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Japanese classics Senior High

古文、現代語訳です 「つべし」は、強意の助動詞「つ」の終止形+◯◯の助動詞「べし」の終止形 だなぁというところまではわかったのですが、 「べし」の文法的意味で引っかかり、「申しつべし」は「申し上げてしまおう」という訳が合っているかなぁと思って意思で取って訳し、「この歌は間違... Read More

今日と思われることが、 数えてみる 係助 名 ク・用 ラ四・用強意・終 ナリ用 ア下二・用完了・已接助 かやうに心得 つれば、なに事もやすくなりぬ。 万事が理解しやすくなる。 このように承知しておくと、 2 歌の紹介と説明2 名 格助名断定・巳係助マ上一・未接尾 四・接助ラ四・用完了・体名 潮満てば入りぬる磯の草なれや 見 らくす (私の恋しい人は)潮が満ちると入ってしまう磯の海草なのだろうか。逢う 作者→読み手 名 格助 名 係助 名 格助係助丁サ四・用強意・終推量・終 名 格助 この歌は、ひが事とも申しつべし。磯の この歌は、 事実に反していることとも申すのだろう。 磯の海草 名格名 格助 ラ下二・用 名格助 ハ上一・用完了巳接助 変体 海のそこにかくれ、潮の干ぬれば、出でくる 海の底に隠れ、 潮が引いてしまうと、 出てくる(が、 格助 八上一体 名 係助 の満ち干ることは、 名格助 名 が満 度 副 V 格助 名断定 の 年

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Japanese classics Senior High

この問題の解答がアなのですが、なぜそうなるのかを教えてください!

SS TO PR ひとり 2 紀伊国名草郡貴志の里に、一つの道場有り。号をば貴志寺と日ふ。其の村の人等、私の寺を造れるが故に、以て字とせり。白壁の天皇の御代に、 こゑ おきな こゑas によ enn 一の優婆塞有りて、其の寺に住りき。時に寺の内に音ありて呻ひて言ひしく、「痛きかな、痛きかな」と言ひき。其の音、老大人のひのごとし。 優婆塞、初夜は、路を行く人の病を得て参り宿れるならむかと思ひ疑へり。起きて堂の内を巡り、堂を見れども人無し。其の時に塔の木有り。 未だ造らずして、久しく倒れ伏して朽ちたり。これ塔の霊ならむかと疑へり。その病みふ音、夜毎に息まず。行者聞き忍ぶること 得ぬが故に、 起きて窺ひ看るに、猶し病める人無し。然して最後夜に、常の音に倍して、大地に響きて、大きに痛み呻ふ。猶し塔の霊ならむかと疑へり。 なほ によ 明くる日つとに起きて、堂の内を見れば、其の弥勒の丈六の仏像の頸、断れ落ちて土に在り。大きなる蟻千ばかり集まり、其の頸を嚼みく だきつ。行者見て、檀越に告げ知らす。 檀越等、悲しびて、復た造り副へ奉り、恭敬し供養しき。 (『日本霊異記』) U. A い とどま によ ここ own

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Geoscience Senior High

問2についてです。イは苫小牧市が太平洋に面しているから冬季に河川の流量が減少すると書いてあるのですが、苫小牧市が太平洋側に面していることはどこから分かるのでしょうか…?それとも苫小牧市が太平洋側に面していることは一般常識なのですか? 又、共テの地理bの点数を上げるポイントや... Read More

とまこまい 第5問 東北地方に住む高校生のリサさんとユイさんは, 北海道苫小牧市とその周 辺の地域調査を行った。 この地域調査に関する次の問い (問1~6)に答えよ。 (配点20) 問1 リサさんたちは,調査に出発する前に次の図1を見て, 苫小牧市周辺の景観 の特徴について考えた。 図1から考えられることがらについて述べた文として 最も適当なものを,後の①~④のうちから一つ選べ。 26 樽前山 等高線 航路 鉄道 国道 高速道路 湿地 水城 地理院地図により作成。 苫小牧中央 ンターチェンジ 苫小牧駅 市役所 1 沼ノ端駅 苫小牧港 ウトナイ湖 - 28 勇払駅 弁天沼 02km 南側からフェリーで苫小牧港に近づくと, 進行方向に向かって右側に市街 たるまえさん 地と樽前山が見えるだろう。 ゆうふつ べんてんぬま △ ② 列車で勇払駅から東に向かうと、 左側に弁天沼やウトナイ湖の水面が見え るだろう。 ぬまのはた ③ 沼ノ端駅のそばを通る国道を北西方向に歩いていくと, その先に湿地の見 える場所があるだろう。 バスで苫小牧中央インターチェンジから高速道路を西に向かうと、右側に は市街地が左側には樽前山が見えるだろう。

