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情報:IT 高校生

簿記です。 商業科のものです。 左が答えで右が私の回答です。 次月繰越のところが私の回答では数量の多い方が上にきていますが、答えでは数量の少ないほうが上に来ています。私の回答は間違えですか?それとも逆でもありですか?

令和 〇年 31 008LOTE 12 21 24 131 返回 前 売 摘 12 山形商店 31 次月繰越 18 秋田商店 21 山形商店 次月繰越 月繰越 り ㈱ 越げ品収越 (先入先出法) 令和 摘要 〇年 31 前月繰越 400 7 宮城商店 500 要 上 15 宮城商店 450 1,400 50 入 数量 単価 金 借 770 商 660 205,000000,000,2 609,000 000,0TEA 品名 440 176,000 660 330,000 方 額 33,000 掛 814,000 346,500 元 形商店 18 450 885,500 1,400 有 高 帳 A 品 払 50 単価 000.000 400 440 200 660 300 660 帳 660 770 方 49,500 600,000 164,500 814,000 出 金 額 198,000 (000,002, 33,000 346,500 885,500 借また は貸 借 "1 数量 400 400 500 残 残高 LAME 176,000 132,000 300 660 300 660 450 770 450 770 50 660 450 770 440 660 205,000 814,000 764,500 _164,500 単価 金 額 440 176,000 176,000 330,000 (単位:個) 198,000 198,000 346,500 346,500 33,000 346,500 令和 〇年 31 摘 前月 繰越 12 売り上げ 21. 返 36 24回 収 3. 次月繰越 (先入先出法) 令和 (注意) 売掛金元帳は締め切ること。 年 摘要 売 受 借 掛 元 山形商店 方 18 205,000 609,000 814,000 入 商 品 有 高 帳 品名 A 数量 31 前月繰越 400 7 宮城商店 500 660330,000 1/2山形商店 15宮城商店 450 770315,000 18 秋田商店 21 山形商店 50 990 3.1 次月繰越 単価 440 176,000 帳 カ 払 世 額 数量 単価 金 49,500円 1,400円 (注意) 商品有高帳は締め切ること。 49,500 6.00.000 164,500 814,000 借また は貸 118 " "/ 額 数量 残 6450770315,000 50 990 49,500 870-5001,400 870,500 (単位:個) 高 単価 金 額 400 440 176.000 400 440 176,000 2.500 66.0 3.30,000 残 2 高 205.000 8,14,000 764,500 1,64,500 4400440 176,000 200660 132,000300 660 198,000 300660 198,000 2450 770315,000 300 66.0 198,000 450770315,000 450 770 315,000 250 990 49,500... [J] "

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歴史 中学生

(5)を「商品作物」、「農具や肥料」、「お金」を使って教えて下さい🙏

演習問題 B ほり □1) 下線部a について, 弥生時代の濠に囲まれた大規模な集落の遺跡 ■右の年表を見て,次の問いに答えなさい。 にあてはまるものを,次のア~エから1つ選び,記号で答えよ。 [土] さんないまるやま ア 三内丸山遺跡 のじりこ イ 野尻湖遺跡 ウ 岩宿遺跡 工 吉野ヶ里遺跡 じっし 72 記述 下線部bで実施された班田収授法について、「戸籍」 「ロ 2 「口 分田」の語句を用いて簡単に説明せよ。 戸に登録された6歳以上の全ての人々は自分があたえる。 れ、その人が死ぬと国に返すことになる。 □3) 下線部c について 正しく述べたものを次のア~エからすべて選 び, 記号で答えよ。 [アイ] ア 平安時代, 武士は開墾した領地を寄進して, 中央の貴族や寺社 しょうかん の荘園とし、 自分は荘園の管理者 (荘官) となって権力を広げた。 たいらのもり だいじょうだいじん 平清盛は武士としてはじめて太政大臣になり, 一族は高い官 TOR 年代 前4世紀 稲作が広まる 701 5. 経済史 できごと むらができる 1.2.3 a b 大宝律令が制定される へいあんきょう 794 平安京に都が移される 荘園・公領が広がる C 1192 源頼朝が征夷大将軍になる 1338 足利尊氏が征夷大将軍になる 1428 正長の土一揆がおこる se X 1592 豊臣秀吉が朝鮮侵略を始める 1603 徳川家康が江戸幕府を開く 職について, 広大な荘園を支配した。 あくとう しんにゅう ほうもつ ば ウ鎌倉時代,悪党とよばれる武士が, 荘園や寺社に侵入して年貢や宝物を奪ったりした。 江戸時代の百姓,荘園を持つ本百姓と, 荘園を持たない水のみ百姓に分かれていた。 4Xの期間におこったできごとを次のア~エからすべて選び、年代順に並べ記号で答えよ。 [イ→エアーウ] ア太閤検地が行われ, 全国の土地が統一的な基準である石高で表された。 1582~ L イ戦国大名が独自の分国法を定めて民衆を取り締まり,商工業者を集めて城下町をつくった。 1556~ ウ 商人が同業者ごとに株仲間をつくり、営業を独占する特権を認められた。 1772~ エ 楽市・楽座が行われ、関所が廃止された。 1577~ はい し 15 記述 下線部d以降の農村のくらしの変化を述べた次の文中の [ 成させよ。ただし,「商品作物」、「農具や肥料」,「お金」の3つの語句をふくめること。 江戸時代中期になると、自給自足に近かった農村のくらしが大きく変化し、農民は[ [ □に適当な言葉を書き入れて文を完 ]

