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歴史 中学生

武士が、領地を皇族や貴族、寺社に寄進していたのは何故ですか??🙇‍♀️

成長した武士団の中でも、天皇の子孫である 源氏と平氏が有力でした。 11世紀後半には, とうぼく ぜん く 5 東北地方の武士どうしの争いをきっかけにした大きな戦乱 (前九 しょうえん 武士団と荘園 ねんかっせん こ さんねん 年合戦 後三年合戦)が起こりました。 この争いをしずめた源氏 . みなもとのよしいえ いわて の源義家が東日本に勢力を広げ, 東北地方では平泉(岩手県)を きょてん おうしゅうふじわらし 3 拠点に成長した奥州藤原氏が力を持ちました。 12世紀前半には、 かいぞく 瀬戸内海の海賊をしずめた平氏が西日本に勢力をのばしました。 10 地方の武士は、地位や武力を利用して土地の開発を進め、領地」 き しん を都の皇族や貴族, 寺社(寺や神社)に寄進しました。 こうした 1070 園では, 武士が年貢を農民から集めて納めるかわりにその土地を ➡p.45 5⑤ 支配する権利を保護してもらい、 力をのばしました。 一方, 荘園 こくし こうりょう 以外の国司が支配する土地(公領) でも、武士が犯罪の取りしまり ➡p.43 や年貢の取り立てを任されるようになりました。 やかた こうして11世紀の後半には, 武士は荘園や公領に館を築いて 地方の社会の中心になっていきました。

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歴史 中学生

社会得意な方これほんとにわからないので教えて下さい😭

りつりょう (エ) ④ に関して、奈良時代には,律令にもとづいて政治が行われていた。 次の略地図Iは奈良時代 線 の人々が、ある目的で地方から都まで歩いて行くときにかかる日数 略地図 ⅡIは奈良時代の人々が、その 目的を終えて都から地方まで歩いて帰るときにかかる日数をあらわしたものである。 表は, 律令体制下 における, 人々の主な負担をまとめたものである。これらをもとに、奈良時代の人々が都まで行くとき と都から帰るときにかかる日数の違いと、 その違いが生じる理由について60字以内で書きなさい。 解答 にあたっては、略地図 Ⅰ. 略地図Ⅱ からは、行くときと帰るときとでかかる日数の違いを読み取ったう えで行くとき, 帰るときという語を必ず用いて書き、 表からは,その違いが生じる理由を読み取った うえで, 都という語を必ず用いて書きなさい。 なお, 文末は句点(。) で終わり, 全体の字数に入れること。 略地図 Ⅰ 人々が地方から都まで歩いて行くときにかかる日数表 律令体制下における, 人々の主な負担 9日以内 内容 10日以上~19日 20日以上~29日 30日以上~39日 140日以上~ 大宰府 G 平城京 3 平城京 (8世紀ごろ) | 略地図Ⅱ 人々が都から地方まで歩いて帰るときにかかる日数 19 日以内 | 10日以上~19日 20日以上~29日 30日以上~39日 40日以上~ 大宰府 ( 8 世紀ごろ) (注) 略地図I略地図Ⅱは,平安時代前半の数値である。 また、九 州は大宰府までの所要日数。 (略地図Ⅰ. 略地図ⅡIは、 「延期式」をもとに作成) 租 よう 庸 ちょう 調 防人 稲の収穫量の約3%を地方の役所ま で納める税である。 ろうえき 労役の代わりに,布などを都まで運 んで納める税である。 地方の特産物を都まで運んで納める 税である。 九州地方北部で3年間、警備にあた る兵役である。

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