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数学 中学生

これの(2)と(3)で規則のところで解説を読んだんですけどわかりません。分かりやすく教えてください🙏

思考 ABCD……のいくつかの駅があり, 快速電車の走らせ方を 検討している。快速電車とは, 各駅停車であってもよく, また途中か ら各駅停車となった場合や途中まで各駅停車となった場合も, 快速電 車と見なすことにする。さらに、 快速電車は始発駅のA駅から終着駅 まで行くとき, 途中のどの駅を通過してもよいが, 連続する2つ以上 の駅を通過してはならないものとする。これについて, 以下の問いに 答えなさい。 1 ABCD E ①A-B→C→D E 2 A ③A-B ④A B C -C +E ~D E -E A cマp>日 [図] (専修大学附属高) (1)図のD~のはE駅が終着駅の場合の快速電車の走り方の例を示している。 図において, あと1通りの快速電車の走らせ方がある。 例にならってそれを書きなさい。 (2)図で駅の数を少なくして, ABCの3駅の場合やABCDの4駅の場合,また, 駅の数を 増やしてABCDEFの6駅の場合について同じ条件で快速電車の走らせ方を考え,5駅 の場合も含めて相互の関係を見出してください。 すると, ABC…….JKの11駅の場合の快速電車の走らせ方は, 89通りあることがわ かる。 さて,これにさらにL駅を終着駅として加えた12駅の場合,快速電車の走らせ方は 何通りありますか。 (3) (2) で途中のG駅が通過駅になる快速電車の走らせ方は何通りありますが。

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国語 中学生

この文章において「読書」と「書物」の違いってなんなのか教えてください🙇‍♀️🙏

第2章 説明的文章 (1) 50 日前をつきあわせておしゃベリは果てしなくつづけられているけれども それによって、はたしてお互いがどれだけ「理解」しあっているかは、わ からない。相手の心の深い部分が、どんな構造になっているのかは、ほん 3次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 本を読むことは、よいことだ。たとえ、それが住居の貧困の反映であっ ても、個人が自由な想像力によって、それぞれの(精神の個室をもつのは とうに、見当がつかないのである。 その見当のつかない部分を知ることはできないし、また、知る必要も のぞましいことだ。じっさい、そもそも「個人」というのは、そういうふ うにして成長してゆくものだからてある ない。「個人」どうしのつきあいというのは、そういうものなのだ。しかし、 もしも、その小の奥深い部分をつくっているもののひとつが書物であると するならば、まえにのべたような理由によって、お互いの書物を交換する3 ことが家庭のなかて考えられてもよいのではないか。 8書物を交換する、というのは、じぶんの体験した異質の世界を見せあ う、ということである。そして、だれにても経験のあることだろうが、じ ぶんが読んてみて、ほんとうにいい本だ、と思った本は、ひとにも読ませ たくなるものだ。読んでいるあいだは、完全にじぶんだけの世界だが、そ の世界に、じぶんの親しいひとをひきずりこんで経験を共有したくなるの てある。そういう、経験の交換が、家族のそれぞれの読書生活のなかでお 2しかし、家庭のなかの書物というものを考えてみると、これはずいぶs ふしぎな品物のような気がする。なぜなら、本は家庭の備品のひとつ てはありながら、結局のところ、個人にぞくするものであるからだ。家庭 コんだな の本棚にならんている何十冊、あるいは何百冊の本の背表紙は、家族のみ んなが毎日ながめているのに、その中身は、家族共有のものではないのて ある。。その点て、家庭にある他のもろもろの備品と書物とは、性質がち がうのだ 3それはそれてよい。ちょうど、個室をのぞきこまないことが礼儀てあ るように、精神の個室ものぞきこまないほうがよょいのかもしれぬ。お互い、 好きな本を読んて、それぞれの世界をたのしめば、それてよい、というべ きなのかもしれぬ こなわれるのは、すばらしいことだ しかし、本は、いっぼうで個人にぞくするものでありながら、同時に、 だれてもが入ることのできる個室、つまりホテルの部屋のような ももっている。だれかが使用中であるかぎり、そこにふみこんではならな いが、空室になったときには、だれが使ってもかまわない。主婦が買いこ んだ文学全集を夫や子どもが読むことはいっこうにさしつかえないことだ し、子どものマンガを親が読んだっていい。表題はまったくちんぷんかん 9ひとの日記や私信を読むのは失札なことだ。だが、書物は、いっぽう て私的でありながら、他方ては共有のゆるされるものである。夫婦のあい だて、あるいは親子のあいだて、お互いの本をとリかえて読むことで、家 族は個人を尊重しながら、相互のより深い理解への道をあゆむことがてき るかもしれない る JnSPAし (加藤秀俊「暮しの思想」) ぶんであっても、夫の読んでいた経営学の本を、妻がひもといてみてもか まわないはずだ 口にあてはまる語句として最も適切なものはどれか ア鎖性 イ 利便性 5そして、わたしは、そういう密室の交換がこれからの家庭ではたいへ んだいじなことであるような気がする リるく ウ 社会性 工象徽性 6人間がことばて表現できるものは、きわめてかぎられている、と哲学 線「精神の個室」とあるが、これと同: 内容を表している語句 者はいう。 れは家族のなかの人間関終についても真実だ。夫結、親子 を困段藩から抜き出せ。

