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占領政策の転換 げんすい マッカーサー元帥 「この提案はまだ時間が早すぎる。 この問題は対日講和条約が プライス氏 「日本に対して国防軍の建設を許すべきだとの意見があるがどうか」 こうわ 起草される時はじめて決定されるものであって、それまでは占領軍が日本にと きそう よくあつ 国間におこった不幸な分裂の結果にほかならない。 ② 日本は米英両国の権益維 持の前線基地となった。 万一日本が攻撃されるようなことがあっても、日本で どまるであろう。 しかしこれは日本を抑圧するためではなく、①戦時中の同盟 けんえきい 軍隊を建設してわれわれに協力してもらうことは容易にできよう」 ( 『朝日新聞』 1949年3月3日) イギリス人ジャーナリストのプライスが、 連合国軍総司令部のマッカーサーを訪問してお 4 日本の再軍備に関するマッカーサーの発言 (1949年) こなったインタビュー。 5 アメ 14 の下線 ① はどのようなことを指すのだろうか。 ② マッカーサーが下線 ② のように述べた背景には、 当時の東アジア情勢のどのような 変化があったのだろうか。 初の政策と比較してみよう。 3 日本の再軍備について、 マッカーサーはどのように考えていたのだろうか。占領当

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1929年に始まった世界恐慌を乗り切るため「持てる国」、アメリカと「持たざる国」ドイツはそれぞれどのような政策を遂行したか1933年から36年までの時期を中心に400字以内で論述せよ。 という問題なのですが分かる方教えて下さると幸いです!

編集権限をリクエスト 有 ファイル 編集 表示 ツール ヘル チャート A 前史 日本の非軍事化 民主化の方針 B 冷戦 対日占領制政策の変更3D再軍備 独立=対日平和条約 (単独講和) 十安保=対米追随·アメリカの極東戦略に組み込まれる x冷戦 の米ソ2大国の圧倒的優位 断国家の存在、 この2点を捉える 1946年のチャーチル英前首相の 「鉄のカーテン演説」を機に冷戦は表面化する が、アメリカ軍の日本単独占領強行でも分かるように、 戦争末期には米ソ対立は 「臨界点」直前まで達していた。 日本に対しては、 48年以降の 「逆コース」として 顕在化する。 1952年4月28日は、 対日講和条約が発効した、 日本 「独立」 の日だが、 沖縄 の米軍統治が国際法上で確立した日でもある。 沖縄を分割し米軍に提供するとい う、以降の日本外交の方向性を決定した。アメリカが対日講和を決意する背景とし て朝鮮戦争は絶対に欠くことはできない。 この条約と同日に調印されたのが日米安 全保障条約である。 (西側諸国とだけの単独講和)安保の片務性(在日米軍の日本 防衛の義務は規定されず、 一方で日本全土の基地貸与が規定されていて条約の期限も 規定されていない)や「極東条項」 (米軍は極東の安全に寄与するために日本に駐 留する)はアメリカの極東戦略の最前線基地としての役割を日本が担うという枠組 みの中での、講和軍事同盟であることを示している。再軍備が盛り込まれたこと も忘れてはならない。 の米ソ2大国を軸にブロックを形成+ドイツ、 朝鮮など分 C 雪解け·平和共存+第三世界の登場 自主外交=日ソ共同宣言-国連加盟=国際社会への復帰実現 D 再緊張·多極化(米中対立+中ソ対立) 安保改定=双務化と極東条項 E キューバ危機 デタント·アジアでは冷戦が継続 ベトナム戦争 北爆開始=Dベトナム戦争への本格的介入開始 アメリカの経済的疲弊 ト 日韓基本条約=日韓国交樹立 -アメリカ、 対韓援助の肩代わり F 日米関係の緊密化 日米共同声明(68年佐藤内閣) 安保堅持と極東の平和が日本の平和と緊密に関 係することの確認。これを前提に小笠原沖縄返還を確認 G アメリカの極東戦略の変更%3D米中国交樹立 日中共同声明(72年)日本もアメリカに続く 日中平和友好条約 (78年) 採点基準 冷戦と、朝鮮戦争勃発を受けての講和 ②講和とセットで、安保条約によりアメリカ極東戦略に組み込まれたこと 3平和共存期に入り、国連加盟を実現 ①再緊張の時期に安保の改定が行われ、 双務的内容になったものの対米従属性を強めた 5日韓基本条約を、対韓国援助の肩代わりを文脈で説明 6安保体制維持の合意の見返りとして沖縄返還実現 ⑦アメリカ極東戦略の転換と、 遅れての日中国交回復と平和条約締結

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