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現代文 高校生

文化と文明という言葉について。文化の語彙の説明のところには、物質的、精神的活動と書いてあるのに、隣の理解のための1歩というところを読むと、文化は、精神的、文明は物質的と解釈できます。どういうことなのでしょうか?また、文明の説明に高度な文化を持つことと書いてありますが、文明=... 続きを読む

962 ■ 961 語 文化 文明 「評論文を理解するための重要語 あかち 一歩 理解のための ちが (意味) その社会を構成する人々の、物 質的・精神的活動の結果全体の こと。 世の中が進歩し、生活が便利で 高度な文化をもつこと。 対義 未開 使い方 類似語 じんりょく 郷土の〔文化]遺産の保存に尽力す る。 カルチャー・文明 しん 明治維新以後、西洋〔文明〕が日本 に急激に移入された。 文化 文化と文明は、よく似た感じのする言葉ですが、どう 違うのでしょう。その違いを説明する時によく挙げられ るのは、精神的な面と物質的な面です。 文化は、おもに社会の風習や伝統、価値観といった精 の神的な面において生み出されたものを表す時に使い、時 こうはん い 代も広範囲に渡ります。一方、文明は、おもに経済や技 術が発展する状態を表す時に使い、時代や場所は限定さ れます。文明の使い方にある「西洋文明」は十九世紀 のヨーロッパの機械文明を表します。 精神面と物質面。文化と文明は、人間が幸福で豊かな 生活を送るための車の両輪のようなものでしょうか。 文化 )) 文明

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八段落の「負のエントロピーの極み」というものがなにか分かりません。40字以内でまとめろと先生に言われました。何かいい回答をおもちの方は解説等をお願いします。 出典:数研出版 現代の国語 白(原研哉)

中に白を置いてみる。「白は混沌の中から立ち上た る最も鮮烈なイメージの特異点である。 混じり合うという負の原理を進行し、 に回帰しようとする退行の引力を突破して表出する。白は特異性の極まりとして発生す るのだ。それはなんの混合でもなく、色ですらない。 エントロピーという概念がある。熱力学の第二法則の中で語られているこの概念は、 混沌の度合いを示している。 熱力学の第二法則とは、あらゆるエネルギーは平均化され ていく方向で保存されるという物理法則である。手の中のコーヒーカップのコーヒーは 今、熱く湯気をたてているが、やがてそれは冷めて周辺の温度と同じになってしまう。 ・コーヒーは手に持っているままでは決して熱くなったり、凍ったりはしない。それは確 実に冷めていく。しかしコーヒーの熱は失われたわけではなく、周辺の温度と平均化さ れることで保存されていくのである。東京の気温、シベリアの気温、コンゴ盆地の気温 は、生命のような地球の活動のおかげでそれぞれ異なるが、巨大なスケールの時間の中 では、やがて同じ温度になっていく。 地球の温度も、いつかは周辺宇宙と入り交じって 宇宙の平均温度に無限に接近していく。エントロピーの増加とは、特異性を減じて平均 の果てへと帰趨することを意味している。 全ての色が混じり合ってグレーになるように、 エントロピーが増大する果てには巨大なエネルギーの混沌世界がある。 コーヒーカップ~ の熱も、東京の気温も、地球の温度も、全ての熱エネルギーは一つの巨大な平均として 保存されていく。ただ、この混沌は、死でも無でもない。何ものでもなくなったエネル ギーは、同時に何ものにでもなりうる保存された可能性そのものであり、その大いなる 無限の混沌から、エントロピーを減じながら突出してくるものこそ「生」であり「情報」 ではないか、エントロピーの引力圏をふりきって飛翔することが生命である。 混沌の無 してくるものが意味であり情報である。 その視点において生命は情報と同 日は、海の中から発生する生命あるいは情報の原像である。白はあらゆる混沌から のがれきろうとするエントロピーの極みである。 生命は色として輝くが、白 ものがれて混沌の対極に達しようとする志向そのものである。生命は白を が、具象的な生命は地に足のついた瞬間から色を帯びている。 01 から再びまっさらな色が生まれてくるのである。 G 意味 シベ 部の 盆地 がる 原 具回イ混 恋

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現代文 高校生

現代文の問題で質問です。 問6のDに入るものを選ぶ問題で答えがアだったんですが、臨時的なものというのはどういうことですか?わかる方いらっしゃったら教えていただきたいです!!