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国語 中学生

答えがないので(6)の記述合ってるかどうか教えて頂きたいです🙏🏻🙏🏻 ちなみに私が書いた答えは、「じぶんだけの世界に親しいひとをひきずりこんで経験を共有する」です

分·標準25分 クラス へ そして、わたしは、そういう密室の交換がこれからの家庭ではたいへ んだいじなことであるような気がする。 人間がことばで表現できるものは、きわめてかぎられている、と哲学. Sや 者はいう。それは家族のなかの人間関係についても真実だ。夫婦、親子じ 毎日顔をつきあわせておしゃべりは果てしなくつづけられているけれど も、それによって、はたしてお互いがどれだけ「理解」しあっているか 3% は、わからない。相手の心の深い部分が、どんな構造になっているのか は、ほんとうに、見当がつかないのである。 7 その見当のつかない部分を知ることはできないし、また、知る必要も 蒙族 ない。「個人」どうしのつきあいというのは、そういうものなのだ。 しかし、一 はな もしも、その心の奥深い部分をつくっているもののひとつが書物である とするならば、まえにのべたような理由によって、お互いの書物を交換 することが家庭のなかで考えられてもよいのではないか。 ンS 8 書物を交換する、というのは、じぶんの体験した異質の世界を見せあう ということである。そして、だれにでも経験のあることだろうが、自分 回と が読んでみて、ほんとうにいい本だ、と思った本は、ひとにも読ませた J くなるものだ。読んでいるあいだは、完全にじぶんだけの世界だが、そ の世界に、じぶんの親しいひとをひきずりこんで経験を共有したくなる のである。そういう経験の交換が、家族のそれぞれの読書生活のなかで おこなわれるのは、すばらしいことだ。 9 ひとの日記や私信を読むのは失礼なことだ。だが、書物は、いっぽう で私的でありながら、他方では共有のゆるされるものである。夫婦のあ いだで、あるいは親子のあいだで、お互いの本をとりかえて読むことで 家族は個人を尊重しながら、相互のより深い理解への道をあゆむことが VS できるかもしれない。 (加藤秀俊「暮しの思想」による) 6 文章中に お互いの本をとりかえて読むことで、家族は個人を尊重- ながら、相互のより深い理解への道をあゆむことができるかもしれない とあるが、このようにいえるのはなぜか。次の文の一 ]に入るように、 「世界」「経験」ということばを用いて、二十五字以上、三十字以内(句 読点も字数に教数える)で普け。 お互いの本をとりかえて読むことで、 ことになるから。 しさんだけの世界に熱しsかとをひサ、ず り こkて径取を共有す3 E この文章の内容と合っているものを、次のア~エのうちから一つ選び、 性 33

