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国語 中学生

国語の問題です🙌🏻 問4、5、6、7、の解答をお願いします🙇 また、問6「言葉と思考の二極化の時代。」、問7「次の思考が始まること。」という解答は適切ですか?

たち。 四 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 新聞で毎日、誰かの言葉の一節を紹介するコラムを担当するよ うになって、ずいぶんたつ。 引用する一節を探して、日々、言 葉の森をうろついていると、たまに言葉の貯金が増えてうれしく なることもあるが、たいていは乏しくなった米びつの底をさらう ときのような心細い気持ちでいる。 そういう思いとは別に、このところ言葉を選ぶことそれ自体が しんどくなる日がある。戦争、感染症、災害、貧困、権勢の不正 と、気の塞ぐような記事と同じ紙面に並んで掲載されることも増 え、ふと頬が緩むような言葉、気を取り直せるような言葉を取り 上げにくいということもある。だが、それ以上に、②言葉そのも のの惨状にめげそうになっている。 言葉がまるでうぶ毛をなくしたかのように、むき出しで人にぶ つかるようになった。 言葉が、露骨な差別や捨てぜりふ、居直り として礫のように投げつけられたり、アリバイや言い逃れ、時に 隠れみのとして巧みに操られたりする場面に、路上で、報道で、 頻繁に触れる。 同じことの裏返しともいえようが、言葉が現実の前でうなだれ 逆の光景もよく目にする。声を上げたところで何も変わらな い、聞いてももらえないと、言葉の無力に打ちひしがれ、口をつ ぐんでしまう人。 言葉に何かを託すことをあらかじめ断念した人 言葉の暴力と無力。 言葉の横暴と言葉の喪失。 一方に言葉であ おる人たちがいて、もう一方に言葉の前で身をひく人たちがい る。言葉が両端に裂かれ、イエスかノーか、オール・オア・ナッ シングといった、両極端な形でしか出てこない。 私たちはさまざまな言葉に取り囲まれている。 本気で何かを訴 える、どうしても相手に届いてほしいという切実な思いから発せ られるものばかりではない。漠然とした不安のためか、絶えずし ゃべりまくる、書き込みをしまくる、時にはため息すら送ってし まう、そんな言葉もあふれるほどある。 そしてSNSの普及によ って、そうした傾向はいよいよエスカレートしてきている。 受け 取る側も、自分に向けられた言葉に反射的にメッセージを返して しまう。言葉をいったんのみ込んで、口ごもり、自分なりにその 言葉と折り合いをつけようとする、そんなプロセスを経て言葉を 返すということがない。 私たちは、言葉が音として届けば、あるいは文字として送られ れば、言葉が伝わったかのような錯覚に陥りやすい。 「わかり合 う」「通じ合う」「触れ合う」、そんな安易な言葉の洪水が、わか ってくれて当然という甘えを生み、さらに言葉を通じにくくさせ ている。理解してほしいという気持ちが高じてくると、理解して もらえないときにはその反動で、「キレる」「ムカつく」といった 荒々しい言葉が投げつけられる。 しかし、言葉は単なるメッセージの媒体なのではない。言葉に は言いたいこと(言葉の意味)だけでなく、酔いたいという気持 ちも含まれている。 それは「③言葉の肌理」 となって現れる。 対 話の場でふと何かが腑に落ちるとき、私たちは語りの整合性や合 理的根拠によってではなく、むしろその感触や肌理、口調や声に よって、相手が本当に言いたい何かに気づかされることが多い。 言葉の背景にある体温や手応えに、どれだけ想像力を向けられる かなのだろう。 それがないと、言葉の意味だけをむき出しのまま ぶつけ合うだけになる。 わかりやすさや反応の速さが求められる時代、 大量の言葉を前 に、じっくり言葉と向き合い思考する時間も、吟味して言葉を選 ぶ心の余裕もなくなっている。 社会に、隙間という意味での「あ 「そび」がなくなってきている。 短絡的な言葉で片づけようとして 7

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国語 中学生

中3です! 分からない問題があって...。 画像の問題のやり方を教えて頂けたら嬉しいです🙏

振る話は山ほどある。やはり危険は回避して、多少じれ の科白ではないけれど 「まあ、お聞き下さりませ」 きならぬ目に人を誘うことがある。t| こ体 「回Sない」から) がれから、知らず知一 みる。 紙を選び、墨色の濃淡も行き届いた手紙で伝えられる言葉は、書かれて ~同時に、友達と遊 と腰を据えられれば、騒ぐ心も落ち着きを取り戻して、鎮まる余裕が生 たと思う。なかには いる内容も申し分ないに違いないが、書き手の姿や、その居廻りの様子が、 知って居るはずもないのに、カーテン越しの光が躍っているか、障子の隅 だけが明るく、部屋の中はそろそろ灯りが欲しい時間だろうかなどと、相想 像をかき立てられる気がすることがあり、言外の楽しみを与えられるとい う訳だが、こんな手紙を受取った後は、返事に困り、頭の痛いことである。 言葉を文字で読む時、自分が声を出して読まなければ、それは目だけの 文字の世界だが、なぜか分からないが、私の耳は声を聞いていると感じる ことがある。書かれている内容によって、男の声、女の声、老人のことも あるが、減多に華やかな艶っぽい声を聞くことは少ない。自分が過ぎてき 日葉や、苦労して覚 話た せ屋の棟」 た時間の中に、心に残るほどの佳い声に出会わなかったのか、こちらの心 になる慣わしを持 が捉え切れなかったのか、今さらながら惜しいことではある。 は成り立たない しは存在すら確か ずっと穏やかで、ゆっくりだったと思う。。言葉遣いも、年齢、職業、社 会的な位置による使い分けがはっきりしていて、使うべき言葉、いかなる 場合にも使ってはならない言葉の区別は、小学生でも心得ていた。だから、 大人の居ない所でわざと規則違反をやったり、上品ぶった奥様言葉をまれ て得意満面、大人をからかったりしていい気分になっていた。垣根がある 昭和のはじめの頃、今から思えば日常生活の中で互に交される言葉は、 になるのだ。言葉 は自分の思いを ければ、文を書 から、垣根破りは面白いのだし、言葉自体にその人の生活が強く結び付」 「 は いている使い方があることは、きまりに縛られる不自由さもあったが、言 r 捨てて、退引 葉の持つ表情は豊かで奥行きのあるものだった。今の平均化した言葉は分 これを オギー 「こんな手紙を受取った後は、返事に困り、頭の痛いことである。」 とありますが、それはなぜだと考えられますか。次か で答えなさい せるのだろ 0 国語、

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