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疑問しかないです。至急です!!!!!!! had は持つですが、したのもしも私に姉が入ればでは、なぜhadなんですか?

基本ワーク 1 絵を見て、 「もしも私が~を持っていれば....でしょうに。」という英文を作りましょう。 例題 play tennis なぞろう! If I had 1) If I had 2) If I had (1) haveの過去形。 take pictures were a racket, I would a camera, I money, I (2) ちょっと 冷たい buy this bag 3) If I had an umbrella, Ⅰ would go home now.. would の後に動詞の原形。 play tennis. (もしも私がラケットを持っていれば、テニスをするでしょうに。) willの過去形 take pictures. would (もしも私がカメラを持っていれば, 写真を撮るでしょうに。) this bag. buy. (もしも私がお金を持っていれば、このかばんを買うでしょうに。) would_ 日本語に合う英文になるように, もしも私がコアラであれば、もっと眠ることができるでしょうに。 If I a koala, I could sleep more. そうだね (3) に適する語を書きましょう。 (もしも私が傘を持っていれば、 今、家に帰るでしょうに。) go home now 別英作文 SCENE 岳とエマは, 波打ち際で遊んでいます。 I feel good. Me, too. (1) I will marry you. 【「もしも私が若ければ,~でしょうに」という文に] -> If I were young [younger] I would marry you... 仮定法では was ではなく -were を使うことが多い。 (2) What will you buy? ( 「もしもあなたが100万円持っていれば、〜でしょうか」という If you had a [one] million yen what would you buy? L willの過去形。 -canの過去形。 2 日本語に合う英文になるように,{}の語句を並べかえましょう。 (1) もしも私に姉がいれば, 彼女と一緒に買い物に行くでしょうに。 {I/1/a sister / go shopping / had / would / if / ,} with her. If I had a sister. I would go shopping. (2) もしも今日が休みであれば, 家族と動物園を訪れることができるでしょうに。 { were / could / visit / the zoo / a holiday / today / if / I/, } with my f If today were a holiday. I could visit the zoo with my fa be 動詞は were を使うことが多い。 I would buy a house by the sea. 毎日この景色が with

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現代文 高校生

この暇と退屈の倫理学の問題が考えれば考えるほど分からなくなってしまったので、解説、解答してくだされば嬉しいです!お手数おかけしますがよろしくお願い致します🙇

R (H M 青 Jeg いるのである。 は社会主義革命の到来後の社会 以外の何に向かうのか。 に向かうのだろう。 余裕を得 しよう。そのときに私たちけ の講演 「民衆の芸術」で、 の盗人のように突然やってく。 モリスは、もしかしたら 起こそうかと考えている。 おもしろいのは、社会 だろうか。 者、ウィリアム・モリ 理学の試みは、 いかに生きるべ 殿の中で退屈し 国や社会が豊かになれば、そこに生きる人たちには余裕が生まれる。その余裕には少なくとも 一つ目はもちろん金銭的な余裕だ。人は生きていくのに必要な分を超えた量の金銭を手に入れ る。稼いだ金銭を全て生存のために使いきることはなくなるだろう。 二つの意味がある。 もう一つは時間的な余裕である。社会が富んでいくと、人は生きていくための労働に全ての時 間を割く必要がなくなる。 そして、何もしなくてもよい時間、すなわち暇を得る。 では、続いてこんなふうに考えてみよう。富んだ国の人たちはその余裕を何に使ってきたのだ ろうか。そして何に使っているのだろうか。 「富むまでは願いつつもかなわなかった自分の好きなことをしている。」という答えが返って きそうである。確かにそうだ。金銭的・時間的な余裕がない生活というのは、あらゆる活動が生 存のために行われる、そういった生活のことだろう。生存に役立つ以外のことはほとんどできな い。ならば、余裕のある生活が送れるようになった人たちは、その余裕を使って、それまでは願 いつつもかなわなかった何か好きなことをしていると、そのように考えるのは当然だ。 ならば今度はこんなふうに問うてみよう。その「好きなこと」とは何か。 やりたくてもできな かったこととはいったい何だったのか。今それなりに余裕のある国・社会に生きている人たちは、 その余裕を使って何をしているのだろうか。 「豊かな社会」、すなわち、余裕のある社会においては、確かにその余裕は余裕を獲得した 人々の「好きなこと」のために使われている。しかし、その「好きなこと」とは、願いつつもか なわなかったことではない。 問題はこうなる。「そもそも私たちは、余裕を得たあかつきにかなえたい何かなど持ってい! たのか。 少し視野を広げてみよう。 二十世紀の資本主義の特徴の一つは、"文化産業とよばれる領域の巨大化にある。 二十世紀の資 本主義は新しい経済活動の領域として文化を発見した。 もちろん文化や芸術はそれまでも経済と切り離せないものだった。芸術家だって霞を食って生 きているわけではないのだから、貴族から依頼を受けて肖像画を描いたり、曲を作ったりしてい た。芸術が経済から特別に独立していたということはない。 けれども二十世紀には、広く文化という領域が大衆に向かって開かれるとともに、大衆向けの 作品を操作的に作りだして大量に消費させ、利益を得るという手法が確立された。そうした手法 に基づいて利益を上げる産業を文化産業とよぶ。 「好きなこと」はもはや願いつつもかなわなかったことではない。それどころか、そんな願い なこと」を与えてもらっているのだから。 があったかどうかも疑わしい。 願いをかなえる余裕を手にした人々が、今度は文化産業に「好き 分の好きなことが何なのか分からない。 資本主義の全面展開によって、少なくとも先進国の人々は裕福になった。そして暇を得た。だ が、暇を得た人々は、その暇をどう使ってよいのか分からない。何が楽しいのか分からない。自 そこに資本主義がつけ込む。文化産業が、既成の楽しみ、産業に都合のよい楽しみを人々に提

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