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国語 中学生

国語の受験問題集をやっていたらめちゃくちゃ難しくて長い問題に出会ったんですけど、(早稲田高)こうゆう問題ってどうやって取り掛かったらいいんですかね、

-1 をとらえる ると、「母に聞け」とおっしゃる。に問うと、「物を人に下さるのが我が子でし Aう」と申すので、(留志長者は)とうしようもない。「腰のところこ黒子という に。H 産を放策するように命」たSP はなく、帝釈は留志長者の姿をして教案したのである。オ「母親を使って」は、 の問柄における事態である。 したがって、自分の存在が承認され、青定されるためには、特定の 個人との問柄での個人的役割の迷行が不可欠である。こうした特定の 人との問柄における相互承認こそが、互いに相手の代替不能性の承認如 をともない、翻って各自の存在の取り替えのきかなさを認めあうこと てよい。と背定されるということは、あくまで具体的な生身の個人と 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 eさまざまな仕事のあいだには、そのきつさの違いもあれば、見返 り(酬)の違いも存在する。しかしながら、そうしたさまざまな仕事 は、それぞれに相互に佐存しあい、全体として複雑な協業を構成して 仕事について働くということは、そうした相互佐存のネットワーク に自ら歳動的に参与する、ということに他ならない。まな他のもろも ろの話動が可能となるための条件となる。自分の話動が、こうした相一 互佐存のネットワークの網目の一つを織り成すようになる、というこ」 とが、すなおも任事をもって働くということなのである。 こうした事情は、経済学の分野では、「社会的に有用な労働」が仕事2 である、という言い方で表現されたりもする。しかし「社会的に有用」 ということの眼目は「誰もが必要とするもの、必要とするようになり 少うるものを作り、届ける」というところにあるのであって、全社会的 に注目されるような顕著な有用性ということではない。 したがって、さまざまな社会的な役割の中でも、経済活動においてじ 自分のいる位置を示す役割は、格段の意義を有している。この役割を 負うことによって、どんなに見知らぬ他人を前にしても、その人に対一 してその人が必要とするもの。必要とすることがありうるものを 提供する者として ある、ということを相互に確認できるようにな る。すなわち。こうした役割は、人間としての社会的な存在を相互に 河 本認しあうときの、もっとも香遍的な足場を与えてくれる につながる。 しかしながら、もし、特定の個人に対する、個人的な役割の遂行が すべてであった、としよう。そのときには、人は個人的な信頼が成り 立っている親密置に引きこもることになる。こうなると、それぞれにお とって、“相手に映っているであろう自分。 の姿を確かめようとする ことが、もっぱらの関心となる。ところが、その場合、各自は「私は一 相手にとって○Oである」という以外の仕方では存在しえない。のみ ならず、相手のほうもまた、「私にとって××である」という以外の仕」 方では存在しえない。 こうなると、それぞれが、合わせ鏡もさながらの、確たる像の見え ない不安と苛立ちをぶつけあうことになる。 「あなた」·「私」という対面の問柄における対他存在の承認は、 自分と相手とを共に包んでいる、より大きなつながりのなかに係留さ れて、はじめて限定され安定したものとなる。それぞれが異なる社会 お 的な役割を負っていることを理解し、対画で向かい合っているだけで は見えない相手の姿が理解できるようになってこそ、対面の間柄も 合わせ鏡のように向かい合うだけではない、安定したものとなる。し 、 に有な仕事は、 承器の足島ではあっても、 社会的 分の存在が承認され育定されるためには、 他方では不特動 S 第人ととのあいだでの皆 登割を 是行するこ て、 pir.fr ktyo い でn5 ムク う 業のネットワークにおいて、しかるべき一つの網目となるというこ ととであり、相互性の射程がもっとも広い役割であった。したがって 仕事をもつという殺票を引き受け、運行していくことは、互いの存在琴 を相足に承認するためには欠かしえない意義を有している。 しかし、だからと言って、仕事さえこなしていれば、自分の存在が 承認され、育定されるということにはならない。いま、ある人が、仕 多に打ち込んで、まもがる要とするもの、必要としうるものを提供す るをこなしている。とする。しかし、もしそれだけであるなら、 S 三個人としての縦的な存在氷認には光分ではない S に代表されるよう 的 は、あくまで不物 定の他者に対する であり、その役置を負うのが道であるかという ことは、人的な のように本質的な題にならないからである。 永存しあっている他人が不称定のままであるかぎり、あなた自身もまば 行するのは、他の誰でもないあなたであり、あなたという人は一人し かいない。このことが認められ背定されないのなら、自分の存在が認 められたことにはならない。 しかし、そうした唯一性の承認も、自分ひとりで紡ぎ出すことはで きない。「他の誰でもない、他ならぬあなた」という呼びかけは、過 去から現在にいたるまで、そうした個人的な役割を引き受けあい。認5 めあった中から生じる呼びかけであり、そうした呼びかけに応えて、 未来に統いている関わり合い(コミットメント)を引き受けていくこと なしには、唯一性の承認が生じることもない。(中略) A_とのあいだで対人的な役割を引き受け逃行 口とのあいだでの社会的役割を遂行することは、 その人の存在の承認を可能にする。いわば車の両輪であって、そのど ちらが欠けても、対他存在の承認は不安定になり、ここで こうし 1 S人にとどまる。 その場合には、手にとっては目の属にいるのが、あなたでなくと 1電はに でり立つのは、 たかだか 「〇Oの提供者」 ーOOS(輪) 」という。 士の係でしかない。 し かるに、そうした 士の担依存的な開係だけでは、人質として の対存在の都年米認には十分ではない ていてよい。と安場しうる居場所は危うくなる。(中略) 改めて言うまでもなく、生存を確保するという観点から見れば、 仕事について働くということは、生活を維持し再生産するためのをお 得るための活動である。しかし、そのつど他者に対して何ものかとして ある。という人間としての存在という観点から見るならば、何らかの 仕事について働くということは、ごくかぎられた人々との個人的な問柄 を離れても、すなわち見知らぬ不特定の人々に対しても、そのつど他 者に対して一何ものかとして一ある。という自分の存在が確証さ れる。ということに他ならない。このように仕事について働くというこ とは、生き延びるための手段には尽きない意味をもっている。(中略) かくして私たちは、っ人は、生きtるために働かoるをえない。とい う。あの圧側的なまでに正しく響く答えについても、今や次のように 私たちは、 みなを 物、そのつどそのつ ま らにを運行している。 しかし、 私もあなたも、 そうしたな 第の東に尽きるのではない。あなたも。時間の移,場術の変化とと 中業 をこなしている。 そのとき、 あなたが 「役を選 」であって、あなたが 「役である」のではない ) 中る、 あるいは使する」という役だけに注目すれ *に するのは、 あなたでなく ない。あなたの 単は 戦こなせるひとはたくさんいるしかし、役を )A中きる。生きる)とは、働くことと男のことではない。働 A1A)世事に、生きるということがあって、 働くこと

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