部 イ残された時間と書物 書棚の整理と新たな本 気持ちの傾きと処分 オ 書棚と思い出 〔問題三〕 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。 ここでは、いったん習得した知識をいかにしてすて、整理するか、について考える。 家庭でガラクタがふえてくると、すてる。 古新聞古雑誌がたまって場ふさぎになる。 たまってくると、 肩に払ってしまう。これにためらいを感じる人はあるまい。そんなものをとっておいたのでは、人間の住 むところがなくなってしまう。 一般に年寄りはガラクタを大事にする傾向がある。 菓子折の杉箱がみごとだと言って空箱を保存する。 空箱が山のようになる。 若い人はそれをすてようというが、老人はもったいないと言ってユズらない。 新聞雑誌なら古いものはゴミにする人も、書物だと、かんたんにチリ紙交換に出したりしない。 ひょっ とするといるかもしれないという気持が手伝うのであろう。しかし、いよいよ本があふれてくると、パ ニック状態に陥って、何でもかんでもすててしまえ、という衝動にかられる。 よく考えもしないで、手当 り次第に整理する。 さっぱりしたと思っていると、調べものをしていて、あの本に、と目星をつけた本が、売払ってしまっ たあとだったりする。 やっぱり、めったなことでは本を売ってはならない。 などとうそぶい て、 また何でも保存するようになる。 こういう後悔をしなくてはならないのは、日ごろ整理の方法を考えたことがないからである。集めるの であるけれども、すてる、整理するのは、さらにいっそう難しい。 グリ 知識について言っても、習得については、記憶、ノート、カードづくりなどいろいろ考えられているの に、整理についてはほとんど何も言わない。学校なども、知識の学習にはやかましく言うけれども、いっ ぱいになった頭の掃除についてはまったく教えるところがない。 忘却というのが、学習に劣らず、あるい は、それ以上に難しいことを知らずに学校を出てしまうのは、決して幸福なことではない。 ガラクタの整理ですら、あとになって、残しておけばよかったと後悔することがある。まして、知識や 思考についての整理であるから、ひょっとしたら、あとで役に立つのではないかと考え出したら、整理な どできるものではない。 行 くのが忘却である。意識的にすてるのが整理である。 国語 (推薦) 0 からするのは禁物。 A 24 19 知識のあるものはすてなくてはならない。それを自然にハイキして いまかりに、Aの問題について、カードをとったのが一〇〇〇枚になったとしよう。 こんなに多くては 身動きができない。まず、いくつかの項目に分類する。 分類できないものを面倒だからというので、片端 この分類されたものを、じっくり時間をかけて、検討する。急ぐと、ひそんでいる価値を見落すおそれ がある。 ひまにまかせてゆっくりする。 忙しい人は整理に適しない。とんでもないものをすててしまいや すい。 整理とは、その人のもっている関心、興味、価値観(これらはだいたいにおいて同心円を描く)に ものをすて、どうでもいいものを残す愚をくりかえすであろう。 かりに、価値のものさしがあっても、ゴムでできていて、時によって、 よって、ふるいにかける作業にほかならない。 価値のものさしがはっきりしないで整理をすれば、大切な た没価値的 をゆだねられないのはこのためである。 するには、その人間の個性による再吟味が必要である。これは没個性的に知識を吸収するのに比べて はるかに厄介である。 本はたくさん読んで、ものは知っているが、ただ、それだけ、という人間ができるのは、自分の責任に おいて、本当におもしろいものと、一時の興味との区分けをする労を惜しむからである。 えず、在庫の知識を再点検して、すこしずつ慎重に、 をすてて行く。やがて、不易の知識 のみが残るようになれば、そのときの知識は、それ自体が力になりうるはずである。 これをもっともはっきり示すのが、蔵書の処分であろう。 すてるのではないが、本を手放すのがいかに 難しいか。試みた人でないとわからない。ただ集めて量が多いと言うだけで喜んでいてはいけない。 (外山滋比古 「思考の整理学』による) 注① ここでいう「Aの問題」とは、空欄 とは無関係であり、 「とある問題」や「何かの問題」 といった、漠然とした問題を表す意味で用いられている。 かいしょ 傍線部①、②のカタカナの部分を漢字に改めなさい (漢字は楷書ではっきり書くこと)。 問一 問二 イ大は小を兼ねる 卵に目鼻 空欄 A に入るべき言葉として最も適切なものを次の中から一つ選び、記号で答えなさい。 書いた物が物を言う 犬の遠吠え 問三 空欄 B に入るべき言葉として最も適切なものを次の中から一つ選び、記号で答えなさい。 ア頭 イ 手 ウ肉 骨 問四空欄 それでも ウだから それから に入るべき言葉として最も適切なものを次の中から一つ選び、記号で答えなさい。 一方で 問五傍線部③を言い換えたものとして文中で使用されている言葉を、八文字で抜き出して答えなさい。 問六 空欄 に入るべき言葉として最も適切なものを次の中から一つ選び、記号で答えなさい。 無意識に得たもの 臨時的なもの イ関心と異なるもの ウ無価値的なもの 問七次のア~エのうち、本文の内容に合致するものとして最も適切なものを一つ選び、記号で答えなさ い。 ア老人はガラクタを大事にする傾向があるが、価値のものさしができているので、若い人より整理 に適している。 イガラクタの整理が知識や思考の整理より簡単なのは、 没価値的な整理が容易だからである。 ウ 知識が多すぎて身動きがとれなくなったとき、まずやるべきは価値のものさしでふるいにかける ことである。 関心・興味・価値観にもとづいて既有の知識を点検し、手放していくことは、当人の個性にかか わらずに学ぶことより難しい。 H

