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国語 中学生

九A、十がわかりません。

19 信して いたとノハリア 「強い私」を認識してくれる「自分以外の他者」がいなければ「強い私 イ の もっと言えば、「自分以外の他者」の存在を無視するとき、言葉、あるいは感覚 ですらその意味は無になる。「あのリンゴは赤い」という事実をいくら自分が認 識していたとしても、その事実を伝達する対象となる他者がいなければ、赤いリ ンゴ自体がどこにも存在しないものになるのだ 他者がいなければ自己も存在し得ない。つまり「私」という「自分」は、他者一 によって生かされているのである。 前に、なるべく誰かのためになりたい、誰かにとって役に立つ存在でいたい、 というようなことを述べた。それは私にとっては、決して「誰か」という他者の ためではない。それどころかそれは自分のためですらある。かのためになりた い、誰かの役に立ちたい、という思いは、「私」という「自分」を確立するため、" 私」という「自分」を架空のものにしないため、「私」という「自分」をどこか でこの世界につなぎとめておくための、ほとんど利己的とさえ呼べるほどの希望 なのである。 そういう思いを切ないくらいに抱えながら生きていくことが「自分らしく生き る」と呼ぶに足り得るものであるならば、もしかしたら私は自分らしく生きてい 自己を見つめる 私」という「自分」

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現代社会 高校生

それぞれの黄色の線を見ると逆のこと言っていませんか?アーレントの本当の考えを教えていただきたいです。

ユダヤ人の政治哲学者アーレントは,ホ 公共的空間とは何か ロコーストを自の当たりにして、人間や 社会のあるべき姿について考えた。アーレントは、地球に生きる私たち一 くすうせい 人ひとりが、それぞれに異なる考え方や価値観をもっているという複数性 に目を向けるべきだと説いた。そして人間のもっとも重要な営みは、単分 の生きる意味を求めつつ,同時に,自分とは異なる他者の生きる意味と言 葉に耳を傾け,世界の見方,考え方がさまざまであることを認め合い、自 アーレント(1906~1975年) アクション6 分を変容させる活動(action) にあると考えた。活動とは人と人が集ま り自分の考えを表明し,議論を交わすコミュニケーションであり,そうし 12著書「全体主義の起源」「人間の条件」。 ドイツの哲学者。孤立した大衆が、疑 似宗教的な政党にせん動され,他民族 や異分子を排斥することで、国民とし ての同質性を高めていく国家のあり方 た活動の場としての社会を公的領域と呼んだ。 ぜんた 私たちは,かけがえのない人生を生きたいと願い,人生の意味を求めて を全体主義として批判した。

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現代社会 高校生

それぞれの黄色の線を見ると逆のこと言っていませんか?アーレントの本当の考えを教えていただきたいです。

ユダヤ人の政治哲学者アーレントは,ホ 公共的空間とは何か ロコーストを自の当たりにして、人間や 20 社会のあるべき姿について考えた。アーレントは,地球に生きる私たち一 ふくすうせい 人ひとりが、それぞれに異なる考え方や価値観をもっているという複数性 に目を向けるべきだと説いた。そして人間のもっとも重要な営みは,単分 の生きる意味を求めつつ,同時に,自分とは異なる他者の生きる意味と書 5 葉に耳を傾け,世界の見方, 考え方がさまざまであることを認め合い,自 アーレント(1906~1975年) かつどう アクション6 分を変容させる活動(action)にあると考えた。活動とは人と人が集ま!?著掛「全体主義の起源」「人間の条件」。 ドイツの哲学者。孤立した大衆が、疑 り自分の考えを表明し,議論を交わすコミュニケーションであり,そうし 似宗教的な政党にせん動され,他民族 た活動の場としての社会を公的領域と呼んだ。 こうてきりょういき や異分子を排斥することで、国民とし ての同質性を高めていく国家のあり方 ぜんたいしゅぎ を全体主義として批判した。 私たちは,かけがえのない人生を生きたいと願い,人生の意味を求めて

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現代文 高校生

もし問2の問題が15字以内という指定がなかったら、 線を引いた「転向は道徳的にいかがわしいと感ずる意識」を抜き出しても丸でしょうか?

5 評論 20 43 田 来 R 2 日本的思考は、しばしば、模倣をこととする雑居性を特徴とするといわれる。それは、かつては中国を 模倣し、近代では西欧を模倣したといわれる。それがひどくいけないことのようにいわれるのは、 空欄に適当 異化である。差異と反復が模倣の本質である。そうなると、模倣と独創との差異の境界はきわめて小さく なる。西欧諸国の文化は、ギリシアとローマの差異化的模倣である。日本の場合にも同様に、中国と西欧 の差異化的反復である。差異化には、何らかのオリジナルな改作的工夫が必要である。 日本では、I_、儒教を儒学に変換し、宗教性をできるかぎり払拭して、操作可能な「知識」へと改 作する。これは日本におけるひとつの独自な特徴である。キリスト教であれ何であれ、宗教性がなくなる わけではないが、宗教性は、他国にくらべて限りなく小さくなる。日本では、宗教的イズムが、宗教戦争 なしに共存できるが、それは諸宗教がいつのまにか操作可能な、道具性の知識に転換しているからである。 またそのゆえに、日本では、ある宗教イズムから他のものに容易に転向できるのである。転向は道徳的に いかがわしいと感ずる意識は、純粋主義のイデオロギーのなせるわざであり、日本人は古来つねに転向を やり続けてきたのである。古代における中国文化の導入はひとつの転向であったし、そして近代における 西欧との出会いは、中国文化から西欧文化への転向を劇的に実現した。すべてを道具的な操作可能な実用 知に変換すること、これが日本の文化の雑居性を生みだす原因、いやむしろ精神の鋳型である。 しかし雑居は、そのままでは雑種性にいたりはしない。たしかに雑居を許す文化は、雑居を許さない純 粋主義文化よりも、雑種性を生む可能性は高い。 動的に雑種を生むわけではない。われわれは、雑居環境を存分にいかして、雑種文化という本来の文化の ありかたにいたる道を構想しなくてはならない。 雑居は他者の文化を変換する装置が作動した結果をさす用語であり、雑種は精神の創造力に関わる用語 である。雑居性は雑種の精神なしにも可能であり、雑居はかならずしも雑種の精神に通ずるものではない。 雑種の精神がないままに、他者の文化との出会いを喜び、それを実用知に変換するだけでは、雑居的流行 しか生まれないであろう。日本人がタイテイやっているのはまさにこれだ。日本人は一般に、雑居性のなか に雑種性を溶解し、雑種の精神を自覚的にバイヨウすることを無視してきたと思われる。 tすは純粋なるものがいかに空虚であるかを自覚してかからなくてはならないだろう。なぜなら、か「2 日本的 居性を特 質は一 |による。模倣は簡単なことではない。改作なしの模倣などどこにもない。反復はかならず差 5 日本 欧文化 換する 立した 主張 =それはあくまで環境ないし条件ではあっても、自 力に M w w. て一度も、純粋な文化も、純粋な精神も、存在したことはないからである。なるほどI? 紙の思想家

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