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日本史 高校生

日本史、奈良時代と平安時代初期の政治の範囲です。 写真の系図において、桓武天皇が天智天皇の系統であることはわかったのですが、平城京で政治を行った元明天皇が、天武系の天皇だということがわかりません。天智天皇の子だから、天智系だと考えたのですが、違いますか、、。 教えていただ... 続きを読む

桓武 もとつね 藤原冬嗣良房」--基経・ 1へいぜい 1 平城 おつぐ ふゆつぐ よしふさ -緒嗣 はじのまいも 土師真妹 天智 数字は皇統譜による天皇の即位順 *は10歳以下で即位した天皇 は養子関係 4じょめい ・大友皇子(弘文) -施基皇子 「元明 +じとう 「持統 ももかわ 藤原百川 ぶねいおう やまとたかのの おとつぐ 百済の武寧王の -旅子 和(高野)乙継 まつえい 末裔とされる たかののにいがさ じゅんし めいし 順子 ┗明子 じゅんな 5 淳和 高野新笠 かんむ! こうぶん しきのみこ 4こうにん 光仁 藤原乙牟漏 さわら 444 げんしょう 元正 -早良親王 4にんみょう 5. おさ 他戸親王 くさかべの 2もんむしょうむ いのうえ んしょうとく 3舒明 てんむ ・天武・ -3 5こうぎょく3さいめい 13皇極(斉明) 6 こうとく ちぬおう 孝徳 -茅淳王- 草壁皇子 文武聖武 14文武聖武 たけちの ながや -高市皇子―長屋王 おおつの -大津皇子 井上内親王 (いかみ) おとむろ 6こうけん 4しょうとく 「孝謙 (称徳) とねり じゅんにん たちばなのならまろ きよとも 舎人親王 14淳仁 2さが 5嵯峨 かちこ 橘奈良麻呂━清友━嘉智子 8こうこう 55光孝 たくし 5もんとく 5文徳 156 清和 こうし 藤原高子 うだ 宇多 いんし 藤原沢子 藤原胤子 ときひら -時平 ただひら -忠平 おんし -穏子 ようぜい 5陽成 6 だいご 醍醐

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日本史 高校生

教えてください🥲

(6)りなさんは歴史ドラマを見て, 近世と近代の家や家族について興味を持ち, 近世社会の家制度と明治政府が 導入した戸籍制度について、調べました。 近世と近代の家・戸籍制度についてまとめた文として,最も適切な ものを1つ選びなさい。 ア 近世社会では,氏を一つのまとまりとして,各氏族に将軍が姓を与える氏姓制度が行われてきた。 しか し,明治政府は氏でなく家を基礎にした戸籍制度に変更したため,氏は急速に解体に向かった。 イ近世社会では、夫が妻の下に通う妻問婚が一般的であり,子どもは一般的に妻の家で育てられた。しか し, 明治政府は家父長制を重視し, 戸籍は夫の家を基礎として登録し, 夫の家で子どもを育てることが義 務化された。 ウ 近世社会では,農業も商業も家を単位として営まれているのが基本的な形で, 明治政府の導入した戸籍 制度もこうした家を基礎にして一定範囲の同じ場所に住む人間全員を、家を単位に戸籍簿に登録させた。 しかし, 人の移動が激しくなるにつれ, 戸籍に登録されている場所と実際に住んでいる場所が異なるなど 実態と合わないものになって行く側面もあった。 エ 近世社会では,分割相続が主流で, 嫡子だけでなく庶子にも相続する権利が認められていた。 しかし, 明治政府は,家を基礎にした戸籍制度に変更し, 嫡子だけに相続させる家督相続が一般的になった。 家督 相続は,日本国憲法によって否定されるまで存続した。

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日本史 高校生

5番に何入るかわかる方いませんか?

世界大戦 大正政変 p.266~ たいしょう 1 大正初期の政治運動 さいおんじ きんもち (1) 第2次西園寺公望内閣 (1911~12) a 日露戦争後、 国家財政悪化状況→与党 (政友会)、 積極財政を要求 しだん はち はち * 商工業者は減税、 海軍は八八艦隊建造計画、 陸軍は師団増設を要求 b 明治天皇死去→大正天皇即位 (1912.7):(政内内大臣兼備 じゅうちょう c (2) が 『憲法講話』刊行 ( 3 )説や政党内閣論の提唱で、新時代に 期待する国民の政治的関心が高揚 しんがい ゆうさく d 中国情勢の変化 (辛亥革命) にともない陸軍が ( 4 ) 増設を要求→内閣は 財政上の理由で拒絶 →陸相上原勇作が単独で辞表提出→( 5 )の規定で組 閣できず、 西園寺内閣は総辞職 やまがたありとも Point 山県有朋内閣で導入された 「軍部大臣現役武官制」が内閣組閣に強 い影響をおよぼしている。 かつら ごけん (2) 第3次桂太郎内閣 (1912~13)と第1次護憲運動 げんろう やまがたありとも じじゅうちょう a 元老会議(山県有朋ら) →桂太郎(内大臣兼侍従長) を首相に推薦(非立書 的) b 第1次(6): 立憲政友会の( 7 )、立憲国民党の( 8 )らを中心 とする勢力は「( 9 )打破 ( 10 )」を掲げ、 桂の退 陣を要求 →運動が全国に波及 立憲政友会と立憲国民党→桂内閣不信任案提出→支持の民衆が議会を包囲 →桂内閣は在職53日で退陣 (1913.2) = ( 11 ) *桂は新党結成と元老政治からの脱却を掲げるが、 ( 12 ) の結党は桂の死後

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