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高一の国語の文章です。 なぜ最後の方の赤線を引いている感情に急になってしまったのか分かりません。文章の流れ的にもう赤線部のように感じなくなっているのではないですか?

すが ひから www 余は好意の干乾びた社会に存在する自分を甚だぎごちなく感じた。 人が自分に対して相応の義務を尽く してくれるのは無論ありがたい。けれども義務とは仕事に忠実なる意味で、人間を相手に取った言葉でも 何でもない。従って義務の結果に浴する自分は、ありがたいと思いながらも、カンシャの念を起こしにく い。それが好意となると、相手の所作が一挙一動悉く自分を目的にして働いてくるので、活物の自分にそ の一挙一動が悉く応える。其所に互いを繋ぐ暖かい糸があって、器械的な世を頼もしく思わせる。 ことごと いきもの 義務さえ素直には尽くしてくれる人のない世の中に、また自分の義務さえ碌に尽くしもしない世の中 ぜいたく んな贅沢を並べるのは過分である。今の青年は、筆を執っても、口を開いても、身を動かしても、 悉く「自我の主張」を根本義にしている。それほど世の中は切り詰められたのである。 こうは解釈するようなものの、イゼンとして余は常に好意の干乾びた社会に存在する自分をぎごちなく 感じた。自分が人に向かってぎごちなく振る舞いつつあるにもかかわらず、自らをぎごちなく感じた。そ o かか こ うして病に罹った。そうして病の重い間、このぎごちなさを何処へか忘れた。 かゆ さじ すずめ からす 看護婦は粥を鯛味噌と混ぜ合わして、一匙ずつ自分の口に運んでくれた。余は雀の子か鳥の子のような 殆ど五日目位ごとに、余のために食事の献立表を作った。 ほとん えら ある時は三通りも四通りも作って、一番病人に好さそうなものを撰んで、あとはそれぎり反故にした。 医師は職業である。看護婦も職業である。礼も取れば、報酬も受ける。ただで世話をしていない事は勿1 ろん もっ 論である。彼らを以て、単に金銭を得るが故に、その義務に忠実なるのみと解釈すれば、まことに器械的 で、実も蓋もない話である。けれども彼らの義務の中に、半分の好意を溶き込んで、それを病人の眼から 透かして見たら、彼らの所作がどれほど尊くなるか分からない。病人は彼らのもたらす一点の好意によっ て、急に生きて来るからである。余は当時そう解釈して独りで嬉しかった。 子供と違って大人は、なまじい一つの物を十筋二十筋の文から出来たように見窮める力があるから、生。 活の基礎となるべき純潔な感情を恋に吸収する場合が極めて少ない。本当に嬉しかった、本当にありがた かった、本当に尊かったと、生涯に何度思えるか、カンジョウすればいくばくもない。たとい純潔でなくても、 自分に活力を添えた当時のこの感情を、余はそのまま長く余の心臓の真中に保存したいと願っている。 そしてこの感情が遠からず単に一片の記憶と変化してしまいそうなのを切に恐れている。 ―好意の干乾 びた社会に存在する自分を甚だぎごちなく感ずるからである。 い * DSQUY CU 心持ちがした。医師になるに連れて、 ろく uta+ 3-2-1 54 6

