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歴史 中学生

『至急』誰か教えてくださる心優しい方…!🙌🏻

入試 (滋賀) ート 産業の発達と幕府政治の動き 前 3 江戸時代の産業の発達を考えよう! (1) 江戸時代に開発された, I の脱穀を 「だっこく I 効率的に行う農具を何といいますか。 A B さか (2) 江戸時代に栽培が盛んになった, 京都 販売を目的とする農作物を何といいますか。 ほしか (3) 干鰯の原料とされた魚の大規模な漁が行われ た地域を, ⅡI中のア~エから1つ選びなさい。 そうしょう (4) Ⅱ中のAの街道の総称と, Bの航路をそれぞ れ何といいますか。 III ⅣV (5) 記述 大阪が 「天下の台所」とし て栄えた理由を, ⅡI を参考にして, くらやしき 「蔵屋敷」の語句を使って、簡単に書 きなさい。 といや (6) 工業について ① Ⅲのように問屋 しょう き が農民に織機やお金を貸して織らせた布を買い取る工業と, ②Wのように大商 人らが工場で人を雇って分業で製品を作る工業を, それぞれ何といいますか。 (6) 江戸幕府の政治改革と対外政策をおさえよう! I とくがわよしむね あやま 1600 (1) 徳川吉宗が行った改革の内容として, 誤っているも 千石 1500 のを,ア~エから1つ選びなさい。 けんやく 1400 ア 倹約令を出した。 イ 動物愛護の政策を採った。 ウ 上げ米の制を定めた。 エ 目安箱を設置した。 やすばこ 1300 4 (5点x7問. (2). (5)は10点) 記述 徳川吉宗は、 新田開発を進めました。 Ⅰ は, 0 1716 1726 1736 ぱくりょう ねん く 5 吉宗のころの幕領における年貢収納高の推移を示して (1) S. 1725 1735 1745年 ※年貢収納高は10年間の平均値 (「日本史辞典」 ほか) 1) います。 吉宗が新田開発を進めた目的を, Ⅰ から読み 取れることを基に、 「年貢」 「財政」 の語句を使って, 簡単に書きなさい。 たぬまおきつぐ しょうれい みずのただくに (3) ① 田沼意次が株仲間の結成を奨励した目的と, ② 水野忠邦が株仲間の解散を 命じた目的を,ア~エから1つずつ選びなさい。 ア 物価を下げるため。 イ ききんに備えるため。 ウ 営業税を納めさせるため。 エ 政治批判を禁じるため。 2 まつだいらさだのぶ しょうへいざか じゅがく 4) 松平定信が昌平坂学問所で学ばせた儒学の一派の学問を何といいますか。 5) 幕府の対外政策について述べた, 次の問いに答えなさい。 外国船が日本に近づくようになり アヘン戦争で清が 水野忠邦が 825年に、 幕府が □を出す。 イギリスに敗れる。 をやめる。 ① 上の □に共通してあてはまる法令を書きなさい。 たかのちょうえい わたなべさん しょぼつ 「蝦夷地 2 幕府の対外政策を批判した高野長英や渡辺崋山らが処罰され たできごとを何といいますか。 ま みや ) 外国船について, ラクスマンとレザノフが日本に来航した後、 幕府は間宮 りんぞう 林蔵にⅡI中のXの島の調査を命じました。 Xの島を何といいますか。 記述!! 幕府がⅡI中のXの島の調査を間宮林蔵に命じた理由を、簡単に書 きなさい。 p.124 (20 -137 大阪 江戸 (4) 3 (5点x7問.(5)は10点) [ (1) (2) (3) (5) G /65点 /35点 組 /100点 ★印は、入試でよく出題される時です。 /45 A 語合計得点 B 1 (3) 1 (4) (3) 航路 思 /55

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日本史 高校生

【大至急お願いしたいです🙇‍♀️💦】 赤線の問題を教えてください🙏🙇‍♀️

ももかわ しもつけ が没すると,Dは藤原式家の百川らによって下野薬師寺に追放された。 その 後,天智天皇の孫の ( 6 ) 天皇が即位した。 II I (1) 文中・図中のA~Dに適する人物を書け。 (2) 文中の( )に適する語句を書け。 (3) 下線部aについて、文中の (3) が政界から の追放を要求した人物を2人書け。 (4) 下線部bについて,次の問いに答えよ。 ① 741年に出された詔を何というか。 (2) 右の史料 Ⅰ の傍線部あが,当初造立され た宮都はどこか。 かいげんくよう ③ 大仏の開眼供養を行った天皇は誰か。 ま た,それは西暦何年か。 (5) 右の史料 II について,次の問いに答えよ。 ① 傍線部は西暦何年か。 (2) 傍線部は何という法令のことか。 (3) この史料は何という法令か。 (4) ③ 以降、寺院や貴族、地方豪族が農民な かいこん どを使って開墾した土地を何というか。 (6) 史料 Ⅰ・ⅡI の出典である歴史書は何か。 怠 た たいけん ちんなり あるしゃなぶつ いきおい ほしみずのとひつじ 者は脱也、天下の勢を有つ者も朕也。 して、三世一身を論ずること無く、成悉に永年取ること莫れ。 いっく きのとうし みことのり 意して、地を開きて復た荒れぬ。今より以後、任に私の財と為 (天平十五年五月)乙丑、詔して曰く、「如聞、墾田は、 七年の格に依て、限満るの後、例に依て収授くと。是に由て農夫 して盧舎那仏の金銅像一軀を造り奉る。…..夫れ天下の富を有つ 天平十五年歳癸未に次る十月十五日を以て、菩薩の大願を発 たてまつ ま おさめさず もっ これ ぼさつ なか より たいがん ...... まま かくきけ と農養 *** そ 有もを つ 発