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国語 中学生

この文章の四角Cには「かわず」という言葉が入るんですが、なぜかわずなのか教えて欲しいです🙇‍♀️

あとの問い! 砂漠は私たちの住む日本の風土の反対の極と言ってもいいであろう。稀辻哲郎はあの有名な『風土』という書物の中で、世界の風土 をモンスーン型、牧場型、砂漠型の三つに分け、砂漠型を私たちの住むモンスーン型風土の対極に置いた。そして、モンスーン型の日 本人がインド洋を抜けてアラビア半島にたどりついたときの衝撃を記している。その衝撃とは、「人間いたるところに青山あり」など と考えているモンストン型日本人が、どこをどう見回しても青山など見あたらぬ乾ききった風土に直面した驚きだと言う。 *じんかん せいざん たしかに、砂漠は、青山的な私にとって衝撃そのものだった。そこにあるのはただ砂と空だけなのだから。けれど、そうした砂の世 界に何日か身を置いてみると、 砂は私に何事かをささやきはじめた。そして、不思議なことに、今度は自分が住んでいるモン スーン型の日本の風土や、そこにくり広げられている生活が〝世界〟のように思えてくるのである。 B 砂漠には何もない。何もないということが当然のようになってくると、逆に、なぜ日本の生活にはあんなにもたくさんのものがある のか、奇妙に思えてくる。あんなに多くのものに取り巻かれなければ暮らしていけないのだろうか、と。 それらのものは、 全部余計なものではないのか。余計なものに取り巻かれて暮らしているから、余計な心配ばかりが増え、肝心の生きる意味が見失われ てしまうのではないか・・・・・・。しかし、待てよ、と私は考える。生きていくのに必要なものだけしかないということは、文化がないとい うことではないか。 生きていくうえに必要なもの、それを上回る余分のものこそが、実は文化ではないのか。文化とは、言ってみれば、 余計なものの集積なのではないか。だとすれば、砂漠を肯定することは、文化を否定することになりはしまいか・・・・・・。 それにしても――と私はさらに考え直す。私たちはあまりにも余分なものを抱えこみすぎているのではなかろうか。 余分なものこそ 文化にはちがいないが、さりとて、余分なもののすべてが文化であるわけもなかろう。 余分なものの中で、どれが意味があり、何が無 価値であるか、それをもう一度考え直す必要がありはしまいか……。 砂漠とは、こうした反省を私にもたらす世界である。砂漠は現代の文明社会に生きる人びとにとって、一種の鏡の国と言ってもいい ような気がする。 私は砂漠に身を置くたびに、ある探検家がしみじみともらした次の言葉をかみしめる。 「砂漠とは、そこへ入りこむ 先には心配で、そこから出て行くときにはなんの名残もない、そういう地域である。 砂漠には何もない。ただ、その人自身の反省だけ があるのだ」私は、砂漠に自分自身の姿を見に行くのである。 3. 砂漠は、私たち日本人が考えがちなロマンチックな場所ではけっしてない。王子さまとお姫さまが月の光を浴びながら銀色の砂の上 を行く――などというメルヘンの世界ではない。 昼と夜とで温度は激変し、一瞬のうちに砂嵐が天地をおおってしまう、そういうおよ である私は、こうした砂の世界に足を踏み入れたとたん、いつも後悔する。よりに 非情な世界である。日本という井の中の よって、なんでこんなところへ来てしまったのか! だが、その後悔は、やがて反省へ変わり、さらに希望へと移っていく。生きるこ とへの希望へ。 この意味で、砂漠こそ最もロマンチックな場所であり、メルヘンの世界だと私は思う。なぜなら、そうした"世界"へ行こうとす ることこそが、現代ではいちばんロマンチックな行為のように思われるからだ。 メルヘンの世界とは、さかさまの国のことである。だ とすれば、砂漠行こそ、まさしくメルヘンの国への旅ではないか。 もりもとてつろう (森本哲郎「砂漠への旅」<『すばらしき旅』所収〉より) *モンスーン型=季節風に支配される湿度の高い地域の風土。 (骨を埋める場所)があるのだから、広い世間に出て

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