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Date Time プリント No.2 江戸幕府とアジアの情勢 (a) 戦乱の時代を経た17世紀の日本 徳川将軍を頂点とする江戸幕府が開かれ幕藩体制が成立。 身分制が固められ、人々は身分に応じた義務を負う。 1 天皇は形式上将軍を任命、実際は幕府が朝廷を統制 (b) アジアの情勢 16世紀、アジア諸国間の交易にヨーロッパ諸国が参入、日本から大量の銀が 大航海時代、香辛料を求めて 輸出される キリスト教への警戒→幕府はしだいに他国との交流や交易を制限 (C) 江戸幕府と世界との限定的な関係 キリスト教を布教しないオランダと中国のみと交流 オランダ人は出島に、中国人は唐人屋敷に収容された 藩を通じて朝鮮と国交関係があり、朝鮮通信使が来日 交易の拠点 特徴 長崎 対馬 薩摩 松前 江戸社会の成熟 琉球王国と交易、琉球王国は従来通り中国との朝貢貿易 を続けた。 松前藩を通じてアイヌ民族と交易 (a) 農村の発達と商品生産 1本 大規模な治水工治や新田開発により、新しい村や農地が生まれ人口が拡大 綿花や紅花などの商品作物の積極的栽培、各地で特産品が生まれる。 商品として売れる(米は×) (b) 交通の発達 商業の中心の大坂から江戸やその周辺に大量の物資を送る必要 海運、水運や街道の整備 (C)教育と学問 ・庶民の教育…寺子屋が各地で増化・武士の教育・儒学を中心にした教育 ・国学・日本独自の価値観を再発見する ・蘭学・欧米諸国に対応するための科学技術を学ぶ 物資と人の往来や全国的な教育によって日本に住む人々の一体性が高まる。
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Date Time 記述 江戸時代の日本はアジアやヨーロッパとどのように結びついていたのだろうか。 厳しい貿易統制の下、限られた拠点を通じてアジア・ヨーロッパと結びついていた。 長崎ではオランダ・中国と貿易したほか対馬を通じて朝鮮と、薩摩を通じて 流球と、松前を通じて蝦夷地(アイヌ)とそれぞれ交流を行っていた。 ・江戸時代の日本において国内の各地域は何によって結びついていたか、 海運、水運や街道によって各地域は結びついた. ・日本に住む人の一体制はなぜ高まっていったのか 交通路が整備され、人・ものが全国を移動できるようになったことや各地に建てられた 寺子屋や藩校が中心となり教育が広まったことにより文化や情報の共有と相互 理解が進んだため、
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Oatle Time プリント No.3 清の成立と政治体制 (a) 清王朝の成立・17世紀前半、中国東北部で満州人によって建国 ・康熙帝は旧明領すべてを支配下に置く 中国王朝の地位を確立 ・乾隆帝はチベットや東トルキスタンにまで支配地を広げた。 (b) 清王朝の政治 トルキスタン・トルコの土地 中央集権政治・皇帝を頂点とする 儒教を尊重して科挙を実施。要職に漢人も置き民族を超えて官僚を ペーパーテスト、官僚を選抜 採用した。 清の経済発展 (a) 清による海禁政策の実施(17世紀半ば)…海上武装勢力である台湾の氏 への対応として人々の海上進出を禁止した。 (6)互市貿易・・・貿易を管理する海関を置き民間の海外貿易を公認 海関の設置…広州・廈門・寧波・上海 清の特産品・生糸・絹製品・綿製品・陶磁器・茶 →対価として清に大量の銀が流入 アジア諸国との結びつき (a) 東アジアから南アジアまでの海上交易ネットワークの形成(18世紀) 日本との交易…中国商人により長崎で行われ、清は銅や海産物を輸入 ・海上交通ネットワークの発展と清の人口急増によって東南アジアを中心に華人 ネットワークが形成された。 →華僑社会形成の契機ともなった。 1757年、清はヨーロッパ諸国の来航を広州に限定したが、貿易額は増化 特にイギリスへの茶の輸出が急増 (b) 伝統的な冊封関係(華夷秩序)の継続 朝鮮・琉球は清へ定期的に朝貢する ⇒東・東南アジアで清を中心とする国際秩序が形成 された。 ※江戸時代の日本は清の朝貢国ではなかった。 下 (主君) 中国 中華 ↑↓ (家臣)周辺国夷狄