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Contemporary writings Senior High

7、8、10段落目の内容がよくわかりません。例などを挙げてわかりやすい言葉で説明して欲しいです。

ひかる おいずみ 奥泉光 己を放り込む虚構 人が生まれ育った場所を故郷と呼ぶのなら、 庄内は必ずしもぼくの故郷とは言えないだろう。 生まれたのはた しかに山形県ではあるけれど、一年も経たぬうちに両親ともども東京に移ってしまったからである。とはいえ母 の実家である、広々とした水田に点在する集落の家には、祖母と曾祖母が残って、毎年夏には必ず帰省して庄内 平野の穏やかな風光のなかに長い時間を過ごした。 ② 子どもにとって夏休みはそれだけでもう心弾む出来事であるが、ぼくにはさらに田舎での数週間という贈り物 があったわけである。 すばやく身を翻し水底の泥に隠れるドジョウ、草いきれのなか息を殺して浮標を見つめた 用水路での魚釣り、蚊帳に置かれてあわく明滅する蛍、サエギるもののない広い夜空に横たわる銀河、集落のは ずれから繰り返し眺めた月山の姿――。 これら子ども時分の貴重な記憶の数々は、一昨年に書いた「三つ目の鯰」 という作品となって一部結晶したのであるが、要するに大人になるまでのぼくにとっては、庄内はただ心楽しく エキサイティングな冒険の場所にすぎなかった。 ○筆 ③ 故郷という言葉とともに山形の家のことを考え始めたのは、三十歳に近くなってから、小説を書き始めたころ のことである。 ④ ひとつのきっかけは父の死である。葬式が終わり、田んぼの真ん中の墓地で、白木の箱から父の骨灰を墓の底 にばらばらとまいたとき、かつてない不思議に甘美な気分にぼくは捉えられた。それはどうやら自分もいずれ死 ねばこうなるのだとの思いであるらしく、そう思って周囲を見回してみれば、五月の水田は湖沼のように陽光を 映して輝き、月山と鳥海山が蒼くくっきりとした稜線を鮮やかにして墓地を遠くから見つめている。雲雀のさえ ずりが空の高いところできこえた。 ⑤ 自分の死に場所にここは悪くない。そのような声が、 「故郷」という言葉とともに、初夏の平野をぼんやりと眺 めるぼくの心に、静かに立ちのぼってきたのである。 ⑥ 「故郷」とは言うまでもなく近代に発明されたひとつの虚構である。都会での生活スタイルが確立されるにつれ 生じてきた、だれとも連帯せずに浮遊している人の孤独感、あるいは根を断たれているとの不安感が、 温かく己 を包み込んでくれる母胎のごときものとして、己の魂が穏やかに回帰すべき場所として、遠い憧れの地境として、 「故郷」のイメージを文学的に創造した。故郷の山河といった場合、山や河自体は当然昔からそこにあったはずだ けれど、それらが懐かしい風景として思い描かれるにいたったのは、明治以降の文学がそのように描いてきたか らである。 ⑦ たとえば柳田国男の「常民」概念をここであげるなら、それが現実に生きてある人々を具体的にさすのではなく、 失われた何かを回復せんとする柳田のロマン派的文学の心情が作り出した虚構であることは、数多くの批評家が 指摘するとおりである。「常民」とは都会にある者の眼に映った、 「故郷」に棲む人間の幻像である。 一方では、少なくとも近世以来、西欧的な都市団体をもたなかったわが国では、都会の生活者といえども地縁 血縁のしがらみからは逃れがたく、そうしたしがらみの象徴としての意味をもまた「故郷」は担うことになった。 かくして故郷は両義的であり、だからこそ遠くにありて想うものなのである。 ⑨ 虚構である「故郷」はつまり選びとられるものである。選んだおぼえなどないという人にしても、無意識のうち にそうしているのであり、人生の節目のあるとき、ここがやはり私の故郷なのだと、感慨にとらえられつつ風景 に良をやった記憶がだれにも必ずあるはずである。 ⑩ 虚構をこととする作家であるなら、当然この選択にはジカク的である。作家は「故郷」を発見する。たとえば中 上健次にとっての紀州がそうである。むろん作家は故郷にアンジュウしたり、ただ感傷にひたるために故郷を選 ぶのではない。何らかのかたちで「私」を問題にせざるをえない近代小説の伝統のなかで、 己自身をひとつの虚構 に放り込むことで、多様な物語を「私」の内部に導き入れようと作家は企むのである。 ⑩ ひとりの作家であるぼくは、庄内を自分の「故郷」として選んだ。 これから小説を書き進めていくなかで、ぼく の「故郷」は途切れることなく、創造の活力を与え続けてくれるだろう。 32 [⑧] ① 14 筆る 2-1 5-3 7~6

