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数学 高校生

・数学① フ、へ、ホについてです 三枚目にふたつ疑問点書きました、よろしくお願いします🙇 一枚目は問題です、見にくくてすみません

〔2〕 四角形ABCD は円に内接しており Sin 460010A AB=1, AD=2, ∠BAD = 120°, sin∠ABC= 3/21 14 を満たしている。 BP=1+4+2.14(-2) /1200 BC 2 (1) BD = セ =7 (3) 下線部の条件を変更して, 四角形 ABCD の形状がただ一つに定ま るようにしたい。ここで,k, lを定数として, 下線部の条件を次の(ア) または(イ)に変更する。 1660 であり, 四角形ABCD は半径が- (ア) sin ∠ABC=k (イ) cos ∠ABC=! ここで, ∠ABCの大きさについて チ の円に内接している。 また ∠ABD < ∠ABC < 180°∠ADB が成り立ち さらに AC= ACx である。 3√31 近 V21 = 2 3 14 ACA が成り立つ。 巨 200 2R sin∠ABD = sin∠ADB = √21 14 2√7 3242) BC=1&t cos∠ABC ABC)x-8=0 COS ∠ABD= 5√√7 COS ∠ADB= =R 7 14 N7 1x A……① 21 3 COS ∠ABC = ± V 17 ニヌ 14 (数学Ⅰ. 数学A第1問は次ページに続く。) 7 ズーグ56:0 x2-201 V7 = x-8=0 189 (x8)(x+9) 7 56 7x2-√7x56:0 であるから x2(2cosABC)×8=BC= または BC= ハ 9=x+x=2xcosABC x22x10sABC-8⑦ √ X = Copy/125 である。 すなわち, 四角形ABCD の形状は2通り考えられる。 固くた 14 8 2C またはk = である。このことを用いて, 四角形ABCD の形状がただ一つに定まるよ うな(ア)のk.(イ)のそれぞれの条件を考える。 下線部の条件を(ア)に変更するとき, 四角形ABCD の形状がただ一 つに定まるようなkの条件は 1 下線部の条件を(イ)に変更するとき、四角形ABCD の形状がただ一 つに定まるようなしの条件はホである。ホ 5171217 の解答群 14 7 V21 ⑩ 0<k< 14 ① 0<ks- V21 14 V21 V21 2 0≤k<- ③ osks 14 14 → /21 /21 (5) <ks 14 14 sk< ・Sks 14 7 -6 x= 72 x= 14 (数学Ⅰ 数学A第1問は次ページに続く。) -7-

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古文 高校生

古文の読解について質問があります。 古文単語や古典文法はある程度覚えてきたのですが、それを実際の問題の中でどう使って解いていけばいいのかが分かりません。本文を読むときに、品詞分解や文法知識をどのように使って意味を取っていくのか教えていただきたいです。 また、2枚目の(ア)... 続きを読む

あぶつあずまくだ 第4問 次の文章は、「阿仏東下り」という物語の一節である。阿仏は、亡き夫が遺した荘園を巡る訴訟のため、都に息子たち を残して鎌倉に下ることにした。本文は、富士山の麓あたりまで旅を続けて来た阿仏が体調を崩し、宿を借りたところから始ま 4の番号を付してある。(配点 45 ) る。これを読んで、後の問い(問1~4)に答えよ。 なお、設問の都合で本文の段落に ここち 1 これより風邪の心地とて、いたはりへるほどに、力なく宿を求めて、疲れをしばらくいたはり侍りけり (注1) あるじ 主言ひけるは、 (注2) 。 「やむごとなき御身として、折ふし三冬の半ばに、はるばるの御歩行なれば、疲れにこそおはしますらめ」と、十日ばかり いたはりりて、「これよりも鎌倉へは、何方へか御こころざしあるらむ。送り奉らむ」と聞こゆるほどに、こよなくうれしく (注3) こし 「比企谷といふ所に親しき人のありければ、この所へ送りてむ」 とあるほどに、主、輿を用意して乗せ奉り、ほどなく鎌 倉にては、比企の谷といふ所にぞ届け侍りけり。縁の人なりければ、はるばる下り給へるこころざしを、「いかばかり」とあは れみて、よくよくいたはり参らせけるほどに、旅の疲れなれば、ほどなくもとの心地し給ひけり。 (注4) くじ 2 さて、ここにしばらくおはして、鎌倉の公事ども聞き給ふに、まことに世の政事つかさどり給ふとて、天が下の人々、高 (注6) miin (注5) もしも集まりて、門の門に市をなせり。ここに執政の縁につきて、よきったよりありければ、ひそかにことの様を 言ひ入れければ、よにあはれにとぶらひて、「気色をうかがひて沙汰にあづかり給へ」と言ふも頼もしく、力づきてぞ見給ひ (注7) にける。 dくないん はつこのきば 3 さるに心許して 光陰送り給へるほどに、その年もはやうち暮れて、あらたまの春にもなりゆけば、東風吹く風もやはら (注8) かけひ つらら かに、のどけき空に鶯の、うら若き初声を軒端の梅におとづれて、枝をつたふもとやさし。懸樋の氷柱解けぬれば、ゆ 水の音ものどくて、ぶもやすき心地せり。 人ごころ懸樋の水にあるならば世はすぐさまにことや通らむ 4 かかるほどに、君の北の方、聞こし召して、「あなあはれや。子を思ふ道には身の苦しびをも顧みず、はるばると東の奥に (注10) しうしや (主) 下り給ふことのはかなさよ。 このみなし子の父は、世に名を留めし和歌の秀者にて、帝の御宝と聞こえし。 かかる人のあとな れば、いかでか遺跡を絶えし果てむとは思し捨つべき。かひがひしくも、足弱の身として東の旅におもむき給ふことこそ 便にはおぼゆれ」とて、さまざまの物ども贈らせ給ひて、つねにとぶらはせ給ふぞありがたき。 (注) 1主宿の主人。 7 2 三冬の半ば旧暦の十一月。 3 比企の谷 鎌倉の地名。 鎌倉の公事ども鎌倉幕府の訴訟に関すること。 5 権門の門 鎌倉幕府の有力な役人の家の門前。 6 執政の縁につきて鎌倉幕府の権力者の縁者に関して。 沙汰ここでは、裁判の意。ニ 8懸 水を引くために竹や木を掛け渡して作った。 9 君鎌倉幕府の将軍。 10 このみなし子の父 「みなし子」は、 ここでは、父親を失った子の意で、阿仏の産んだ息子たちを指す。 「父」は、亡き夫の藤原為 せんじゃ 11 遺跡 ここでは、歌道の家の伝統の意。 家のこと。 為家の父定家は「新古今和歌集」の撰者、祖父俊成は『千載和歌集』の撰者で、為家自身も勅撰和歌集の撰者となっていた。

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