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化学 高校生

エネルギー図の書き方がわかりません。 エネルギーが高い順に並べるのは分かるのですが、どうやってどれがエネルギーが高いのか判断するのが難しいので教えて欲しいです。 字が汚くてすみません。 補足ですが、授業のノートなので自分で書いたわけではありません。写しただけなので意味が理... 続きを読む

〈例) 水素の燃焼で水蒸気を生じる反応 Ha(偽)の()線の高さ=エネルギーの ※エネルギー図) 242 Bsの巻染すか分 H,(気)+ 50,(気)=H.O(気)+242kJ |286 H20後) 対値で!そして.矢 * 印がf上だったが電船。 °H20() レ下だったらB (経路1)直接水蒸気を生成 H(気),0,(気) (最初の状態) H.O(気) (最後の状態) (経路I)液体の水を経て水蒸気を生成 eエスルギー国の m子の(回2)黒鉛と そ3っ7uないと 17ない!! H.O(液) H.(気)+ 0,(気)=H.0(液)+286k』 [経路Iの熱量242]=[経路IIの熱量286+(-44)] H.O(液)=H.0(気)-44kJ ヤモンド Bヘスの法則の忘用 ヘスの法則を利用すると,測定困難な反応の反応熱を計算で求めることができる。 (例〉C(黒鉛)と O,とから COを生成する反応(CO,を生じる反応が同時に起こるため測定困難) (3) 次の結 なさい。 直接測定できるのはC(黒鉛)と CO の燃焼熱(それぞれ 394kJ/mol, 283kJ/mol) cOだnつく。 はむり。 (cO2だけは願化 使えばいるが) (消去法)熱化学万程式で表ず! 簡単な考え方 自分でれかM ば、省略して C(黒鈴)+ O3-CO2t394hT. C(ほ)-0 170イ化学式を 170文字として 見る。 ok!! CO++0。 Co+02=CO2+ 283 kJ 394= X+283 0-のより C+02= Co2 +394KJ c02 - CO+-a-283KJ 021は3!とが *= / (kJ) -をっけたり左迎と E逆r! エネルギー図法 (4) 次の結 C保始)0a( Ico(後)++の C+士a→ co H。 +2 CrOュ→ Co+f02 C Ctg02= Co + lW kJ 今求nたいのは COを生成する C CI 394KJ 394-283 1 (向) 203KJ CI C(黒発)号02(気)よってCO の生成熱は、 cO2(優) 8 HR2R- H*さをー

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物理 高校生

図cのところに書いてあるように、おもりの速度がなぜv1となって、台車と球と一緒になるのかわかりません。どなたか教えてください。

*1a- 2) れば必 チェック問題3滑車と放物運動 やや難 15分 図のように,上端に滑車のつい た傾角30°の粗い斜面がある。質量 mの台車Aの上に質量 mの球Bを 乗せ,軽い糸で滑車を通して質量 4mのおもりCにつなげ, 全体を静 かに平板上に置いた。台車は, 動 V3の斜面上Lだけ登り,滑車に衝突すると,球はその L m (B mA C4m 30° 摩擦係数 ときの初速度で空中に飛び出していって最高点に達した。 (1) 球が飛び出す速さ v,はいくらか。 (2) 球が飛び出した位置からはかった, 最高点の高さん,はい くらか。ただし,最高点での球の速さは となる。 3 V3 N. 説(1) 速さを問うので, エネルギーで解 こう。まずは、動摩擦力から出してみよう。 図aで,台車と球の斜面と垂直方向の力のつ り合いの式により, 垂直抗力Nは N=2mg cos30° =/3mg よって,動摩擦力の大きさFは. 13 F -30° 2mg 図a F=YSN=×3 mg=mg…0 3 ここで、台車と球に注目して〈仕事とエネル ギーの関係)を立てると、「3要素」は(ばねナシ)。 (速さ0),(高さ0とする) (速さ),(高さはLsin30° L T FOr El 30° -L)で 高さ0とする 中 図b 0+(-F×L)+(張力T)×L= -2mv?+2mg× Lとなるね。 未知 この式からは求まるかい? 99 第8章 仕事とエネルギーの関係 ーa

