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日本史 高校生

日本史わかる方答え教えてほしいです。

答えはすべて解答欄に書きなさい。 (3点×2) (3) 日英同盟と日露戦争に関する次の説明で、誤りのあるものを 一つ選び記号で答えよ。 (教科書 P.235 参照) [3] (3) ア 義和団戦争後も満洲に居座るロシア軍に対し,政府は韓国が ロシアに支配されるとの危機感から, 日英同盟を結び対抗策を 取った。 (4) 1904年,日露戦争が始まり, 日本陸軍は旅順, 奉天と敗戦を 重ねたが,海軍が日本海海戦で圧勝し戦争を逆転勝利に導いた。 ウ 戦争継続が困難になった日露両国は、アメリカの斡旋でポーツマス条約を結び講和したが, 日本は賠償金を獲得できなかった。 (4) 桂園体制から大正政変に関する次の説明で,正しいものを一つ選び記号で答えよ。 (教科書 P.238~P.239 参照) ア 桂太郎と西園寺公望が交互に組閣する桂園時代は, 桂率いる政友会と西園寺が束ねる藩閥勢力の妥協で 政権が運営された。 イ 1912 年末にできた桂内閣は,権力濫用との批判をかわすため、 倒閣を狙う第一次護憲運動を認めたが大正 政変で総辞職した。 ウ 政友会の支持で誕生した山本内閣は、軍部大臣現役武官制や文官任用令を改めるなどして、政党勢力拡 大への道を開いた。

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国語 中学生

奥の細道の問題です 問6問7の答えを教えていただきたいです🙌🏻 また、問6は「戦に奮闘した兼房の白髪の姿」という解答は適切でしょうか?

二次の古文を読んで、あとの問いに答えなさい。 代の栄一のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり。 秀衡が跡は旧野になりて、 金鶏山のみ形を残す。 まづ、高館に 登れば、北上川、南部より流るる大河なり。 衣川は、和泉が城を めぐりて、高館の下にて大河に落ち入る。 泰衡らが旧跡は、衣が 南部口をさし固め、夷を防ぐと見えたり。さても義臣 すぐつて②この城に籠もり、功名一時の草むらとなる。 「③国破れ て山河あり、城春にして草青みたり」 と笠打ち敷きて、④時のう つるまで涙を落としはべりぬ。 ⑤ 夏草や兵どもが夢の跡 ⑥卯の花に見ゆる白毛かな 仲良 かてかしたる二堂開帳す。 経堂は三将の像を残し、 光堂 は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。 七宝散り失せて、玉の扉 風に破れ、金の雪に朽ちて、既に廃くうきょの草むらとな るべきを、四面新たに囲みて、 を覆ひて風雨を凌ぎ、しばらく 千歳の記念とはなれり。 ⑦五月雨の降り残してや ア イ A 問傍線部①とあるが、ここから見た景色はどのような様子で あったか。 適切なものを次のア~オから二つ選んで、その符 号を書きなさい。 ウ エ オ 衣川は高館の下で北上川と合流している。 北上川を隔てて金鶏山がよく見える。 和泉が城は、高館のそばに建っている。 北上川が高館の南から流れてきている。 北上川が南部地方から流れてきている。 問二 傍線部②は何を指しているか、文章中より書き抜きなさい。 問傍線部③はA誰のB何という漢詩を思い起こしたものか 漢字で答えなさい。 2 問四 傍線部の理由を次のア~エから一つ選んで、その符号を 書きなさい。 長年の夢だった高館にやっと来られた喜び。 イ ウ 人の営みのはかなさに対する感慨。 エ義臣たちの死に様に対する痛ましさ。 問五 傍線部⑤の情景と同じような情景を表した部分を文章中 より十一字で書き抜きなさい。 旧跡がまるで残っていなかった驚き。 問傍線部⑥に誰のどのような姿を重ねたのか。「奮闘」の語 を使って、 十字以上十五字以内で書きなさい。

