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世界史 高校生

この範囲はこの教科書だとどの範囲なのか教えてください

第5問 第一次世界大戦(資料·地図·写真利用) A 標準)《第一次世界大戦とその後の欧米》 の乳ケく 正解は3 ン 問1。 資料1は第一次世界大戦開始に際しての皇帝ヴィルヘルム2世の言葉。 資料3は第一次世界大戦末期に起こったキール軍港の水兵反乱に関する資料で これを機にドイッ革命が起こり,ドイツ共和国が成立した。各楽 アでは第一次世界大戦開始時のドイツ, イでは第一次世界大戦終了時のドイツの 25 状況が求められている。 O誤り。ア.「ナチ党による一党独裁」の成立は第一次世界大戦後の1930年代。 イ.「ボリシェヴィキ」が権力を奪ったのは 1917年のロシア十月革命(十一月革 命)後で,この翌年に第一次世界大戦は終了する。 の誤り。ア.「共産党による一党独裁」は第一次世界大戦後のソ連に成立した体制。 イ.「14 か条」は第一次世界大戦後のパリ講和会議の原則。 のア. 資料1に「ただドイッ人あるのみである」「党派の違い, 地位や宗派の違い なく」とある。また,アの直後に,「人々は開戦を熱狂的に支持した」 とあり, ドイツ国内の「どの政党·団体も」立場や主張を超えて一丸となり, 第一次世界 To 大戦開戦を支持したことが読み取れる。 イ.第一次世界大戦はドイッ革命による皇帝ヴィルヘルム2世の亡命でドイツ帝国 (が倒れ,ドイツ共和国が成立し,共和国政府が連合国と休戦条約を結び終結する。 の誤り。ア.資料1の「各政党の党首が前に進み出て,余と握手して誓約するよう 命じる」から,皇帝は政党の存在を理解していると判断できる。また,ヴィルへ お ルム2世の即位直後には,ドイツ社会民主党が成立(1890 年)、し、議会政治が 行われているから,この点でも皇帝は政党を理解しているといえる。 文書 (イ.ヴァイマル憲法の制定は第一次世界大戦後の 1919年。

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ヘンリ7世って系図をみたらヨーク家の出身なんですけど、ランカスター派だったんですか?

に道を開いた。他方, ケルト系の隣国ウェールズは1536年にイギリスに併合 たランカスター派のヘンリが1485年に即位し(ヘンリ7世), テューダー朝を た。北部のキリスト教徒は, 以後約800年にわたり国土回復運動(レコンキス 0 両派の記がそれぞれ赤バラと白バラであったとする後世の想像から, こう呼ばれる。 の娘ジャンヌ= ダ Jeanne d'Arc 1412~31 百年戦争とバラ戦争に 関する系図(数字は在位年) ルクがあらわれてフ 6 【カペー朝】 987~1328 フィリップ3世 ランス軍を率い, オ 1270~85 〈フランス〉 〈イギリス) 【プランタジネット朝 1154~1399 か ほうい ルレアンの包囲を破 フィリップ4世 1285~1314 【ヴァロワ朝】 1 1328~1589 フィ ってイギリス軍を大 フィリップ6世 1328~50 5 イザベル エドワード2世 1307~27 国内 敗させた。これより エドワード3世 1327~77 シャルル4世 1322~28 シャルル5世 1364~80 s IX 9世 226~70 たん フランスは勢いをも エドワード (黒太子) ジョン (ランカスター公) (ヨーク公) エドマンド 県端の りかえし,ついにカ 【ランカスター朝】 1399~1461 シャルル6世 1380~1422 て王権 レーを除く全国土か ヘンリ4世 1399~1413 【ヨーク朝) 1461~85 シャルル7世 1422~61 らイギリス軍を追い エドワード4世 リチャード3世 1461~83 10 ィリッ ヘンリ5世 1413~22 1483~85 ルイ11世 1461~83 出して,戦争はフラ 【テューダー朝】 1485~1603 エリザベス ウス8 ヘンリ6世 1422~61 ヘンリ7世 1485~1509 シャルル8世 1483~98 ンスの勝利に終わっ ょくしゃ 識者·貴 ぼつらく た。この長期の戦争のためフランスでは諸侯·騎士が没落した。 その一方で おさえ じょう び ぐん ンャルル7世は大商人と結んで財政をたて直し, 常備軍を設置したので, 以 後,中央集権化が急速に進展した。 15 ょフランド この地 Lancaster York 力,戦後のイギリスではランカスターヨーク両家による王位継承の内 1455~85 この地が Tudor Henry VII コワ朝がだ 20 1485~1603 在位1485~1509 ~1589 へいごう → p.218 スペインとボルトガル イベリア半島では8世紀初めにイスラーム教徒 こう 25 が西ゴート王国を滅ぼし. 後ウマイヤ朝をたて Recomguista → D.104 きしょう ヘンリ7世の後 用の魚 こうせい Il 光げのイギリス革命で王権乱 とい

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Ⅰ〜Ⅴの説明文に合う王朝はそれぞれ、これで合っていますか? またその王朝に合う地図の位置もこれで合っていますか? 語彙力なくてすみません💦🙇‍♀️ 教えていただけると助かります🙇‍♀️ よろしくお願いします!🙇‍♀️