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現代文 高校生

現代文の100字要約の問題です。 上手くまとまらず、悩んでいるのでわかる方教えていただきたいです。

現代文の文章ですが、松尾芭蕉以降の近世の世界観を逃 さてここで、「山吹や蛙飛びこむ水の音」に戻ろう。このようにかはづの和 歌の歴史を見てくると、「山吹」「かはづ」「水」という組み合わせはさほど不 思議ではない。しかしここにはすでに、和歌の観点から見た場合、重大な欠落 がある。それは「鳴く」という言葉の欠落だ。連歌集である『蒐玖波 集』の 歌でさえ、「なにごとのあらそひか有る鳴く蛙」と、かはづは鳴くことになっ ている。しかし芭蕉はかはづを鳴かせなかった。「蛙飛びこむ水の音」という 着想だけでも、これは和歌の言葉を通して見た自然ではなく、その隙間を縫っ て芭蕉自身が発見した新しい自然だった。かはづは鳴かない。なんと、ぶざま にも水に飛び込んだのである。そして山吹の問題だ。其角は和歌の歴史から 言って当然のように山吹をつけた。なにしろかはづが鳴かないのだから、せめ て山吹でもないことには歌の道に連なることができない。しかし(芭蕉は即座 にそれを退け、やがて「古池や」に至ったという。結果としてここに、「山吹」 も「清流」も「鳴く」も無い、無いものだらけのかはづの句ができた。千年の あいだ続いたかはづの自然は、ここにあとかたも無く崩壊したのである。 それにしても、このような和歌の歴史の中で考えてくると、なんと革命的な 句なのだろう。単に和歌で必須とされる要素が無い、というばかりではない。 鳴く」に対して「 I」が対時され、「声」に対して「 Ⅱ 時され、「清い」に対して「一 D の文章を読み、あとの設問に答えよ。 芭蕉は「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」と言ったという。『三冊子』 はこの言葉について、「X私意をはなれよといふ事也」と書きとめている。魔 末保は、このようなことが言われるには、「松が、まさにそこにある松、つま り、 即物的に接することのできる松として出現しはじめた時代だという前提が なければならない」と論じた。これは「江戸時代にとって自然とは何であった か」という問題を考える上での根幹である。我々の時代はすでにそういう時代 が始まってから久しく、物は「即物的に」物でしかないのが当たり前になって しまった。そうでなければ、これほど環境は悪化しないし、これほど多くの物 が平然と消費され捨てられたりはしない。それゆえに、近世という時代が始 まって間もなく、芭蕉や西鶴や近松に何が起こっていたか、よほビ自夏刀b かせなければ理解できないのである。(中略) A自然はすでに近世において、ただの樹木や石や水という「物」になってし まった、と考えられる。それまでは表現するだけで自然の力を感じさせた雅語 (たとえば和歌の言葉)や雅の絵画(中世山水画など)さえももはや力を持た ず、貨幣経済の中でひたすら自然が消費されていくようになった。遊山を描く 扉風絵や旅を書きつける旅行記などは、まさにそのような消費対象としての 自然(自然の俗化)を調歌しているわけだが、同時に、このような「物」とし ての自然の出現は、新しい文学をもたらすことにもなったのである。 芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」の句は、作られた時のことが「葛の松 原』に書かれている。『野ざらし紀行』の旅を終えて江戸に戻って一年ほど後 のことだ。旧暦三月の暮れ、江戸の郊外に遊んだ。雨が静かに降り、風柔らか に吹き、ときたま蛙が水に飛び込む。芭蕉は「言外の0フゼイこの筋にうかび て、蛙飛びこむ水の音 といへる七五は得給へりけり」という。このとき芭蕉 は七五のみ想い浮かんで、上の言葉は浮かばなかった。するとそこにいた其角 小、上を付けた。それが「山吹や」である。ここに、「山吹や蛙飛びこむ水の 昔」という発句ができあがった。