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遅れてきた私という単元で、下にある青い四角の設問を教えて欲しいです

漬道文神だ可 業る。 るは わかばやし みき お 若林 幹夫」 遅れてきた「私」 常識的に考えると、「社会」というものは「個人」の後から現れる。社会を構成する メンバーや要素である個人がまずあって、そうした個人の集まりゃつながりとして社会」 が存在するというのが、たぶんごく普通の考え方だろう。社会を構成する要素である 個々人なしに、それ以前に存在する社会などという奇妙なものは、どこにも存在しない からだ。 だが、本当にそうなのだろうか? 私やあなたといった個々人の人生の具体的なあり方から考えてみよう。 アダムとイヴのような神話の中の「最初の人間」はともかくとして、私たちが生まれ てきたときにはすでに、そこには「社会」||他の人間たちが作った関係や集団やルー ルや慣習||が存在していた。私たちは皆、自分に先立って存在する社会の中に生み出 0 され、その社会に組み込まれて、社会の構成員になったのだ。こうした事実関係に即し 圏 の使からり現れるのではない に、 個人は常に社会の中に産み処 まれる。私の存在は、社会の存在に対していつも遅れ 「私の存在」が「社会 の存在に対していつも 遅れ」るとは、どうい うことか。 て、社会の中で与えられるのだ。 以の生まれたばかりの赤ん坊は、さしあたり社会的な個 人ではなく、生物としてのヒトの個体にすぎない。だ が、そのヒトの個体としての赤ん坊は、生まれてすぐ に周囲の人間たち||すでに社会を生きている人間た ちーーによって、息子や娘、子どもとして扱われ、子 や孫といった親族関係上の位置や名前を与えられ、 m 社会の中の個人。として扱われる。自分自身を社会」 の中の誰かとして自覚する以前に、周りにいる人々に 2 よって社会の中の個人。にさせられるのだ。 いる 私自身もかつてそうだったし、私の子どもも現にそ うなのだが、幼年期の子どもは自分自身を言う一人称 出場 として、「ぼく」や「私」という言葉以前に「○○ち ゃん」といった他者から名指される二人称的な言葉を " EET 使う。それは、人が社会の中で見いだすのが、「自分一 日 論 139 遅れてきた「私」 の登録商標で

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問2 で④を選んでしまったのですが、②が答えでした。 ④が×の理由を教えてください🙇‍♀️

