歴史
中学生
解決済み

(4)答えの意味が分からないので教えてほしいです🙇‍♀️
特に大名や大商人のところです

13 右の資料は、江戸幕府が定めたある法令の一部である。 これについて、次の(1)~(4)の問いに答えなさい。 この法令を何というか、書きなさい。 (2) 下線部①の制度を何というか、書きなさい。 (3) 幕府が江戸を中心に整備した幹線道路はまとめて何と呼 ばれたか、名称を書きなさい。 下線部 ①の制度は、陸上交通の発達をもたらしたが、 資料 ① 大名で江戸につとめている者の文化を深め一 おく。 毎年、参勤すること。 (以下略) 13 (2) (3 五百石積 (こくづみ) 以上の船は、 Po (1) (4 新しい城をつくることは、かたく禁止する。 下略) ② は禁止する。 寛永12年(1635)年6月21日| (4) 下線部②は、大船の建造を禁止したもので、幕府は同年に日本船の海外渡航も禁止しているが、江戸時代 初期に大名や大商人が行った海外貿易について、 「徳川家康」、 「日本町」の2つの語句を用いて、簡単に書 きなさい。 (4)
止する。 5月21日 (4) 徳川家康は、大名や大商人が東南アジアに派遣する貿易船に、朱印状を 与えて保護したため朱印船貿易がさかんになり、東南アジアの各地に、 日本人の住む日本町ができた。 「徳川家康が大名や大商人の貿易船に朱印状を与えた」「朱印船貿易がさかんになり、日本町が発達した」の 江戸時代 (4) 下線部の語句がなければ×。 単に書 両面について書かれていなければ×。

回答

✨ ベストアンサー ✨

要は日明貿易の代わりに出会貿易の形式を取ったのが朱印船貿易です。
明は秀吉以降日本を出禁にしており、中国産の物資が入ってこない状態でした。なので東南アジア地域に日本人が行き、そこにたまたまやって来た中国人とたまたま貿易したという形式を取り、その際に幕府から出された渡航許可証が「朱印状」で、朱印状を出された船を朱印船と呼び、その利益の一部を税として取り立てる事で幕府の利益としていたというものです。

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