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承久の乱で幕府が勝利した結果、西国の朝廷方(上皇側)の貴族や武士の土地(荘園・公領)を没収し、その土地を東国の御家人(幕府の味方)に与えたため。
これにより幕府の支配が西国にまで拡大し、東国御家人の所領も増え、幕府の勢力基盤が強化されたから🙇
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承久の乱で幕府が勝利した結果、西国の朝廷方(上皇側)の貴族や武士の土地(荘園・公領)を没収し、その土地を東国の御家人(幕府の味方)に与えたため。
これにより幕府の支配が西国にまで拡大し、東国御家人の所領も増え、幕府の勢力基盤が強化されたから🙇
既にベスアンサー付いてますが、追加で解説しますと、
当初地頭を置くことができた土地は平家没官領、即ち平家の人間が元々持っていたけど、源平争乱で勝利した幕府側が接収した土地にのみ設置可能でした。なので地頭が設置されたのは一部地域に限っていたわけですが、承久の乱で敗れた上皇方の保有していた荘園は、全国で3,000ヶ所を超える量であり、そこにも地頭の設置が認められ、且つそれらの土地の殆どは畿内から西の西国を占めており、これにより御家人の西国進出の契機となります。
こうした承久の乱で得た土地を足がかりに西国へと進出した御家人を“西遷御家人”と言います。西遷御家人として最も有名なのは毛利氏でしょうか。
毛利氏は幕府重鎮官僚、大江広元の息子の1人が相模国毛利荘を領有していたことから毛利氏を名乗り、後にその中の1人が承久の乱で得た西国の土地へと移り、そこで花開いたのが戦国大名の毛利氏です。
幕府とは土地を媒介に各武士と結びついている機関ですから、その土地を媒介に結びついている武士が、西日本にも住むようになったので、必然的に幕府の影響力も西国に及ぶようになりました。その契機が承久の乱なのだ、というお話です。
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