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世界史 高校生

輸出高とは輸出の量ではないんですか?どうして生糸になるのかがよく分からないです。教えていただきたいです🙇‍♀️🙇‍

表 日本における重要物資の国別輸出入高 (単位: 100 万円) 1941年国別輸出入高 合計 アメリカ 中国 満洲 その他 1944年国別輸出入高 合計 関東州 中国 満洲 その他 輸油 入 属類炭 鉱油石 鉄 鉱・金属 531 110 61 86 類 361 265 2 2 10 143 114 15 マ蘭仏 マレイ 27 ※1 364 175 136 マレイ 24 印 582 107 (蘭 印 11 63 10 [海峡植民地11 ※3 印13 127 102 24 158 56 77 インド8 118 94 実綿 綿 392 33 「インド 94 115 237 231 イン ド 6 ブラジル 59 輪生 糸 216 191 11 7 3 綿織物 284 8 40 10 蘭 印 63 49 インド36 出絹織物 42 4 2 13 関東州18 35 32 1 32 5 6 19 仏蘭仏 印 4 「フィリピン5 印 3 印 2 (※1) マレイ: 現在のマレーシア。 (※2) 蘭印: オランダ領東インド。 現在のインドネシア付近をさす。 (※3)海峡植民地: マレー半島におかれたイギリスの植民地の総称。 現在のシンガポールなどをさす。 ( 『横浜市史資料編2 日本貿易統計』により作成) メモ ・原料を国内で調達していた D の輸出高の減少率が最も大きい。 今までの輸入元から輸入されなくなった物資を,中国や満洲からの輸入で補おう 車でした。 そのうえで, E ことを目的として, 日本は東南アジアへと進出した。 D に入る語句 a 綿織物 b 生糸 E に入る文 C 不足した資源を南方から獲得し, 日本の国力を維持して戦争を継続させる 過剰になった資源を活用し, 東南アジア諸国を欧米の植民地から解放する 1 D-a E-c 2 D-a E-d 3 D- b E-c 4 D-b E-d - 84-

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世界史 高校生

歴史 答え教えてください🙇‍♀️

ごかい? とうかいどう ・五街道/東海道 なかせんどう ②中山道 おうしゅう 4甲州道中 5 奥州道中 にしまわ ・西廻り航路 ひがき 菱垣廻船・樽廻船の航路 江 はこだて にっこうどうちゅう 200km 箱館 ③日光道中 ・東廻り航路 チャレンジ まつまえ りゅうきゅう えそち 松前 江戸時代に、琉球で蝦夷地 はちのへ その他の航路 青森 八戸 こんぶ の昆布を消費した記録がある。 秋田 0 みやこ 日本海 宮古 気仙沼 佐渡 いのま せんだい 石巻 仙台 小 新潟 しらかわ 輪島 隠岐 日光の 白河 5 富山 30 くに うつのみや 宇都宮 -朝鮮通信使の 通った航路 京都 名古屋 単府 江戸 ふくやま つしま 対馬 はぎ 広島 福山 大坂 下関 さかい ひらど はかた 博多 堺 山田 「和歌山 やまだ ともだ 下田 けせんぬま ちょうし 銚子 地図を見て、 流通経路につい て説明した下記の文章の空欄 に適語を記入しよう。 蝦夷地で採取された昆布は酒田 を経由し、(A廻り航路) で大坂へ運ばれた。 また, 琉球へ は(B薩摩)から運ばれた。 さかた 太 平 手 ** この航路は近年「昆布ロード」と もよばれている。 ちょうせん 朝鮮 しん 清・オランダ 鹿児島 8 からの航路 りゅうきゅう 琉球からの. 使節の航路 またねがしま 3種子島 K- ◆江戸時代の交通 学習課題をもとに「確認」「説明」に答えてみよう。 確認 きょてん 江戸時代の日本において, 水上・陸上交通の拠点となった都市を本文や教科書p.23 図2から三つ書き出そう。 説明 江戸・京都・大坂 「 日本がその後急速な近代化を遂げるにあたり,一番重要だったと思う要因とそのように考えた理由を説明 しよう。

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世界史 高校生

ⅠとⅡはそれぞれ何の条約・外交文書の1部ですか?また、Bに入る国と、X,Yに当てはまる地名を教えてください🙇‍♀️

(D II 第1条 親和關係ノ破綻八大沽砲臺守備兵カ千八百五十八年六月 (X) ニ於テ締結ノ平和條約批准書交 SUN FT C081 TAK KERE 換ノ目的ヲ以テ北京途上ニ在リタル (B) 國女皇陛下ノ代表者ヲ阻礎セルニ基キテ起リタルニ SOKSEN SI DEBI 鑑國皇帝陛下ハ斯クシテ起リタル紛議ニ付深甚ナル悔恨ヲ表示 第6条 清國皇帝陛下ハ (Y) ノ港湾内及其ノ附近ニ於ケル法律及秩序ヲ維持スル爲大不列顛愛蘭國女 皇陛下及其ノ繼承者二對シ廣東省内九龍地方ノ市街地ニシテ (B) 國政府ノ爲兩廣總督崇ョ です の リ在廣東 (B) 佛同盟國委員 「ハリー、 スミス、 ハークス」 ニ其ノ永代借用權ヲ付興セル部分ヲ AJA (B) 國女皇陛下ノ(Y) 殖民地ノ附属地トシテ保有セシムル爲割譲スルコトヲ約ス () CONSTANTING III 第2条 清國皇帝陛下八 (B) 國臣民カ其ノ家族従者ヲ携ヘテ廣東、厦門、 福州、 甯波及上海ノ市町二 於テ商業ニ従事スル爲迫害又八拘束ヲ蒙ルコトナク居住スルヲ得シムヘキコトヲ約ス 第3条 (B) 國臣民力必要ノ場合其ノ船舶ノ損傷ヲ修理シ且之二要スル材料ヲ保藏スヘキ港ヲ有スル 八極テ必要ニシテ且望マシキコトニ鑑ミ清國皇帝陛下八 (B) 國女皇陛下= (Y) ヲ譲シ(B) LENO 國女皇陛下及其ノ後繼者ハ永久ニ之ヲ占有スヘク (B) 國女皇陛下の適當ト認ムル法律規制ヲ SIM 以テ之ヲ統治スヘシ

