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現代文 高校生

現代文単語帳のページの一部分です。 ここにかいてある説明がよく分かりません。 赤丸の部分=アリストテレスの考え という解釈で合っていますでしょうか?

15 第1章 最重要ペア④ 現象 本質 本質 本質のとらえ方は 人それぞれ イデアなどと いうものは 存在せぬ。 それぞれの中に 本質があるのだ! イデアとは 本質そのものの美 アリストテレス プラトン 本質は 決定 見えないもの 決定 決定 決定 変化 現象 R 「A 変化 本質は現象のうらに かくれて現象を決定しているのでは? 確認間題 解答 1イ 2現象 ー U UPU 哲学の世界では、常に本質と現象とは対の概念としてとらえられ る。ただ、本質のイメージは人によって異なる。プラトンは本質そ のものの美を「イデア」と呼び、アリストテレスは「イデア」は存 在せず、個別のものの中に本質が姿を現していると考えた。本質は 現象の裏にある不可視のものであり、何らかの意味で現象を決定し ていると考えられる。変化する現象の背後に、不変で同一の本質が あると考えたいのが人間の習性といえよう。 次の空欄に入る語を後から選べ。 どうして、このように情報を捨 てるのかというと、そうすること で、何が一 なり、別の多数のものにも共通す る一般的な概念が構築しやすくな るからだ 口かがわかりやすく (森博嗣「人間はいろいろな問題に ついてどう考えていけば良いのか」) ア 中心 イ 本質 ウ 雑事 工外見 オ 現実 本||S回 [山女学園大] 次の空欄に入る「本質」の対義 語を答えよ。 一定の思想をもつって 口に問 いかけ、 えさせることが実験である。そし て与えられる答について論理的に 思考し、これによって口■ 理的に把握してゆく。 N ]をしてこの問に答 リ 一を合 むだのないさま (1三木清「哲学入門」) 第1章一 無2章 第3章 第5章

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現代文 高校生

高校1年 現代文 ⑤のこのことと表裏をなすがとは何と何が表裏をなすのですか。そして表裏をなすとはどのような意味でしょうか。考えて答えなさい。という問いです 教えてください

1. neck(首肉) 2. chuck(肩肉) 3. rib(あばら肉) 4. short loin(腰肉) 5. sirloin(サーロイン) 6. rump(しり肉) 7. round(もも肉) 8. shank (すね肉) 9. brisket(胸肉) 10. plate (ばら肉) 11. Aank(わき腹肉) 15 ショート· イン、ブリスケット プレート、フランク、サーロイン などと区別するのは、牛肉に対す る、その言語の並々ならぬ関心を 示している。Gれに対して日本語 はこれらには無関心であって、動 物名の牛(うし)に対してその肉 の名、牛(ぎゅう)が使われだし たのはやっと明治になってからで N あった。そのかわり、日本語は魚 に関しては詳しい。ボラという魚 の成長段階に応じて、例えば浜名 湖でキララ→オボコ→イナ→ニサ り イ→ボラ→トドと呼び分けている。 成長とともに名を変えるいわゆる 出世魚である。これは、この魚についての知識の密度が濃くて、つまり世界を捉える走 査線が細かくて、微細な差も、これを別名で呼び分けなければ気がすまないのであろう m● (このことと表裏をなすが、我々日本語を母語とする者は、世界を日本語で見ているの である。例えば虹を我々が七色と見るのは、あの光のスペクトル連続を日本語では七つっ に区切ってそれぞれに色の名を与えているからにほかならない。もしそれを五つに区 切って名づける る言語があれば、その話し手は同じ虹を五色に見るにちがいない このように、客観世界というものは、純粋には見ることはできない。あるいは、極端 にいえば、人間にとって純粋客観世界はありえない。/必ずこの母語の色眼鏡を通して世 界を見ているのである。色眼鏡というと悪いもののように聞こえるが、とかく人間は、 世界は自分の色眼鏡で見る世界しかないと思いがちのものである。 しかし、逆に?他人の色眼鏡が立派に見えてくる場合もある。例えば、日本語には文 法的カテゴリーとしての単数、複数の別がないからといって日本語は論理的ではないと 考える人はよくいる。けれども、単数、複数の別のあることは言語にとってそんなに有 利なことであろうか 筆者がロンドン大学にいた時の話であるが、日本語を習っている学生が日本語は単数、 複数の区別がないから、なんとなく頼りない、と言ったことがあった。自分たちが区別

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現代文 高校生

この問題の答えは5だったのですが全く意味がわかりません。教えてください。

(日点) |三 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。 ことばに寂しくなると、北原白秋の「桐の花」をひらく。白秋 自身の表現を借りるならば、「一寸触つても指に付いてくる六月 の標格の花粉のやうに」ことばの花がこぼれ落ちてくる。 春の島な鳴きそ鳴きそあがあかと外の面の草に日の入る夕 巻頭のこの一首は、白秋の歌に対する思いを、象徴しているかの ようだ。(春の鳥よ たはらはくしゃ しゅ ろ 私はおまえの鳴き声ではなく、おまえを包み、鳴かせようとする B_をこそ歌にしたいのだ。) ように思われる。「桐の花とカステラ」の中の「私には鳴いてる小 鳥のしらべよりもその小鳥をそそのかして鳴かしめるまでにいた る周囲のなんとなき空気の提へがたい色やにほひがなつかし だ」ということばとそれは響きあう。 。そんな短歌観を宣言している 昔、理科の時間に、空気の動きを観察する実験があった。どう やってその流れを追うかというと、透明な箱の中に煙をいれて、 その煙の動きを空気の動きとして観察するのである。煙とは物理 的に言うと固体で、細かい粒であるらしい。それを、気体である 空気にくっつける。 白秋の歌のことばも、その煙の粒のようなものではないだろう かと思う。目に見えない空気に、たくさんたくさんことばの粒を くっつけて、その流れを表現する。そしてそのことば自身も、煙 のように淡いことば。 返り、せきこんでしまうほどの煙がうずまいている。 D_文字という箱の中で、ときにはむせ それが私

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