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Japanese history Senior High

カッコに入る言葉を教えてください お願いします

El 5 ふじむら 10 かさがけ 小笠懸(『勇三郎絵巻』, 東京国立博物館蔵) 笠懸, 笑迫物、流馬は騎射当物 といわれ、鎌倉時代の武士のたしなみであった。 犬追物は、 騎馬で犬を追いなが ら矢を射るもので、 笠懸は笠を的にして騎射を競った。 流鏑馬は神事など儀式の 際に行われ、的を笠懸よりも近くに立てた。 ●本領安堵 ●新恩給与形をとる 朝廷の官職への推挙 将軍と御家人 しゅじゅう けらい かまくらどの とによって、彼らと主従関係を結んで家来とした。 将軍 (鎌倉殿) の家 頼朝は、武士の所領支配を保証したり(本領安堵), せんこう しんおんきゅうよ 戦功に応じて所領をあたえたりする (新恩給与) こ ご け にん ご おん いくさ 来を特に御家人とよび, 御家人は将軍の御恩に報いるために,戦があ 5 れば戦場におもむき命がけで戦った。 ほうこう ばんやく 平時での御家人の奉公は番役で, それぞれ一定の期間、朝廷の警護 おおばんやく いえの にあたる京都大番役と幕府を警護する鎌倉番役があった。 御家人は家 ろうとう 子や郎党らの従者をひきい, 何年か (不定期)に一度京都や鎌倉に滞在 武士の生活 ●軍役 じべん かこく した。 これらの費用はすべて自弁で、 経済的にも過酷なつとめだった。 きんみつ 御恩と奉公からなる 「将軍 御家人」 の緊密な主従関係は,それまで の貴族社会にはみられなかった。 所領でつながる主従関係を基礎とし た,このような社会の制度を封建制度といい, 鎌倉幕府は封建制度に ほうけん 封建的主従関係 御家人 京都大番役 ●番役動仕鎌倉番役 もとづく初めての政権だった。 とうごく やしき 東国の武士は, 交通に便利な小高い場所に屋敷 ・関東御公事 内幕府・寺社 などの修造 不将軍と御家人の関係 しょじゅう 所従とよばれる農民を使って農業を行い, 所領の経営につとめた。 やかた (館)をかまえた。 館は板葺きの簡素な建物を中心 からぼり るい としたもので, 空堀や土塁に柵をめぐらすなど,敵を防ぐための備え かさがけ いぬおうもの があった。 どの館にも、笠懸, 流鏑馬, 犬追物の練習のため、広い馬 ➡p.65 げ にん 場があった。 武士は、ふだんは家子や郎党とともに領地に住み、下人, 補住の けつえん そう 鎌倉時代の武士は, 一族が血縁によって団結し,一族の長である惣 うじがみ 領を中心に、 武士団を組織していた。惣領は、氏神や祖先をまつり, 合戦への参加 人の しょし とうそつ ぐんやく 一族の武士 (庶子) を統率して軍役や番役をつとめた。また、祖先伝来 の本領は惣領が相続するが、 新しく開発した所領は、庶子に分割相続 異国警固番役 しんじ 流鏑馬 現在でも神事とし て各地で行われている。 ・鎌倉幕府が「封建制度 にもとづく初めての政権」 といわれるのはなぜだろうか。

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