国語
中学生
解決済み

回答がないので解説もかねてお願いします!!🙇

四次の文章は、『平家物語』「敦盛の最期」の一部である。戦のさなか、源氏方の熊谷次郎直実は平家 方の武将を追い詰め倒し地面に押さえつけている場面である。 文章を読み後の問に答えなさい。 (敦盛の発言) 「さては、なんぢにあふてはなのるまじゐぞ、なんぢがためにはよい敵ぞ。 名 のらずとも首をとつて人に問へ。 みしらふずるぞ」とぞの給ひける。 (熊谷の心内文)「あっぱれ大将軍や、この人一人うちたてまたりども、負くべきいくさに 勝つべき様もなし。又うちたてまつらずども、勝つべきいくさに負くることよもあらじ。 小 次郎がうす手負ひたるをだに、直実は心ぐるしうこそおもふに、この殿の父、うたれぬ(戦
死した)ときいて、いかばかりかなげき給はんずらん、あはれ、たすけたてまつらばや」と 思ひて、うしろをきつとみければ、土肥・梶原五十騎ばかりでつづいたり。 みかた ぐんぴゆううんか (熊谷が)涙をおさへて申しけるは、「たすけまいらせんとは存候へども、御方の軍兵雲霞 のごとく候。 よものがれさせ給はじ。2人手にかけまいらせんより、同じくは直実が手にか 問 給ひける。 かうよう けまいらせて、後の御孝養をこそし候はめ」と申ければ、「③ただとくとく首をとれ」とぞの (熊谷は)あまりにいとおしくて、いづくに刀を立べしともおぼえず、めもくれ心もきえは てて、前後不覚におぼえけれども、さてしもあるべき事ならねば、泣く泣く首をぞかいてん |げる。 ぶげい (熊谷の心内文)「あはれ、弓矢とる身ほど口惜しかりけるものはなし。 武藝の家に生まれ ずは、何とて④かかるうき目をばみるべき。 なさけなうもうちたてまつるものかな」とかき くどき、袖をかほにおしあててさめざめとぞ泣きゐたる。 四〇字程度で述べよ。 字程度で答えよ。 傍線部①は「ああ、お助け申したい」という意味ですが、直実がこのように思ったのはなぜか。 問二傍線部②は「人の手にかかりなさるよりは、同じことならば直実の手にかけ申し上げて」という 意味ですが、Aどういうことが「同じこと」なのか説明せよ。(字数は解答欄の大きさによる) B傍線部②のように直実が思ったのは、直実がどういうところが「他人と違う」と思ったからか、三〇 間三傍線部③からくみ取れる若武者の気持ちとして、最も適切なものを選びなさい。 潔く運命に従おうという気持ち。 苦しまずに死にたいという気持ち。 年寄りの泣き言を聞きたくないという気持ち。 エ助けるのか殺すのかはっきりしろという気持ち。 四傍線部④が指している内容を具体的に三〇字程度で説明しなさい。 間五 『平家物語』のA成立時代とBジャンルを漢字で答えよ。
古文 平家物語

回答

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解答はご自分で考えていただくとして、解説はしましょう。
まず登場人物について

・熊谷次郎直実…平安〜鎌倉時代にかけて活躍した実在の武士。武蔵国熊谷出身。源頼朝挙兵後その傘下に入り御家人となる。手柄を立てんとして一ノ谷の戦いにおいて先陣を切り、深手を負ってしまった自身の子、熊谷小次郎直家と若武者(敦盛)の姿を重ねてしまい、その命を奪うことを苦悩する。

・平敦盛…平安末期に権勢を振るった伊勢平氏の一族の者。平清盛の弟の子。京都で活躍する武士のため楽器にも覚えがある。

・土肥…土肥次郎実平。伊豆国出身の御家人。

・梶原…梶原平三景時。相模国出身の御家人。侍所所司。かつて頼朝が危機に瀕した際に彼を助けた事などから頼朝から厚い信頼を受け、西国で平家追討任務に当たる御家人達の見張り役を兼ねる。

まずこのお話は一ノ谷の戦いがほぼ源氏側の勝利に終わり、平家の者たちも海へ逃げようとしている中で始まります。
平家の武将平敦盛もまた海へと入り沖へ向かおうとしていた中、それを見かけた熊谷次郎直実が敦盛を制止し、
「名のある武将と見た。海から上がり正々堂々勝負しろ」と声をかけると敦盛もこれに応じて勝負が始まる。
結果、熊谷直実の勝利に終わるが、この若者が誰なのかを問いただす※直実に対し若武者(敦盛)は答えない。そのかわりに彼は
「私の首をとって見せると良い。貴方にとって取る価値のある首だぞ」
と堂々としている。
ここで熊谷次郎直実はこの若武者と自身の子、熊谷小次郎直家を重ね合わせる。

「我が子直家が怪我をしただけでも大変心を痛めたのに、この若武者が死んだと彼の両親が知った時はどれ程の苦しみになるのだろうか」
と思い、
「お助けしよう」
と提案するも、背後からは(直実の味方である)土肥や梶原の軍勢が迫っている。
逃してもどうせ彼らに殺されるのだから、
「自身の手で楽に殺して差し上げて、その上で供養して差し上げます」
と言うが、敦盛は
「早く殺せ」
と言うだけである。
直実は葛藤しながらも敦盛の首を取った後、
『武士の家に生まれなければこのような目に遭わずに済んだというのに』と嘆き悲しみましたとさ
ちゃんちゃん

※当時は戦いで挙げた首の価値(有名な武士であれば討ち取った時の恩賞もデカい)を知る事は重要であったため、常に名乗りを上げながら戦った。

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