下線部(コ)に関連して、グループでは藤原氏が握っていた受領の人事権について調査
次の資料(1)~(4)を得た。 これらの資料を参考に、受領の人事について三条天皇はど
のような権限を有していたと考えられるか。 解答欄の書き出しに続けて,藤原道長との
人間関係にふれながら, 簡潔に説明せよ。
[なりと
せいし
(1) 藤原済時の娘娍子は皇太子時代の三条天皇に嫁ぎ、のち四男二女をもうけた。
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1011 年に一条天皇が譲位して三条天皇が即位した際、天皇の父母も藤原済時もすで
に他界していた。 左大臣の藤原道長は一条天皇と彰子の間に生まれた子の成親王を
皇太子とした。のちに三条天皇が眼病を患うと,それを理由に道長は天皇にしきりに
譲位をせまった。
(2) 三条天皇が娍子を皇后に立てる儀式を行った際、道長は同日に娘の妍子を三条天皇
の中宮として入内する儀式を東三条殿で行った。ほとんどの公卿は東三条殿へ行った
が、藤原実資,藤原隆家ら四名の公卿のみ娍子の儀式に参列した。
じゅう
(3) 藤原済時の子で娍子の兄の藤原為任は伊予守となった。 当時, 伊予国は富裕な国と
考えられ、伊予守になることは容易ではなかった。 為任はかつて道長を呪詛しようと
したと噂された人物であった。
(4) 次の表は三条天皇が即位した後に天皇の側近として蔵人になり、のちに受領となっ
た人物をまとめたものである。当時は藏人を経て受領に任官するまで10年前後の年
数を要することが一般的で, 長い場合は20年以上かかったものもいた