この其角の案はもっともで、まさに和歌に連 なる句の世界としては、まっとうな作だった。そしてそこには、Bまだ近世の 俳人たちを支配していた自然観がかいま見える。 『万葉集』にいう。「かはづ鳴く清き川原を今日見ては何時か越え来て見つつ 偲はむ」||かはづは必ず清い川、澄んだ水にいる。そしてかはづは必ず「鳴 く」。澄んだ水でないと生息しない蛙のうち、和歌の世界でその美しい鳴き声 が詠まれるのはたった一種類、かじか蛙だけである。『万葉集』に始まった 「かはづ」の歌は、つまりかじか蛙だけのための歌であり、そうであるからに は「澄んだ水、清流」そして「鳴く」という二つの言葉が不可欠だったのであ る。「かはづ鳴く神名火川に影見えて今か咲くらむ山吹の花」 は、神社のある場所の川のことをいう。ここでは飛鳥川か竜田川だ。この歌に は山吹の花が出現する。「清流」「鳴く」「山吹」の三つの言葉がこうして、「か はづ」とセットになって現れるようになる。「かはづなくるでの山吹ちりにけ り花のさかりにあはまし物を」 |これは『古今和歌集』の歌だ。井出の玉川 は山城の国の川のことだが、「玉川」は清流を意味する。川は清流でなくては ならず、水は、常に流れて水を入れ替える=でよくてはよう!よい。「匹こよく pv しゅう が対 日 」が対時され、「流れる川」に対して 」が対時されたのである。古池とはどんな池だろうか。まず流れな い。水が入れ替わらない。澄んでいない。その底には、枯れ葉や木の残骸や動 物の死体が腐って堆積し、間違いなく濁っている。その周辺には苔や菌類や古 木や下草がいつも濡れてじっとりと生きていて、数え切れないほどの生命が地 を這っている。古池とは歴史の堆積であり、生命のるつぼなのだ。そこに蛙が 飛び込めば底の堆積物は一気に舞い上がり、水はさらに濁るだろう。かじか性 がそういう環境に暮らせるはずがなく、ここに登場する蛙はがま蛙や殿様蛙 牛蛙など、そのあたりで庶民が日常的にみかける生命力旺盛な蛙に違いない。 Vト さらに言えば、古池が川と違うところは、ふだんはじっと動かないところ だ。まるで川は我々人間の意識の流れのようであり、古池は我々人間の無意識 の堆積物のようである。みじろぎもしないその濁り水に突然一匹の蛙が飛び込 む、というその一瞬に起こるハモンのざわめきは、記憶の堆積と無意識に起 こるざわめきのようだ。何が起こったのか。周知のように禅では、座禅の際に このざわめきを意図的に起こす。p意識によって隠された連関への目覚めをも たらすためである。 芭蕉はこの句から、風雅の道を見つけたと言われている。すなわち、蕉風の 確立である。蕉焦風では、言葉の革命と新しい境地の創造が、確かにあった。そ トトキA+ -神名火川と れは、和歌の言葉の背後に隠された自然を、詩の言葉として発掘するというこ とだった。「木のもとに汁もなますも桜かな」 ーごく日常的な食べ物の出現。 J るャ 了東風々に糞のいきれを吹きまはし」 ふがん人のうしろむき」 -排池物も詠まれる。「団扇もて -まるで浮世絵のように、俗世の人の姿を捉える。 うぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれか うたをよまざりける」と、『古今和歌集·仮名序』にも言う。もはやかはづは 驚と同じくらい、和歌の世界のスターとなった。それもその美声ゆえであっ た。いったんスターとなったからには、代表的な和歌の集に登場し続ける。 海くれて鴨のこゑほのかに白し」||思い切りのいい不定形。声が色とL て眼に見える。和歌の言葉の繰り返しの中で日本人の脳裏に形成された定型E 自然観は、このように次第に崩れてゆき、江戸時代になってそれは新たな自 世界を構成することになった。私たちの今日の自然観は、和歌のそれではな~ 俳譜の自然観にずっと近い。 傍線部 a.bの漢字の読みを記せ。 (日留) (田中優子『江戸の自然,

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