の奥に (注10) しうしや (主) 下り給ふことのはかなさよ。 このみなし子の父は、世に名を留めし和歌の秀者にて、帝の御宝と聞こえし。 かかる人のあとな れば、いかでか遺跡を絶えし果てむとは思し捨つべき。かひがひしくも、足弱の身として東の旅におもむき給ふことこそ 便にはおぼゆれ」とて、さまざまの物ども贈らせ給ひて、つねにとぶらはせ給ふぞありがたき。 (注) 1主宿の主人。 7 2 三冬の半ば旧暦の十一月。 3 比企の谷 鎌倉の地名。 鎌倉の公事ども鎌倉幕府の訴訟に関すること。 5 権門の門 鎌倉幕府の有力な役人の家の門前。 6 執政の縁につきて鎌倉幕府の権力者の縁者に関して。 沙汰ここでは、裁判の意。ニ 8懸 水を引くために竹や木を掛け渡して作った。 9 君鎌倉幕府の将軍。 10 このみなし子の父 「みなし子」は、 ここでは、父親を失った子の意で、阿仏の産んだ息子たちを指す。 「父」は、亡き夫の藤原為 せんじゃ 11 遺跡 ここでは、歌道の家の伝統の意。 家のこと。 為家の父定家は「新古今和歌集」の撰者、祖父俊成は『千載和歌集』の撰者で、為家自身も勅撰和歌集の撰者となっていた。

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