し 。 の女 人 演習12 目標時間9分 チェーザレ、パヴェーゼの日記には「何月何日のところに……ということを追加」あるいは「何月何日に書いたこと からは……という結論になる」といった記述がしばしば登場してくる。しかも追加される内容は、当日は記さずにあと になって思い出した出来事ではなく、きわめて抽象的な思念である。ただひたすら自分の日記に読みふけっている作者 の孤独な姿がありありと浮かんでくるようだ。日記(いちいち断るのはわずらわしいので、ただ日記とだけしておくけ れども、journal intime 正しくは個人がその内面を書き記した日記)をつけること自体、あるいはそれを公刊さえする ことを、近代精神の《病》と呼んだポール·ブルジェであれば、病はここで極頂にまで達したと評したかもしれない だが、いかに病気と呼ばれようとも、ある種の人びとにとって、日記はただ毎日つけるだけでは十分ではない。それを 繰り返し読み、かつ意見を追加してゆかなければいけないのだ。再読と記述の追加とは、日記を書くという行為の何か 本質的な部分につながっている。 G G Sというのも、ここでは日記を一つの保存装置、とりわけ《自己》を保存する容器と考えたいのだが、何であれ、また 何のためであれ、保存するということは、その保存したものを将来いつか取り出してくるのを前提としているはずだか らである。今日つくったジャムをいつかは食べるなどとはまったく考えもしないで、瓶に密封するひとがいるだろうか もっとも、時がたつにつれて、保存したことそのものを忘れてしまう場合はあるけれども -われわれの多くの日記の つけ方はこれにあてはまるだろう。しかしパヴェーゼは、けっして忘れることなく、ときどき瓶のふたを開いてはジャ ムを少しずつなめるような具合に、自分の日記を読みかえし、そのうえ新たな味つけまでしているのだ。つまり保 存という作業の基本を忠実に守っているわけである。 だがそれにしても、保存するものがジャムであるのと自己であるのとでは、保存の姿勢がずいぶんと変わってくる。ジャ ムの保存は、密封した瓶をあけて内容物を消費しつくした時点でその目的は達成され完結する。他方で日記の再読にあっ ては、保存の対象はある種のかたちで消費されるとはいえ、しかし減少することはけっしてなく、逆に、記述の追加を 通してたえず自己増殖をつづけてゆくだろう。このちがいは小さくない。保存したものが自己増殖するという点で、日 記を書くということは、むしろ蓄財やあるいは切手、昆虫などの収集に似ているかもしれない。日記に記された内面と 同様に、資本もまた自己増殖をつづけるー 少なくとも最初からそれが消滅することは願われていない||のであり しかもそのことを確認するために、資本家はたえず帳簿に目を通さなくてはならない。切手の収集家もまた、日毎ふえ

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感想が思いつきません。

幕末の日本で暮らした欧米人 | 士が困ったのは、氷が手に入ら ないことだった。生ものの保存 にも患者の解熱にも欠かせない 必需品。はるばる米国から船で ボストン氷」が運び込まれた一 「氷なら国内にもある」と気づいたの一 は中川嘉兵衛という商人。富士山麓の氷 を木箱に詰めて運び出すが、炎天に溶け てしまう。試行錯誤の末、函館の五稜郭 の氷を切り出し、東京へ海上輸送する。 明治の初め、「函館氷」はたちまちボス」 トン氷を駆逐したマこんな古い話を持ち 出したのは、新型コロナの収束に向け、 超低温の運搬技術が注目されているから だ。「マイナスB8度。異常ございま せん」。欧州から空輸されたワクチンが一 病院に届くやいなや、運び手が温度計を 示したマこの先、広く人々が免疫を得る のはいつか。カギの一つはワクチンを守 り運ぶ冷凍インフラだろう。冷凍庫や保 冷箱、ドライアイスは足りるのか。わが一 腕に届く時期は、それら冷凍系の品々に も左右されそうな予感がするマ私たちの 暮らしは冷やす技術なしでは成り立たな」 い。「冷蔵装置が整うまで、刺し身は海一 辺の里だけの食べ物だった。 多くの人々 は生涯あこがれつつ想像するばかりだっ た」。書き残したのは柳田国男である。 昭和の初め、内陸でも海の幸を楽しめる 幸福をつづった▼待ちに待ったワクチン 接種が始まった。即根絶とはいかぬもの一 の、いまはその一たりとも無駄にし たくない。令和の初め、わが国の冷凍 史に新たな一章を刻む好機としたい。 [天声人) 2021-2.18 くタイトルを考える>

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