日本史
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年貢というのは米で、年貢による収入を減らさないというのは、政府が変わらず地主や自作農に年貢を納めさせたということですか?


なぜ金貨と交換できる紙幣の発行を義務づけられていたために、それ以外の設立が進まなかったのですか?設立される銀行では、新貨幣の生産でもしてて、紙幣の発行が必要とされる中でそれほど新貨幣の生産に需要がなかったから…ですか?

解説お願いします

地租改正では, 従来の年護による収入を減らさない方針であった ため。 地主や自作農の負担は今までと変わらちない重いものであつった。 そのため, 地価の決め方や地租率に不満をもつ農民は, 各地で地租 改正反対一探をおこ した。1877(明治10) 年, 政府が地租率を地価 の3 %から2.5%に引き下げたことで,。 ようやく地租改正事業は軸 道に乗り。 1879(明治12)年事業はほぼ完了した。
攻府は。作制度と銀行度の確立にもカをいれた。 1 2)年 晶し ・付・硬を単位とする新作各をつくっ た。 翌年には国立銀和条例を定め。 民間の手によって第一国立銀生 など 4 行が設立された。 当初,国立銀行は。 金貨交換できる無 の発行を義務づけられていたため, それ以上の設立はすすまなかっ た。政府は1876(明治 9 )年。 条例を改正してその義務を介除したの で, 銀行の設立は急速にすすみ, 全国で153行におよんだ。
地租改正 殖産興業

回答

✨ ベストアンサー ✨

すみません、紫の方だけ回答します。
金と交換できる紙幣(兌換紙幣(だかん))の使用義務付けられていたということは、銀行側に、紙幣を持ってこられた時に交換するための十分な金の準備がないとシステムが成り立ちませんよね。
だから、銀行の経営が難しいために当初は4行のみしか設立されませんでした。
ちなみにですか、この後兌換制度(紙幣と金(きん)を交換しなければならない制度)が無くなってからは、経営が楽になるので銀行数が増えます。
拙い説明、長文失礼しました。

mn

ありがとうございます
銀行は紙幣を交換しなくてもよい、ただ預けるだけのところになったから経営が楽になったということですか?

ゲスト

銀行側に、兌換義務(紙幣持ってこられたら金(きん)に変えないといけない義務)があった時は、交換するための金の準備が必要です。
ですがその義務が無くなってからは、交換しなくて良くなったので、準備金をたくさん用意する必要が無くなりました。だから銀行を開業しやすくなったし、経営も楽になったということです

mn

ありがとうございました!

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