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日本史 高校生

日本史得意な方教えて頂きたいです🥲

[3]近世社会の成熟と幕藩体制の動揺に関し,以下の設問に記号で 答えなさい。[思・判・表] (1) 享保の改革に関する次の説明で,正しいものを一つ選び記号で 答えよ。(教科書 P.166 参照) ア倹約令を出し, 上米の制を定めるなど財源確保に努めた。 イ 町人出資による新田開発を禁じ, 農民による開墾を奨励した。 ウ 競争原理を働かせるため、 株仲間による独占的営業を禁じた。 エ 財政難のもとで人材を登用するため, 相対済し令を出した。 (1) (3) (2) 蘭学の始まりに関する次の説明で,誤っているものを一つ選び記号で答えよ。 (教科書 P.172 参照) (3点×3) ア 8代将軍吉宗は、 漢訳洋書の輸入制限をゆるめ, 青木昆陽らにオランダ語を学ばせるなど西洋の学術を取り 入れようとした。 イ 西洋の知識への高まりから、平賀源内は、起電機や寒暖計をつくって人々を驚かせた。 ウ蘭方医の前野良沢・杉田玄白らは、オランダ語の解剖書を翻訳して『解体新書』を著した。 I 蘭学の入門書である『蘭学階梯』の著者稲村三伯の弟子である大槻玄沢は, 日本最初の蘭和辞書である 『ハルマ和解』を著した。 (3) 雄藩の誕生に関する次の説明で,正しいものを一つ選び記号で答えよ。 (教科書 P.184 参照) ア 幕末には,諸藩でも有能な中下級家臣を登用し、財政再建や藩権力を強化し,幕政改革に協力しようとする 動きがみられた。 イ 長州藩では,村田清風が商人から多額の借財を行い、紙や蝋の専売制を改革した。 ウ幕府は,江川英龍(太郎左衛門)に命じて伊豆韮山に反射炉を築き、大砲を鋳造した。 I 薩摩藩では調所広郷を登用し、奄美の黒砂糖の専売制度や琉球経由の貿易の大規模な事業化に成功した。

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古文 高校生

棒線部イの設問はなぜそのような心地がしたのか40字以内で説明せよという問題で、解答は直前の内容の雨の中来て話し合いをしてくれたからという内容でした。ですがそれではふるさとびとのような心地にはならないと思います。なぜこのような回答になるのですか。私は主語の羅列の部分から伊勢神... 続きを読む

待 つ さんぐう しつら そうせき くわな 三次の文章は、室町時代の連歌師宗碩が京都から伊勢神宮を経て桑名(現在の三重県北部)に至る旅の道中を記した紀行文 「佐 みなと 野のわたり」の一節で、作者が大湊(現在の三重県伊勢市の一部)で船を出すために天候の回復を待っているところである。 読んで設問に答えよ。 ぐうじ かんぬし たる 二日ばかりありて、宮司大中臣基長、外宮第十神主常信、易憚禅門、二郎大夫光定、これかれ引き具して、樽などやうの物お あまま すべ ふるさとびと のおの携へて、雨間も見えぬ道の空、濡れ濡れ立ち寄られ侍り。さらさら故郷人の心地して、うち語りつつ侍るに、「いま一度 参宮申し侍りかし。さらば、ここかしこ残り多き会ども興行すべき」 よしあれど、今さらたち帰り参らんも、神慮さへ恥づか 口ふること しき心地して、「ただここながら、心しづかに」と申しとどめて、古言の本末など言ひ交はしつつ暮らし侍るに、雨いよいよ雲 間なければ、心細さもいやまさりゆくに、主の、あやにくに「発句一つ」とあれば、かつは思ひ立つ道の手向けにもと、 みなと 月や舟出だす夜さそふ湊風 ひと かやうに書き付け侍りしを、「さらば、これにて一折」など言ひて、百韻の連歌あり。 11. よこぢだち たうしよく 翌日は、おのおの立ち帰られしかば、名残恋しくながめ侍る折、内宮第四神主氏秀、横地館の当職うち連れて、雨もしとど にそぽちておはしたり。またこの人々の心ざしのほどなど言ひ言ひ、暮れかかるほどにひき別れぬ。さて、夜更くるまで物語な どしつつ、うち臥しぬる夢に老師宗祇存生の心地して会席に臨めるほどに侍りしが、その席、まことに玉を敷きたるやうに磨 き設ひたるに、発句・第三まで出で来ぬるやうに覚えて、四句目やらん、六句目やらん、この度奥州より上洛の人侍りし、その 人など申されしかの句に、 ちとせ もすそ 松は千歳の御裳濯の影 ホ たび と侍りし、「面に名所はいかが」など申すとおぼえて夢覚めぬ。 なほ久しく待つべきにやと思ひながら、かつは頼もしき心地し 侍りし。 おひて 神の助けはまことにあらたなることにて、その明け方より雲の気色かつがつ直りて、追手待ち侍るほどに、坂中務丞氏安、足 713 Jm wym 415m ひとたび -13-

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