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論(11)
い」。これは隣人との比較や不平等一般の問題ではなく、絶対的な必要を充足することが
できないということである。づまりその生きている社会の中で「普通に生きる」ことがで
きない。これは羨望とか顕示といった心理的な問題ではなく、この社会のシステムによっ
て強いられる客観性であり、構造の定義する「必要」の新しい地平の絶対性である。
「貧困」のコンセプトは二重の疎外であるということを、「南の貧困」に即してみてきた。5
貨幣からの疎外という目に見える規定の以前に、貨幣への疎外という目に見えない規定が
あると。このコンセプトは、形態を全く異にするようにみえる「北の貧困」にもそのまま
あてはまる。
。情報→6ページー
現代の情報消費社会のシステムは、ますます高度の商品化された物資とサービスに依存
することを、この社会の「正常」な成員の条件として強いることを通して、本来的な必要
の幾重にも間接化された充足の様式の上に、必要の常に新しく更新されてゆく水準を設定」
してしまう。新しい、しかし同様に切実な貧困の形を生成する。
この新しくつり上げられた絶対的な必要の地平は、このようにシステムが自分で生成し
設定してしまうものだけれども、同時にこの現代の情報消費社会のシステムは、この新し
い必要の地平を含めて、必要から離陸した欲望を相関項とすることを存立の原理としてい15
る。本来的な必要であれ新しい必要であれ、すでにみたように現代の情報消費社会は、人
間に何が必要かということに対応するシステムではない。「マーケット(市場)」として存
在する「需要」にしか相関することがない。システムがそれ自体の運動の中で、ますます
複雑に重層化され、ますます増大する貨幣量によってしか充足されることのできない必要
を生成し設定しながら、必要に対応することはシステムにとって原理的に関知するところ 5
ではないという落差の中に、「北の貧困」は構成されている。
ぞれはシステムの排出物である。つまりシステムの内部に生成されながら外部化される
場
問「それ」は何を指す
ものである。
現在の「豊かな国々」において、この貧困の相当部分は、実際には種々の政策的「手当
て」を通して救済されている。アメリカ国勢調査局の、この国でなお一○O○万人が飢え0
ているという報告を紹介したあとに続けて、「イギリス、フランスでも、もし失業保険制
度がなければ、両国合わせて一○○万人を下らぬ人々が飢えに襲われるにちがいない」と
ジョージが記述していることは、この政策の機能を端的に表現している。
ー u co
Susar
George 一九三四年~
アメリカの農業経済学一
者。著書に「なぜ世界」
の半分が飢えるのかー
食糧危機の構造」など」
「福祉」という、現代の「豊かな国々」のシステムが対象とする人々は、「労働する機会」
のない人々」と「労働する能力のない人々」である。後者には、傷病者、児童と高齢者な15
どが含まれる。医療福祉、児童福祉、高齢者福祉などがこれに対応する。「労働する機会
闘米
地平 相関
南の貧困/北の貧困駅