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Dale Time 記述 . 18世紀の清はアジアやヨーロッパとどのように結びついていたのだろうか。 アジアにおいて清は明から冊封関係を引きつぎ、冊封国からの朝費を受けた。 一方ヨーロッパ諸国はアジアの海上ネットワークに参入し特にイギリスは茶の産地で ある溝に接近した。 どのような商品を通して清はアジアやヨーロッパと結びついていたか、 生糸・絹製品・綿製品・陶磁器などの手工業品や茶が特産品として輸出され 対価として清には国際的通貨だった銀が大量に流出した。 ・東・東南アジアの国際関係にはどのような特徴があったのか。 周辺の国々が次々に清に朝貢使節を送る伝統的な冊封関係に加えて 東アジア・東南アジアに広がる交易ネットワークを利用した清を中心とする国際秩序 が形成された。
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プリント No.4 イスラーム王朝の繁栄 Te (a)オスマン帝国・13世紀末にトルコ系軍人によって建国 ムガル帝国 *** 16世紀前半にインドに建国 (b)オスマン帝国…都:イスタンブル ' ・16世紀の最盛期には地中海の大半、黒海、紅海、ペルシア湾を支配下 に置いた。 ・仏、英、蘭などにキャピチュレーションとよばれる恩恵的特権を受けて良好な 外交関係を持った。 ヨーロッパ諸国はオスマン帝国内に自国の使節や商人、カトリック宣教師団 の常駐を許された。 ・支配者であるスルタンは聖地メッカとメディナの守護者として巡礼の安全を重視した。 (C) インド洋交易・・・季節風を利用した小型帆船が多数の港を結び、ムスリム商人 中心の平和なネットワークによって支えられた。 ヨーロッパのアジア交易参入 イスラム教徒 (a) 16世紀・インド洋交易における ポルトガルとスペインの参入 (6)17世紀オランダの東インド会社の参入 世界初の株式会社 国名 軍事拠点 ポルトガル マカオ 江戸時代のヨーロッパ唯一の貿易相手となる。 ジャワ島を中心に植民地を形成 スペイン マニラ ' イギリスも東インド会社を設立して東南アジア に進出するが、オランダと争って敗れ、進出先を インドに変更。 アメリカ大陸と大西洋三角貿易 (a) 17世紀の北アメリカ イギリスとフランスが競って植民地を拡大した。 南北アメリカの多くの地域で先住民の社会と文化が破壊された。 (6)大西洋三角貿易 ポルトガル・イギリス・フランスなどの奴隷商人が西アフリカの支配者たちから (武器や雑貨と引き換えに黒人奴隷を買う ' 買った黒人奴隷を船でブラジルやカリブ海の西インド諸島、北アメリカ南部の植民地 へ輸送する
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Date Time ' 植民地からヨーロッパへは、砂糖・たばこ・コーヒー・毛皮・銀などが運ばれた。 銀はインド洋交易などを通じて最終的に中国へと向かった。 (C) 貿易の結果 ' 記述 ' 西アフリカでは19世紀までに約1200万人の人々が移動を強制され、人口減少 が見られた。 黒人奴隷の多くはプランテーション経営者に売られた。 →南北アメリカの先住民激減による労働力不足を補うため、 背景。過酷な労働・感染症(インフルなど) 17~18世紀のアジアやアメリカではどのような交易が行われていたのだろうか。 アジアではムスリム商人を中心とする貿易が栄え、ヨーロッパ勢力はそのネットワークに 参入していった。 一方アメリカではヨーロッパ勢力が植民地を拡大し、大西洋三角貿易を行って アフリカから奴隷を輸入し商品を生産するようになった。 奴隷の輸送が行われた背景には何があったか 黒人奴隷の多くはプランテーション経営者に売られたが、それは南北アメリカの 先住民人口の激減による労働力不足を補うためだった。 ヨーロッパが行った大西洋三角貿易によってアフリカとアメリカでどのようなことが起こったか、 アフリカでは人口が減少し社会的な基盤が破壊された。 南北アメリカ大陸ではプランテーション経営によるモノカルチャー経済が広がった アメリカ合衆国では奴隷制度に基づく黒人差別か根深く残り続いた
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