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世界史 高校生

社会苦手なので教えて欲しいです よろしくお願いします

■列伝に見える 『史記』 の特徴③ 貨殖 (かしょく) 列伝 「貨殖(かしょく)」 の 「貨」は財貨のこと、 「殖」 は増えるという意味です。 そこで「貨殖」 は財産を作って金持ちになった人々の伝記ということになります。 前近代社会では、 お金を稼ぐことは賎(いや) しいこととされました。 そのため 「士・農・ 工商」 と言われるように、 商人は一番下の身分です (この言葉も本来は中国の言葉)。 キリスト教世界においても同様に金儲けは残しいこととされました。 司馬遷はそのような蔑視された人々も評価して、 彼らの伝記を書いたわけです。 事例 2 を読んで下さい。 事例2: 『史記』貨殖列伝 曹の氏 りんしょく そ はな おきて 魯の国の人の習わしは倹約と (物惜しみ) であった。 曹の那氏は、ことに甚だしかった。 製鉄で富を作り、巨万の富みに達した。 けれども家人は父や兄から子や孫まで、 みな家の掟を守り、 「下を見たら物を拾え、上を見たら何か取れ」 というのであった。 その貸し金と取り引き先はいろんな 地域にゆきわたっていた。 そういうわけで鄒や魯の地方では、学問をやめて営利に走るものが多くな ったのは、曹の那氏の影響である。 ここで一つ目のポイントをまとめておきます。 ① 『史記』 の本紀には、 皇帝になっていない人物の伝記が記載されている。 ② 『史記』 の列伝には、 官僚以外の様々な身分の人々の伝記が記載されている。 次ぎに司馬遷の価値観・思考について、 彼に対する批判を参照しながら確認していきます。 3. 司馬遷の価値観 ■班固 (はんこ)の司馬遷批判 司馬遷の 『史記』 の特徴で見たように、 『史記』 には皇帝になっていない自分の伝記があ ったり、官僚以外の人々の伝記が記されていました。 とくに 『史記』 が社会の底辺の人々 や蔑視された金持ちの人々の伝記を書いたことについては、後世の歴史家によって批判 されています。 ここでは後漢(ごか) の歴史家、 班固 (はんこ) の批判を見ておきましょう。 班固 (はんこ) は前漢 (ぜんかん) 王朝の歴史を記した『漢書(かんじょ)』の著者です。 そ のため、 班固は前漢の人である司馬遷の伝記も書いています。 その一部が下の事例3で す。 8 事例3: 斑固の司馬遷評価 班固『漢書』 司馬遷伝 すこぶ 『史記』の歴史批判は頗る聖人のそれに反している。 道を論じては老子の思想を優先させて、 ①儒 ゆうきょう 家の経典を後回しにしている。 ② 遊侠の列伝を書いては民間の学徳ある人を退け、 姦雄 (悪知恵のず ひんせん ちじょく ば抜けている者)を称えている。 ③ 貨殖の列伝を記しては利を尊重し、 貧賤を恥辱としている。 これ が 『史記』 の弊害である。 ろうし *老子: 道家思想を創始したと言われる人。 自然をたっとび人為的な道徳・ 学問などを否定した。 事例3では、 班固は司馬遷が ①儒学を軽んじていること ② 遊侠列伝を書いたこと ③貨殖列伝を書いたこと を批判しています。 このうち貨殖列伝は、さきほども紹介したとおり金持ちになった人々の伝記でした。 お 金を儲けることは、洋の東西を問わず前近代社会において軽蔑の対象となる行為であっ たわけです。 その点で班固の批判は、 前近代社会では当然とも言えます。 ■司馬遷の意見1 一方、司馬遷は自ら遊侠列伝や貨殖列伝を書いた理由を述べています。 下の事例4 を読 んで下さい。 事例4: 『史記』 太史公自序 ゆうきょう ① 遊侠 列伝について 苦難にある人を救い、金品に困っている人を援助するということでは、仁著(仁愛の人)も学ぶ 点があり、信頼を裏切らず、 約束に背かないということでは、 義人 (正義の人) も見習う点があろう。 「ゆうきょう そこで遊侠列伝を作る。 ② 貨殖列伝について 官位を持たない全くの平民でも、政治の害にならず、 人々の活動を妨げることもなくて、 うまい時 機を見はからい物の売買をし、 それでもって富を増やす。 知恵のある人は、 そこから得るところがあ るだろう。 そこで貨殖列伝を作る。 *太史公自序: 司馬遷が 『史記』 の列伝の中で書いた自分自身の伝記。 事例4で司馬遷は、 遊侠の人や金持ちの人商人からも、それぞれ学ぶべき点があると 述べています。 つまり司馬遷は彼らに対する偏見を持たず、 独自の視点から遊侠の人や 金持ち 商人の事跡についても記録する価値があると考えたわけです。 9

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