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数学 高校生

問題(1)の前提で出されている重さの平均12gと標準偏差4gは、問題で出されている標本平均の平均[ア]と標準偏差[イ]とで何が変わるのですか? ちなみに答えは[ア]が12、[イ]が4/√10=0.4でした。 ↑12gと4gじゃないのはなぜ? 解説に出てきた母平均と母標準偏差... 続きを読む

数学Ⅱ 数学 B 数学 C [第4問~第7問は,いずれか3問を選択し, 解答しなさい。 第5問 (選択問題) (配点 16) 以下の問題を解答するにあたっては,必要に応じて23ページの正規分布表を用 いてもよい。 また、 以下の問題では、標本の大きさ 100は十分大きいと考える。 (1) 工場A で製造されたボルト1個の重さの平 均は12.0g) 標準偏差は4.0g) である。 工場 A で製造されたボルトから無作為に大きさ100 の標本を取り出して重さを調べた。 このときボルト1個の重さの標本平均 XA は平均 ア 標準偏差 の正規分布に近似的に従う。 XA ア 12 確率変数 Y を Y = - とすると,Yは平均 ウ 標準偏差 イ 4 エ の標準正規分布に近似的に従う。 26 標本平均 XA が 12.7より大きくなる確率は0. オカである。 ア イ の解答群(同じものを繰り返し選んでもよい。 ① 0.16 ② 0.20 ③ 0.40 ④ 1.0 ⑤ 2.0 ⑥ 4.0 ⑦ 6.0 ⑧ 12.0 ⑨ 16.0 (数学II, 数学 B 数学C第5問は次ページに続く。)

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生物 高校生

解説が全く理解出来ません💦 3枚目の写真では弛緩時も収縮時もアクチンフィラメントとミオシン頭部は重なっているように見えます💦

必 73. 筋収縮 6分 骨格筋は筋繊維 (筋細胞)からなり,筋繊維の中には多数の筋原繊維が束になって存 在する。筋原繊維は「 仕切られている。 〒 という袋状の膜構造によって取り囲まれており,またイという構造で サルコア イから隣のイまでをウとよび、これが筋原繊維の構造上の単位とな っている。 筋原繊維はアクチンフィラメントとミオシンフィラメントからできており,これらが規則的 に配列しているので、明暗の横縞が見られる。図は筋原繊維の一部を模式的に示したものである。 上の文章中のアウに入る語句として最も適 問1 当なものを、次の① ① シナプス小胞 a b ~ ⑥のうちからそれぞれ一つずつ選べ。 ②筋小胞体 ③ サルコメア ④ Z膜 ⑤ 帯 ⑥ 暗帯 C d 問2 図のa〜e のうち,筋収縮時に長さが短くなる部分を過 不足なく含むものを,次の①~⑤のうちから一つ選べ。 ① a, d 生物の環 ②a, e ③ b.c 4 b, e 5 a, d, e 問3 弛緩した筋肉を人為的に引き伸ばした状態で固定し,電気刺激を与えると張力が発生した。さら に筋肉を徐々に引き伸ばすと張力は徐々に減少し,図のeの長さが3.6μm以上になると,張力は発 生しなくなった。弛緩時におけるeの長さは2.4μmであった。 弛緩時におけるdの長さとして最も 適当なものを,次の①~⑥のうちから一つ選べ。 ① 0.2μm ③ 0.6μm ② 0.4μm ⑥ 1.2μm ④ 0.8μm ⑤ 1.0μm [17 名城大 改, 15 センター試 改]

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現代文 高校生

愛知医科大学看護学部の公募推薦の過去問です。 答えがないので、答えを出して欲しいです。お願いします🙇🏻‍♀️🙇🏻‍♀️

国 びまん 令和六年度 看護学部学校推薦型選抜(公募制) 基礎学力試験問題用紙 囲 次の文章は、一九九〇年に出版された山崎正和の『日本文化と個人主義』の一節です。この文 章を読んで、後の問に答えなさい。 文化は、これまで国家や民族という観念と強く結びついてきた。そして、人間の歴史を振返っ てみると、不幸なことに国家や民族の自覚はつねに対立抗争の意識とつながってきた。ひとつ の社会のなかで、個人もまたお互いに争うことがあるが、とりわけ国家や民族は、お互いに争う ことで自分自身をつくりあげてきた。その結果として、文化という特性はただの個人の特性以上 に、とかく他者との比較、対立の観点から考えられがちになる。じっさい、今日の経済マサツ や、つい近年までの世界戦争の現実を振返ってみても、ひとが自国の文化、他国の文化をあげ つらうときには、つねに何らかの意味の優越感や、国家主義的な自己主張の意識が伴っていた。 そして、そういう優越感が、たとえば敗戦といった現実によって崩れたとき、今度は極端な自己 卑下が社会に瀰漫するという事実は、多くの日本人の記憶に新しいことだろう。 こうした事情からして、文化論には、1二つの避けがたい危険な傾向が伴っているといわねば ならない。その第一は、過剰な特殊化の危険である。文化を考える場合には、他民族、他国の文 化と比較して考えがちであるので、どうしても両者の共通性よりは、ひとつの文化の異質性を強 調して考えることになる。 つい昨日まで文化的に じっさい、日本の場合、過去の文化論はしばしば民族主義や国粋主義と手を結びがちであった イクセプショナリズム し、アメリカの場合でも、アメリカ文化の「例外主義」という思想が、長らく見え隠れに受け 継がれてきたようである。ユダヤ人の「選ばれた民」の意識、ドイツ人の民族的な使命感といっ たものは、自国の文化を過度に特殊化し、他国との違いを強調することから生まれてきたが、 ③こうした使命感はいったん裏返ると劣等感に変貌する。 高村光太郎という詩人は、若いころフ ランス留学から帰って、日本の国の貧しさとその精神の狭さを嘆いて、「根つけの国」という自嘲 的な詩を書いたことがあった。しかし、彼が本性において強烈な愛国主義者であり、第二次大戦・ 中には過激な祖国讃美の詩を書いたことは、同時代を生きた日本人なら誰もが知る事実だろう。 とかく異文化との劇的な接触は、精神の単純な人物にとっては、自国の文化について過度な自尊 心を誘い出すか、逆に過剰な劣等感を刺激するものであるようにみえる。 そして、いずれの場合でも、そうした特殊化は、個人が自分の存在や行動について振返るとき、 奇妙に気持ちを安らがせてくれる支えになる。自分とは何か、7自己の実質は何かということは、 もともとたいへん難しい問題であり、簡単には答えが出ないものであるが、ひとは生きるために その答えを欲しがりがちである。そのさい、いちばん安易なやり方は、自分がどういう仲間に属 しているかを実感して、それを語ることで自己の中身を言い表わすことだろう。そして、自分 がどういう仲間に属しているかを振返るとき、その仲間の範囲が狭くて、他の集団と対立してい ればいるほど、自分自身の世界のなかにおける位置は明確になる。ここでもまた、文化論のひず みというものは、人間性の悲しい弱さに深く根ざしているといえそうである。 【

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