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現代文 高校生

朝のヨット 少年は人間だった時にどんなことに対して臆病でしたか?の答えを教えてください🙇‍♀️

朝のヨット 山川方夫 あけぼの の色がほのかに東の空を染めて、間もなくその日の最初の太 陽の光が、はるかな海面を錫箔のように輝かせた。 洋上はまだ薄暗 く、空と海の境もはっきりしなかったが、 とにかく、海には朝が来 ていた。 が一羽、そのヨットの上空で、 ゆるやかに翼を上下していた。 鴎は、まるでどこまでも離れない決心をしたもののように、そのヨ ットと方向と速度を一つにして、 朝空を動くかなりの風の中を翔び つづけた。 「行ってくるよ」 少年はスナイプ型のヨットに乗り、 その舫綱を解きながら、 少女 に声をかけた。 「ねえ、つれて行って。 私も」 「だめだったら」 少年は、怒ったような声音だった。 「海は、二人でたのしみに出かける場所じゃない。 人間が、 一人き りでぶつかりに行く相手なんだ」 「私よりも、 海のほうが好きなの?」 少年はいらだち、 神経質に眉をよせた。 「君といっしょにいると、僕は、ときどきもう一人の自分が、 ひど く遠いところに置き去りにされているような気分になる。 僕は、そ のもう一人の自分を取りもどすために海へ行くんだ。 .海は、 人 間を本当の一人きりにしてくれる場所だからね」 「どうして一人きりになりたがるの?」 「女にはわからないさ」 少年はきびしい顔で答え、ふいに白い歯を光らせて笑いかけた。 そして、いった。 「君を好きだよ」 スナイプは、すでに岸を離れていた。 白い帆を斜めに、群青の午 後の海をすべって行くヨットを見て、少女は目に涙がうかんでき た。だが、少女は笑顔のまま手を振りつづけた。 急速にひろがる二 人の距離、 明るいその海面の広さを、 そのまま、 遠ざかる帆の速さ で彼女の胸を裂き、 ひろがる一つの口のように感じながら。 少年はそして海に消えた。 沿岸や離島の各所からの返電はすべて 『到着ナシ』であった。 急変した天候、 突風と小さな竜巻とが、ど うやら、その理由を語っていた。

