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数学 高校生

緑マーカーのところが理解できません… 教えてください!!

500円,100円, 10円の3種類の硬貨がたくさんある。 この3種類の硬貨を使っ て, 1200円を支払う方法は何通りあるか。 ただし, 使わない硬貨があってもよ いものとする。 支払いに使う硬貨 500円, 100円, 10円の枚数をそれぞれx,y,zとすると ・基本7 指針 500x+100y+10z=1200 (x,y,zは0以上の整数) この方程式の解 (x, y, z) の個数を求める。 ..... 金額が最も大きい 500円の枚数xで場合分けすると、分け方が少なくてすむ。 支払いに使う 500 円,100 円,10円硬貨の枚数をそれぞれ 解答 x,y,zとすると, x,y,zは0以上の整数で 500x+100y+10z=1200 すなわち 50x+10y+z=120 よって 5x≦12 x=0, 1,2 ゆえに 50x=120-(10y+z)≦120 xは0以上の整数であるから [1] x=2のとき 10y+z=20 この等式を満たす 0 以上の整数y, zの組は (v, z)=(2,0),(1,10, 0, 20) の3通り。 10y+z=70 [2]x=1のとき 2 この等式を満たす0以上の整数y, zの組は (y, z)=(7, 0), (6, 10), ………,(0,70)の8通り。 [3] x=0のとき C 10y+z=120 この等式を満たす0以上の整数y, zの組は (y, z)=(12, 0), (11, 10), …,(0,120) の13通り。 (S-n)(1- [1], [2], [3] の場合は同時には起こらないから, 求める場 合の数は 3+8+13=24 (通り) -(S-1)(1 不定方程式 (p.569~)。 y0,z≧0であるから 50x≤120 これを満た す0以上の整数を求める。 | 10y=20-z≦20 から 10y 20 すなわち y≦2 よって y=0, 1,2 10y=70-z≦70 から 10y70 すなわち y≦7 よって y=0, 1, …, 7 | 10y=120-²≦120から 20 10y≤120 44 すなわち y≦12 よって y=0,1, …, 12 和の法則

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現代文 高校生

このプリントの答えが配られなくて答えが分からないので答えを教えてほしいです。

(② (8 ) 鷗外の活躍した明治時代- 村らの自然主義の文学が全 の文学を快く思わない人た 石と森鷗外だった。 鷗外の子どもの名前 鷗外には二男三女の五人の それぞれの名前は、長男於 杏奴(あんぬ)、次男不 いう。 これは、自分の本名「り いものだったため、子ど- イツ語やフランス語で通 であった。 そえぞれ「 ッツ」 「ルイ」に通じる ●鷗外の挑戦 政府中枢の一員とは る作品も発表。 ⇒ エ ・「妄想」・・・ドイツで ・「普請中」・・・ドイツ ・「半日」…鷗外の家 ・「沈黙の塔」….大逆 ・「鼠坂」…中国でのロ ・「ヰタ・セクリアス」 PENT=7 「安楽 一八六二年島根県津和野に生まれる。 本名は (1 森家は津和野藩主亀井家の典医であり、長男の林太郎は医 者になるべく運命づけられていた。藩の学校、養老館に通い、 語を学ぶ。 オランダ語を学び、父と上京し (2 十二歳で第一大学区医学校(今の東大医学部)に入学する。 十九歳で卒業し、卒業後は陸軍二等軍医となる。 一八八四年~一八八八年(3 ) 留学。医学を学ぶ 一方で、文学や美術も学び視野を広げる。 一八八八年(二十六歳) の九月八日に日本に帰国するが、九 月十二日に「舞姫」のエリスのモデルとなったドイツ女性が 来日する。 一八九〇年ドイツ留学中の体験を素材にした短編小説 を発表。「4」「5 「6 」はドイツ三部作と呼ばれる。 文学活動を休止し、軍医として (7 戦争や ) 戦争に従軍、陸軍軍医総監という最高の地位 に上りつめていく。 一時は離れていた文壇に復帰し、長編小説 「青年」、中編小 説「雁」「ヰタ・セクリアス」などを発表。文壇は自然主義 文学の全盛期だったが、 (9 )とともに セリファース の立場に立って対抗した。 一九一二年明治天皇崩御を追った (11 以後(14 の殉死に衝撃を受け、興津弥五右衛門の遺書を一気に書き、 ・「高瀬舟」 小説に進んでいく。「阿部一族」「大塩 平八郎」「三章大夫」「最後の一句」「高瀬舟」などの(12) を次々発表。歴史の事実を重んじる執筆態度を歴史其儘と いい、フィクションを取り入れる方法を歴史離れと呼び、後 者の方への移行を表明していた。 一九一六年に陸軍の勤務を引退した頃から幕末の人物の足 跡を克明に考証する史伝の領域に踏み入れ、「渋江抽斎」「伊 沢蘭干」などを発表した。 一九二二年六十歳で死去。「余は石見森林太郎として死せん と欲す」と遺言し、 各地にある墓には「森林太郎墓」としか 書かれていない。

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