Japanese history
Senior High
Solved

御中間は、どんな武士に最低着くか、特に士分だけど、一番低い徒士とかはどうなのか、侍級じゃないと付かないか、わかってるのは、貸し出ししてもらったらしい

Answers

✨ Best Answer ✨

御中間は、士分の中で最も低い階級である「徒士」の武士には原則として付きません。
御中間を自分の家来として従わせることができたのは、基本的に騎乗を許された「侍級」(御目見得以上・知行取り)以上の武士だけ。人手が必要な際には公的に「貸し出し(派遣)」される仕組みがあった。

徒士(かち)に御中間は付くのか?
>結論として、徒士が個人的に御中間を召し抱えることはない。

御中間が付く「最低ライン」の武士
>個人で御中間を従わせるための最低ラインは、「侍」と呼ばれる騎乗を許された馬廻格以上の武士。

「貸し出し(人材派遣)」の仕組み
>個人で雇えない武士や、公務で急に人手が必要になった武士のために、貸し出し・派遣システムが存在した。

一番低い士分である徒士や同心が「御中間」を連れているケースがあったとすれば、それは個人で雇っているのではなく、お上の公務として一時的に「貸し出された(付けられた)」御中間かと🙇

ハルシ

回答をしてくださり、本当にありがとうございます。🙇

自分が調べたところ、個人よりは、藩側が貸し出す感じであり、江戸番にむけて、貸し出す感じでした、国立国会図書館デジタルコレクションにある栃木県の県史の資料を見たら、写真のように書いてありました

その公的に貸し出すが、江戸番とかの長期、短期出張的な場合、徒士にも、御中間は貸し出されるのか教えていただければ幸いです。

🍇こつぶ🐡

江戸番などの出張時、徒士クラスの武士にも御中間が貸し出されることはありました。ただし、何人も自由に連れて行けたわけではなく、各藩の「武家行烈(供揃い)の規定」によって厳格に人数が定められていました。

資料は、
「同日、手塚庄兵衛が江戸番へ参上することになったため、御中間を1人、貸し出しとして召し連れるよう申し付けた」という意味になります。

この史料からわかることは、
当時の藩が、江戸番に向かう家臣(この場合は手塚氏)に対して、公務のサポート用として公的に御中間を1人配分した明確な証拠です🙇

🍇こつぶ🐡

江戸番などの出張時、徒士クラスの武士にも御中間は公的に貸し出されました。

ただし、誰もが自由に連れて行けたわけではなく、藩の「行列規定」によって厳格に人数が管理されていました。 

徒士クラスへの貸し出しは「1人」が基本です。
江戸時代の武士は、公式な出張(江戸番など)の際、自分の身分に合った人数の従者を連れなければならない決まりがありました。これを「供揃」と言います。

徒士の割り当て人数上級武士であれば何人もの従者を従えましたが、徒士クラスの場合は「御中間1人」とされるのが一般的でした🙇

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