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現代文 高校生

この問題が見当たらないのですがどこの問題集から出ているかわかる方いますか 勉強内容以外のことですいません

① 「都市へ」 解答・配点 理的文章 (+実用的文章 論理的文章 (+実用的文章 正解 ④ 1① ] ④ 4 8 8 ① (ウ) 2 (木) 2 58 D 28 3 設間 配点 (7) 2 44 @ee (2) 0918 計 CE (i) 4 10 ③ | (11) FEHE 23 鈴木博之 「都市へ」 「プロローグ 都市における近代とはなにか」 の一 出典 節。出題に際しやむを得ない事情により、一部省略・変更した箇所がある。 なお、写真については、編集の都合上、類似したものに変更した。(写真提 供: 時事通信フォト) 鈴木博之は、一九四五年、東京生まれ。 建築史家。東京大学工学部教授、 東京大学大学院工学系研究科教授、青山学院大学総合文化政策学部教授、博 物館明治村館長、公益財団法人明治村副理事長などを歴任。 二〇一四年、逝 去。著書に「建築の世紀末」 「建築の七つの力」「夢のすむ家 20世紀をひら いた住宅」「東京の[地霊]」 「見える都市/見えない都市まちづくり・ 建築・モニュメント」「日本の〈地霊)」 「都市の記憶」などがある。 問題文の解説 原典では各部分にこまめに小見出しがつけられており、問題文をそれを利 て分けると次のようになる。第1段落~第団 段落=「都市は単なる 器で 用し の建物やそれによって構成される町についても同じで、 つまり、日本の町や 建築は根本的に、すべては仮のもの、移ろいゆくものと見る精神、すなわち 無常の精神の上に成り立っているようである。 そこからは消えてしまったも のの名残の風情やゆかりをしのぶ精神なども浮かび上がってくる。 (7) これに対し、廃墟は移ろわずそこに厳然とそびえ続けているものである。 こういうものを建造するヨーロッパ精神には、永遠を実体として表現し、 物 理的にとどめようとする意志が感じられる。すなわち、ヨーロッパの建築や 都市は建築材料の特質ゆえに残っているというだけのものではなく、建造さ れたときから水を物理的に保証する存在として、すなわち廃墟や遺跡とし 残るべく造営されたのであり、そこには、無常ではなく、水を志向する 精神がある。 ( Ⅲ「「永遠」と「今」」 ⑨~図> ヨーロッパの都市と建築を支配し、そこにヨーロッパ特有の表情を与えて いるのは「「永遠」に連なってゆく 「時間」に対する意識の存在」である。 そして、それがヨーロッパの都市の美観を形成している。 たとえば、西欧 に比べて日本の都市が美的でなく、混乱と無秩序に満ちていると指摘される ことが多いのは、日本人の日常生活に永遠がなく、「今」しかないからだろ う。つまり、永遠に残そうなどという思いはなく、当面の役に立てばいいく らいの気持ちで、場当たり的に都市や建築を造っているのである。 それに対 して、ヨーロッパの「永遠」を志向する精神は都市建築を永遠の時間に堪 る ゆえんである。 ) えられるものとして建造しようとする。 廃墟遺跡が残る都市が美観を呈す われわれ日本人は、旅行空間を移動することであり、別の空間を味わう ことだと思い込みすぎている。ゆえに旅行先の都市や建築に時間を見出そう とする感覚が稀薄となり、それらに意識を傾注しようとしない。しかし、異 なる場所を訪れるということは、そこに流れる異なる時間の中に身を置くこ とであり、旅行とは本当は時間の体験なのである。 それがわかったとき、そ 遼」と「今」」、第四段落~第四段落=「都市を変えてゆく力/近代化の はない」、第⑤段落~第1段落=「廃墟の概念」 まり」、第2段落第2段落=「近代化と文化的アイデンティティ」。わかり やすいので、この原典の小見出しに従い、それぞれの議論の要点を整理し、 その内容をできるだけ端的に解説していくことにする。 <Ⅰ「都市は単なる器ではない」 ~団〉 いわゆる観光旅行において、実際には都市や町や建築を目にしている時間 が圧倒的に多いはずでありながら、意識はその中にある遺物、そこにまつわ る歴史や由緒あるいはみやげ物や特産品などの商品の方に向きがちであ り、都市のあり方や町並みそのもの、 建築そのものに見入るということが少 ない、そう筆者は指摘する。 それは観光の目的が都市なりなり建築なりの 中身にあると思い込んでいるからであり、都市や町や建築を単なる器にすぎ ないと思う気持ちがあるからだろう。 (12) しかし、たとえばゴシックの大聖堂が単なる入れ物としての建物ではな く、それ自体その精神世界を造形したものであるように、ヨーロッパなら ヨーロッパの都市は、その都市を造った者たちの精神を体現している。つま り、都市そのものに見入れば、そこにその都市固有の精神が現れてくるので ある。したがって、都市や建築は単なる器ではないのである。(M) しかし、それぞれの都市と建築に込められている精神とはどのようなもの か、それはどこを眺めれば解るのかという質問に直ぐに答えが出せるかとい うと、それはそう単純にはいかない。 (①) <I「廃墟の概念」⑤~回> そこで右の質問にひとつの例を以て答えてみる。 ヨーロッパの都市の精神を垣間見るのにはどこを眺めればいいのか。その 答えの一つは廃墟、遺跡である。それでは、そこにはどんな精神が見出せる のか (⑤⑥) たとえば日本の社寺は放っておくと消えて山野に戻ってしまう。それは他 の時間を体現する都市と建築の存在に目が向けられ、そこに込められた精神 に近づくことになるだろう。 (2) 《Ⅴ「都市を変えてゆく力近代化のはじまり」 (1~ 時間のなかに都市を見るとき、十八世紀までの都市のすがたと十九世紀以 後の都市のすがたとのあいだには根本的な差異が存在していることに気づ く。そして、その中でも最も顕著な差異は都市や建築の大規模化である。逆 に言えば、十八世紀までは都市や建築は中世と本質的に変わらないものを用 い続けてきたということになる。 それが十九世紀になってはじめて、都市は 急激な人口増加とそれに伴う都市改造により様相を変えたのである。(図~ この急激な変化の原因の一つは十八世紀末にはじまる産業革命とそれによ る初期の工業化社会の到来である。また、フランス革命がもたらした基本的 人権や土地改造もその後の都市の大変革に影響しなかったはずはない。さら にアメリカの独立宣言もヨーロッパ世界だけが世界の中心だとする観念を相 対化させるものであり、いずれもヨーロッパの都市を中世的なものから近代 的なものへと転換させるべく作用し、近代の土壌を用意するものであった。 《V「近代化と文化的アイデンティティ」 (22) ここでアジア諸国における近代化について考える。 近代化過程の初期においては、 アジア諸国は西欧的近代主義をモデルとし て、それに邁進してきた。 しかし、次第に西欧文明の摂取と自国の文化的ア イデンティティの両立をいかにはかるかが問題となってくる。 そこで考えら れたのが、たとえば日本の「和魂洋才」のように、技術文明と文化の価値尺 度を分離して、文化の価値尺度については自分たちの伝統的なあり方を維持 し、技術だけを西欧から摂取するという理念である。しかし、そんな 実際に可能だったのだろうか。 特に技術と生活 いると言っていい都市

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