学年

質問の種類

理科 中学生

解いたのですが、答えを貰えなかったので 答えを知りたいです!お願いしますm(_ _)m

1 図1は、ろうそくの像がスクリーンにはっきり映ったときの実験結果を図にしたものである。 問いに 答えなさい。 ただし, 方眼の1めもりは5cmである。 □(1) 図1で,ろうそくの上端Pから出た光の線を作図し, 凸レンズ の右側の焦点の位置を・でかきなさい。 □(2) この実験に用いた凸レンズに真正面に太陽光を当てると,図2 のように,凸レンズを通った光が紙面上の一点に集まった。 この とき,凸レンズの中心から紙面上までの距離は何cmですか。 □(3)凸レンズをろうそくに近づけて, ろうそくと凸レンズとの距離 を30cmにしました。 このとき, スクリーンに映った像を図3のア ~カから選びなさい。 □(4) 凸レンズをさらにろうそくに近づけたところ, スクリーンを移 動しても像が映らなくなった。 このとき, 凸レンズを通して見え たろうそくの像を図3のアーカから選びなさい。 図 1 ろうそく P: 凸レンズ 像 凸レンズ の軸 スクリーン (2) (3) (4) cm 図1 ろうそく 図2 太陽の光 紙 図3 P 実ろ 実物の ろうそく ろうそく 凸レンズ Pr アイ ウ スクリーン 凸レンズ の軸 凸レンズ スクリーン エオカ 像 凸レンズ の軸 スクリーン

回答募集中 回答数: 0
歴史 中学生

写真のように探求レポートを書かなければいけなくて、テーマを考えてるんですけど、かきやすいテーマないですかね…?

「自分の考えを表現しよう 支倉常長の肖像画は なぜ傷んでしまったのか? ~仙台藩が派遣した慶長遣欧使節~ 歴史の謎 ・絵の中央タテに大きく折れたような線が 入っている ・この絵は、国宝のうえ、ユネスコの 「世界の記憶」に登録されている 重要な文化財 なぜ!? 支倉常長の肖像画 この部分 発表 1年1組 Aチーム 仮説 ・小学校の時に、江戸時代はキリスト教が禁止されていたと学習 キリスト教に関係するものが描かれているから折られてしまった? ② 調査方法 ① 仙台市博物館を訪問 (文化財・資料調査) ・・・支倉常長の肖像画の実物や、 関連の文化財を見る 書籍などの資料を調べたり、 学芸員さんに質問したりする 仙台藩の資料も充実しているので、ヒントがないか確認 ① ② 仙台市内のお寺 光明寺を訪問 (史跡調査) ・・・諸説ある支倉常長のお墓といわれているうちの一つを見る 常長のその後についてなど、 分かることがあるか調査 3 調査結果 ①支倉常長ってどんな人物? ・伊達政宗に仕えた安土桃山~江戸時代の仙台藩の武士 慶長遣欧使節としてメキシコやスペイン・イタリアなどへ渡航 ②遣欧使節の目的 ・メキシコと仙台藩の直接貿易と, 仙台藩への宣教師の派遣を 頼みに行った ③旅の行程 ④遣欧使節の成果 ・メキシコとの直接貿易と 仙台藩への宣教師派遣は 達成できなかった NATHRAW ・常長たちにローマ市の 市民権が授与された ・常長の持ち帰った品々は、 のちに「世界の記憶」 となる など、 歴史的価値の高い ものになった A haven AUTHA ⑤ このころの江戸幕府の動き 日本・ S ME PARCEL SENTRIS SAFAHRT ZA, ANA 7601 14 M Set 1614 Torn bat-18 $8.5+ tob 1641 LAY 149 6. For ⑥ 常長のその後 ・帰国の翌年に死去、帰国後の詳細は残っていない ・常長が日本で再び知られたのは, 明治に入ってから A ・常長のお墓がいくつかあるのも、 帰国後の詳細が 知られていないため $4.04-9@_@£*%+ken ans.s() Espress 4+ →仙台藩の動きとは反対に、 江戸幕府は キリスト教の禁止を進めていった ⑤ 4 支倉常長のお墓といわれている 石場(撮影: 光明寺) ⑦現在とのつながり ・仙台市の姉妹都市: メキシコアカプルコ市 ・・・慶長遣欧使節の来訪がきっかけ。 アカプルコ市へ市民団が来訪 ・慶長遣欧使節スペイン訪問 400周年記念など、スペインへの訪問を実施 ・ほかにも、バチカン市国やイタリアとも現在も交流が続く (6) 結論 ・支倉常長は、キリスト教徒となってローマ教皇に面会するなど キリスト教の文化に触れた人物だった ・しかし、常長たちがヨーロッパに向かっている間 江戸幕府は 全国でキリスト教を禁止してしまった →仙台藩は 十字架に祈る常長の肖像画を隠しておきたかった ため、人の目に触れないよう折ってしまったのではないか 分からなかったこと ・ 新たな疑問 ・帰国してからの支倉常長はどうなったのか ・キリスト教が全国で禁止されたのに、なぜ伊達政宗は 常長たちに帰還するよう伝えなかったのか 今後の課題 ・日本の歴史の動きと遣欧使節の関連については調べられない ことが残った ・一枚の絵から始まった交流の歴史を、これからの 地域と外国との交流にどう生かしていくか考えること ⑦ 参考資料 ・仙台市博物館 『ジュニア版 支倉常長』 2013年。 ・仙台市博物館『伊達政宗の夢 一慶長遣欧使節と南蛮文化』. 2013年。 ・仙台市 『仙台市史 特別編8 慶長遣欧使節』 2008年。 協力をいただいた方・施設 ・仙台市博物館 光明寺 8 目 A と し あ I ( 1