大月氏の支配を脱したイラン系民族が建てた王朝である。2世紀中ごろの カニシカ王は、、都を(1)に定めた。①ガンダーラ美術と呼ばれる仏教 美術が栄えた。3世紀になるとササン朝ペルシアの圧迫を受け、この王朝 は衰亡した。 I 1世紀ごろから活発化した ②季節風を利用したインド洋交易で栄えたの がこの王朝である。インドからは地中海世界に香辛料が大量に輸出された。 この王朝の南には、同じく海上交易を基盤として、チョーラ朝やパーンデ ィヤ朝が海上交易を基礎として長く続き、先住民であるドラヴィダ系のタ ミル語の文化が栄えた。 II この王朝は4世紀前半にガンジス川流域を中心におこり、第3代の(2) の時に、最盛期を迎えた。この王朝のもとで、バラモン教と民間信仰が融 合し、万能の主宰者である(3)と、破壊と創造の神シヴァ神を主神とす る、インド独自の宗教である (4) の基礎が確立した。また、この時代に、 古くから伝承されていた『マハーバーラタ』と『(5)』の二大叙事詩が まとめられ、文学では(6)語の文学がさかんになった。詩人カーリダー サが『シャクンタラー』を著したのも、この時代である。 II IV 前4世紀終わりごろ、 東進してきたアレクサンドロスの軍がインダス川を 渡ったのが一つの契機となって、武将のチャンドラグプタが建てたのが、 この王朝である。第3代 ③アショーカ王の時に帝国は最大となった。 V 7世紀前半にハルシャ=ヴァルダナによって統一された。唐の僧、 玄装が インドを訪れ、 仏教教学の中心である(7)僧院で学んだのは、この時代 である。しかし、彼の死とともにこの王朝は滅亡し、以後北インドでは地 方王国が分立した。

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高一です 写真のノートを使っている人 答えを教えてください お願いしまーす

100 4.明代の社会と文化 (1) 明代の社会 2 江南地方の発展 米作の中心移動(江漸→湖広 :長江中流域)一“湖広熟すれは天下足る の 国際商業の活発化→中国国内の商工業の発展うながす →江逝(長江下流域)一綿織物や生糸を生産する家内制手工業が 生糸や陶磁器→日本や新大陸,、 p C が中心 陶磁器の生産一[ d コ一金融業, 徽州(新安)商人一塩産 ④ 社会組織 会館 公所(同郷者·同業者の相互扶助のための場所)の発達 ]による納税=各種の税を銀納に一本化 e 3 国内経済 特権商人の活躍 [2 5) 税制の改革 (3 )などの都市集中→文化人として活躍する者も 佃戸の困窮 大土地所有制の発達→小作農と地主の抗争激化(抗租運動)一郵茂七の乱(148) 6 都市の発展商人や[4 7 (2) 明の文化 0 特色 伝統的文化の集大成(実用的, 実践的で庶民的な文化) 西洋文化も流入 木版印刷による書物出版の急増→書物購買層の拡大へ J』『水滞伝』『西遊記』『金瓶梅』他 戯曲や講談 2 庶民文学 小説一四大奇書『[5 3 儒学 [6 (7 コ一官学とされ多くの注釈書が登場→形式化 J一王守仁(王陽明)が大成→学者や庶民にも広まる 「心即理」「致良知」「[8 おうようめい 」を説き,朱子学を批判 りじ ちん ほんぞうこうもく そうおうせいてんこうかいぶつ 宋応星『天工開物』(産業技術書) 徐光啓·湯若望ら『崇禎暦書』(暦学) 1宣教師による布教と科学技術の紹介 の 科学技術 李時珍『本草綱目』(薬学) じょこうけい のうせいぜんしょ とうじゃくぼう すうていれきしょ 徐光啓『農政全書』(農業技術書) 6 キリスト教宣教師の活動一[° (10 )一日本で布教 りまとう -世界地図の作成=「[12 大編纂事業一『永楽大典』『四書大全』『五経大全』 )(利瑞資)- J」 とう きしょう 6 その他 書·画一董其昌(南画) 5.明の衰退 (1) 日本の状況 織田信長,豊臣秀吉の日本統一(16世紀)←南蛮貿易の利益増 ヨーロッパの火縄銃統, 大砲の使用 豊臣秀吉の朝鮮侵略(1592~93,97~98) 日本では文禄 慶長の役 朝鮮では王辰·丁西優乱 じんしん ていゆうわらん →(13 )率いる水軍の抵抗,明の援軍により日本軍撤退 江戸幕府一徳川家康の対外政策=[14 貿易を促進 東南アジアに日本町を建設 16~17世紀 中国との貿易(銀令生糸)=D利益増大 ヨーロッパ諸国の進出 →ポルトガル(拠点(15 1630年代に日本人の海外渡航禁止などいわゆる[17 )),オランダ(拠点(16 ))との争い (2) 清の建国 政策を実施~幕府統治の基礎固め (18 )(清の太祖)が中国東北地方の[19 )(満州語でアイシン)と定め建国(1616) [2 諸部族を従えて支配 →国号を[20 編制,満州文字制作 太宗ホンタイジ(位1626~43) 内モンゴルのチャハルを支配し国号を清に改称(1636) 明の滅亡「内憂一(22 )の財政再建策に対する反発 政争の激化((23 Jと非東林派の争い) 宮官の横暴 一財政難 L外患一豊臣秀吉の朝鮮侵略 女真の強大化→制圧に巨額の軍事費」 重税や飢僅のため反乱頻発→(24 )の乱(農民反乱)→北京占領 滅亡(1644)

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