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日本史 高校生

⑵ってコンドルですか?

欧米諸国との交渉に臨んだが、成果を上げられず帰国することとなった。その後、外務卿 1は税権 方針を変え、欧米諸国に日本の近代化をアピールするための極端な欧化政策を行った。さらに改正の条 明治初期の外交課題は東アジア諸国に対しては清出 2は個別交渉から一斉交渉へと 回復をめざし交渉を進めたが、失敗。続く外務卿(のち外務大臣) 件に関して内外から批判を浴び辞任した。このころ領事裁判権に関わる重大な事件が起きたため 4 の回復を優先させようとする世論が高まった。次の外務大臣も右翼団体の青年に爆弾を投げつけと。 事件へと発展し、内閣の総辞職となった。外務大臣 リスとの間に法権回復の見通しが立ち始めていたが、 の独立を守ったため、結果的に日本に対する評価が高まり条約改正への弾みとなった。領事裁判権の著 3 のころ、ロシアのアジア進出に警戒するイギ 4により中断した。この事件では日本が司法 廃が実現したのは 1894年、関税自主権の回復により不平等条約が完全に改正されたのは 1911 年でも る。 い 大れち出ささスな 問1 空欄 1| 4に入る人物や語句をそれぞれ書きなさい。 下線部のに関して、 諸外国に日本の近代化をアピールするために建てられ、連日ダンスパー ティーが開かれていた図1の建物を設計した人物を次のア~エから一つ選び記号で書きなさい。 問2 アクラーク イ コンドル ウ フォンタネージ ェ ラグーザ 図1

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世界史 高校生

答え合わせがしたいので答えを教えていただけると嬉しいです。

問題 アメリカ軍が, 1945年8月6日に広島に, 8月9日に長崎に投下し た大量破壊兵器。 |1938年に公布された, 労働力カや物資の全てを戦争に動員するための 法律。 1 2 3 |1940年に日本がドイツ·イタリアと結成した同盟。 1940年に結成され, ほとんどの政党が解散して合流し, 後に諸団体 4 まで加えた組織。 1936年に陸軍の青年将校が政治改革の断行を図って, 首相官邸や警 5 視庁など東京の中心部を襲撃した事件。 6 空襲が激しくなった都市部の小学生が集団で農村に避難したこと。 |1945年3月にアメリカ軍の無差別爆撃を受け, 10万人以上の死者を 出した空襲。 7 8 |1941年に日本がソ連との間に結んだ条約。 9 連合国が1945年7月に発表した,日本の無条件降伏を求める宣言。 10 |1937年の魔溝橋事件をきっかけに始まった戦争。 それまで徴兵を猶予されていた文科系の学生が, 1943年から軍隊に 11 召集されたこと。 1939年にドイツがポーランドに侵攻したことをきっかけに始まっ 12 た, 枢軸国と連合国との戦争。 中国共産党の結成に参加した後に党の指導者となり, 国民党に協カ 13 を呼びかけて内戦を停止した人物。 1941年に日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃するとともに, イギリ 14 ス領のマレー半島に上陸して始まった戦争。

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作文 中学生

たくさんの人の回答を希望します、 そして急ぎです((ノД`) 写真は、中学1年のとき書いた意見文です。もう中2ですが、コロナの関係で来月にリモート発表することになってしまいました。 先生が修整をいれていますが、2年生らしい文に仕上げたいです。書き直し・書き足ししたほうがいい... 続きを読む

【あたり前と平和 ] ゲーム、服、机にいす…。家、学校、お店…。周りには、たくさんのものがあり、たくさんの建物がある。そ れに、たくさんの人がいる。お母さん、お父さんなどの家族、友だちや先生、そして、自分がいる。家にいれば、 いつだってゲームができる。嫌になるくらい勉強をする。学校なら、勉強もできるし友だちにも会える。疲れる くらい遊ぶこともできる。いつでも遊べていつでも勉強できる。そんなの、いつものことだし、あたり前だろう と、みんなが言うだろう。それが日常だから、あたり前。そう思ってしまう。でも、そうではないときがあった 空空襲について学んだ。学ぶときは、興味があるとは言えなかった。 空襲」と表紙に書かれた、小説みたいな本 のだ 私は一年生の一学期の道徳の時間に、 私が苦手な歴史の勉強に少し似ている気がしたからだ。 先生が、「 を読み始めた。それを聞いていると、私の頭の中には一 七月十五日午前七時三十分。鳴り響くサイレンの音。爆弾が落ちて、わき起こる黒煙。爆弾や銃撃のひどい音。 おそろしい米軍の飛行機が、頭の上を飛ぶ。 被害があった。焼け焦げた家や人。重軽傷者は十四人。四十名の尊い命が奪われた。 当時十五歳だった男子生徒は、一週間ぶりの学校に、わくわくしながら登校している途中だった。「グラマン だ!山に隠れろ!」という声を聞き、四十分間爆撃される | 町を山から見ていたそうだ。 学校の先生の中には、生徒を防空壕やタコツボと呼ばれる穴に避難させている中で、爆弾の破片が背中に刺さ り、命を落とした方もいる。その先生の碑は|_高校の敷地内にある。先生が呼んでくれた本の中には、私と同 じくらいの年齢で、空襲の中、家族の無事を祈り続けていた人や、子どもの無事を願って空襲で焼け焦げた本別一 の町が破壊されていく映像が流れはじめた。 町上空を、四十七機の飛行機が飛んだと言われている。多くの一 空襲に関わる様々な人のエピソードがつまっていた。 の町の中を走り回った人など、 亡くなった人やその人の家族、友人を思うと、胸が痛む。もし、自分ならどうなるだろう。爆弾や銃で、自分 の思い出の場所が一瞬で失われる。家をなくしたら、家族や、友人を亡くしたら。私には全然想像ができない。 でも、もしそうなったらと想像する。悲しみ、寂しさだけではなく、怒り、悔しさなど、自分の中でどんな感」 いつも自分の周りにいる人がいなくなるなんて、信じられない。 情が渦巻くのだろうか。 自分だって、いつ死んでもおかしくないという恐怖まで感じて、とても複雑な気持ちになる。やっぱり、自分| に当てはめても、そんなわけない、なんて思ってしまうけど、もしそうなったとしたら、私の想像なんかを濫か にこえる複雑な感情になるのだろう。 でも、そんな気持ちより何より、その人達が願ったのはきっと、平和。それは私たちが今、あたりまえと感じ ている日常のことだと思う。その理由は、自分の暮らしと戦争のときの暮らしを比べるとすぐにわかる。自分た一 ちにとって、あって当然であたりまえの物が、そのときにはない。あたりまえが、そのときに覆された。 そんな風に考えていると、「そもそも、あたりまえって何だろう」と思えてくる。あたりまえって言うと、それ が普通、それがあって当然と感じる。空襲の時、普通の生活はなくなり、あって当然だったものが消えてしまっ た。あたり前は、身近で、身近じゃない。平和だって同じだ。いつ、あたり前に感じている平和がなくなるかわ」 からない。今この瞬間が、平和で、それをあたりまえのように感じていることは、幸せであり、感謝すべきこと なのだ。学校で友だちに会えること。家に帰れば家族がいること。おいしいご飯をお腹いっぱいに食べられるこ と。勉強ができること。そして、今、自分がいること。すべてに感謝しなければいけない。 悲しい過去が今につながっていることを忘れずに、これからも平和が当たり前であると感じられる日常を大切」 にしていきたい。

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