解決済み 回答数: 1
理科 中学生

理科の光です 今日の12:00までにお願いします

[7] 下図の直線XY が凸レンズの軸であり、点 F.F' は,軸に平行に入射した光が凸レンズを通 って集まる点で、 点0は凸レンズの中心である。 (1) F.F' を何というか。 名 称を漢字で書きなさい。 (2) 物体が A およびBの場所に あるときについて この凸レン ズがつくる物体の像をそれぞれ描きなさい。 作図に使った補助線は残しておくこと (3) 凸レンズがつくる物体の像には虚像と実像があるが, (2) の A および B で凸レンズがつくる像 はどちらか。 次のア~エから1つ選んで記号で答えなさい。 アどちらも実像 イどちらも虚像 ウ Aは実像でBは虚像 エAは虚像でBは実像 (4) X側に置いた物体をY側から見ると、向きや大きさが違って見える. 次の ①~⑤のように見え るのは、物体をどこに置いたときか。 下のア~オからそれぞれ1つ選んで記号で答えなさい。 た だし, 上図で OG は OF の2倍の長さである。 ① 物体と同じ向きに、 実物より大きく見える ② 物体と同じ向きに、 実物より小さく見える。 ③ 物体と逆向きに、 実物より大きく見える。 ④ 物体と逆向きに、 実物より小さく見える。 ⑤ 形がわからない。 ア 凸レンズと点Fの間 イ 点 F エ 点G より X側 オどこに置いてもそのように見えない (5) 凸レンズから左に 30cm離れた所に火のついたろうそくを立て, 凸レンズの右側にスクリーン をたてる。 スクリーンにろうそくの炎がくっきり映るように, スクリーンの位置を調節して, 凸 レンズからの距離を測ったところ60cm であった。 ① ろうそくとスクリーンの位置を変えないで, 凸レンズを動かしていくと再びろうそくの炎の 像がくっきり映った。 左右どちら何cm 動かしたか。 ② ① のとき, くっきり映った炎の像の大きさは、最初の何倍になったか。 ③ 凸レンズの上半分を紙でおおって光が下半分だけを通るようにすると, スクリーンに映る炎 の像はどのようになるか。 次のア~キから1つ選んで記号で答えなさい。 ア 下半分しか見えなくなる。 イ 上半分しか見えなくなる。 ウ 下側にずれる。 エ上側にずれる。 カ暗くなる。 キ何も変わらない。 (1) (3) cm (2) 図中に記入 (5) 倍 (3) ウ - 10 GA F オ 半分の大きさになる。 (3 ウ点F とGの間 (4) Y

回答募集中 回答数: 0
現代文 高校生

これの答えは何番だと思いますか?

観光旅行というものは、そのほとんどが都市と建集の見物なのだが、そのことに気づいている人は意外に少ない。国内でも 神社仏閣や城跡巡り、そして町歩きは旅行に欠かせないし、温泉も町の風情が楽しく、温泉旅館も建築に ったものが多く て、それがひとつの魅力になっているはずだが、そうと意識することは少ない。ファッショナブルな観光スポットも、その多一 くは新しい町角の風景や揚所としてのショッピング·センターだったりするのに、目当ては商品とショッピングだと思い込ん一 の文章は、鈴木博之「都市へ」の一節である。これを読んで、後の問い(問1~6)に答えよ。なお、設問の都合で本文の一 段落に1|~|2の番号を付してある。(配点 0) でいる。ヨーロッパ旅行なら、まず都市巡りがその中心になり、都市巡りは町歩きそのものということになる。 そこで目に一 しているのは、町並みと建築物ばかりといってもよいのだが、それもまたあまり意識されない。 。われわれが観光旅行を都市·建築見物旅行といわないのはなぜなのだろう。 たぶん、旅行では町や建築も見るが、その ー1 3たが、はたして町や建築は単なる器なのだろうか。「だとえばゴシックの大聖堂がある。明らかにそこには中世の精神世界ま」 でもが、造形的に表現されている。さらにいうならば、ヨーロッパの都市は、彼らの精神がつくり上げたものであり、その精一 なかにある遺物や、商品、あるいはそこにまつわる歴史やユイー名ョのにうが大切で、町や建築は器にすきないからだという 気持ちがあるからだろう。 神を体現したものなのだ。魅力的な都市は町並みと建築が美しい町ばかりだ。パリもロンドンもウィーンもパルセロナもブダ ペストも、みな例外ではない。 +けれとも、それでは都市と建築にはいったいどのような精神が込められていて、それは町のどこを眺めれば解るのだと問い詰一 ーロ B められると、答えはすぐには出てこない。町により、建築によってその現れは異なるからだといってみてもおなじことである。 レ 5|ひとつの答えを用意してみよう。ヨーロッパにおいては、それは廃壊、遺跡といった概念だ。 、ヨーロッパには明らかに廃 壊や遺跡が多い。とくに古代ローマの遺跡は、驚くほど広範囲にヨーロッパ中を覆っている。スコットランドに行っても、 あるいは東欧に行っても、ローマの遺跡に出会う。そこにヨーロッパ世界の拡 がりを感じることになるのだが、遺跡というものがそもそもヨーロッパ的な存」 在であるように思われるのだ。 6|石やレンガで建物をつくればそれが時代とともに廃壊となり、遺跡となる のはあたり前だといえるかもしれない。しかし、そうした建設材料の特質だけ」 が廃媒や運跡をむのだろうか。ヨーロッパの建築や都市は、生まれたときか」 らそのなかに廃壊や遺跡の葬を含んでいるのではないだろうか。これはとくに 日本人であるわれわれの感覚に照らして考えてみたい点だ。 い 日本の社寺は手をかけていなければ、消えて山野に戻ってしまうし、町や一 建築も、「方丈記」や『徒然草」を思い起こすまでもなく、どこかしら 「仮の 宿り」、あるいは「うたかたの嘘」の風情を漂わせてきた。「終の概家」 うような表現にも、移ろいつづけた果ての住居という心が垣間見られて、か えって無常を感じさせるのである。つまり、われわれの町や建築は根本的に一 仮のもの、移ろいゆくものという精神の上に成り立っているかのようである。 そこからは名残の風情、名のみが残るという精神が浮かび上がる。木造建築 によって生み出される町の伝統がそうした名所意識を生んだのだろうか。 ローマの古代遺跡 ヨーロッバでは、古代遺跡と現代都市が同居する 町が多い

回答募集中 回答数: 0