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現代文 高校生

高校3年 現代文 「間」の感覚 です。 分かる範囲でいいので教えていただけると嬉しいです。

A&A ウ自然の中に自生する花を、そのまま室内に再現している。 エ 自然を征服し、再生させて生活する人々を象徴的に示す。 西欧 日本 |6|「これだけ際立った対照を見せるということは、自然感情の 違いを明白に示す」 (26・22)について、 1 何がどのように「際立った対照」になっているのか。 〔①〕は、西欧の静物画では〔 ②〕であるのに対 して、日本の琳派の「草花図」は、〔③〕である。 [ 花瓶に生けられたもの [ 自然の中の花 ②4 「自然感情の違い」とはどのようなことか、説明しよう。 西欧では、〔 で鑑賞されるのに対して、日本では、 あくまで[② 〕で鑑賞される。このことから明らかにな る、〔③ 〕とする西欧人の感情と、〔④〕とする日本 人の感情の違い。 lo (2) 2 [ [ [ 生まれる美しさを楽しもう ] | [ [ 自然の姿を生かそう |7| 「この傾向」(23・2)とは何か。 新しいジャンルとして、[ |8|「自然」(3・13)を別の言葉で言いかえてみよう。 境界 |9|「中間領域」(15)の例とされるものはどれか。次から三 つ選ぼう。 畳の座敷 板の間 屋根 軒下 便所 廊下 濡れ縁 渡り廊下 [ 板の間 1 「このこと」(382)とは何をさすか。 ] [ [ 1 を数多く描こうとする傾向。 [都市風景 ] 14 [ [ ]

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現代文 高校生

答えがエで私はウを選んだのですが、ウではなくなぜエが正解なのか教えて下さい! 確かに1文目に似た様なことは書いてありますが、「作り上げた」の主語には「日本人」も必要な気がするのですが…

あ こんどう 日本人は木とともに文化を作りあげてきた。日本列島の山々は木々に覆われ、緑にあふれた風景が広 がっているが、これらの森林のめぐみを享受することで、木の文化ははぐくまれてきたといっても過言で はない。世界最古の木造建築である法隆寺金堂をはじめ、前近代の建物のほとんどが木で造られてきたこ とはその証しのひとつといえる。また、木とともに歩んだ長い歴史のなかで、 身近な生活道具から美術工 芸品に至るまで、木を扱う深い知識と高い技術を蓄積してきており、世界に誇るべき日本の文化である。 いっぽうで現代の日本、とくに都市部では鉄やコンクリートのビルやマンションが林立し、人びとは屋 外を見るにもガラスの窓越し、室内を見わたしてもプラスチック製品に囲まれ、化学センイの衣服を身に まとっている。日常生活と森や木との距離が離れているため、森林のめぐみを実感しにくいかもしれな い。とはいえ、春にはサクラ、秋にはモミジと、木々の告げる季節の移ろいは私たちの感性に息づいてい る。言葉をみても、ちぐはぐな状態を「 A 」と表現したり、ハレの舞台を「檜舞台」 といったり する。このように木々は今なお生活のなかに溶け込んでおり、単なる物質的な存在意義を超越して、日本 の文化に深く根付いているのである。 日本では木々に限らず、そこに生きる動植物、落葉、 山菜に至るまで、森林のめぐみを享受してきた。 保水・防風・気象緩和機能など、森林は人間に適した環境を構築する一翼を担っており、目 にみえない恩恵は計り知れない。陰に日向に、森や木は生活に密着した存在であり続けているのである。 洋の東西を問わず、 人類が森林のめぐみを享受してきたことは間違いない。 「木の文化」 の東洋に対して、「石の文化」の西洋と対比的に語られることも少なくないが、実は西洋においても木材 は各所で用いられている(ヨアヒム・ラートカウ『木材と文明』)。奇しくも二〇一九年四月の火災によっ て、パリのノートルダム大聖堂の屋根が木造であったことが広く知られるようになったが、 軽くて丈夫 で、さらに加工しやすい木材は建材として重宝されたのである。これは特殊な事例ではなく、北欧、東 欧、スペイン・フランス境のバスク地方など、ヨーロッパ各地に伝統的な木造軸組構法の建築物が現代に も数多く受け継がれている。 なかにはバスク地方の一部の木造教会のように、木を用いながらも石造のよ うにみせた建築も点在している。 そこでは石の目まで精巧に描いて柱を大理石にみせたり、石の継ぎ目を 表現して石造の尖塔アーチのようにみせたりしており、その技法や熱意は驚愕に値する。 木目の美しさや 温もりなどを活かす日本では思いもよらない独特の嗜好性を示しており、興味深い。 また建築に限らず、 酒樽や家具などの生活用具をはじめ、大航海時代に大海原を駆けた帆船も木造で P

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英語 高校生

写真の文についてわからないことが2つあります。 ①avarage outは「〜を平均化する」という意味でしょうか?(調べても複数の意味があったのでわからないです) ②こちらがメインなのですが、、A of Bを素直に訳すと「BのA」という訳になりますが、黄線部は日本語訳を見る... 続きを読む

Enozzol 4 Certain ancient Greek philosophers, (including Pythagoras), believed that S 0'2 01- beauty was based on symmetry and regularity), and they were convinced that mathematics was at the core of true beauty). This concept (therefore) く、 0 convince 人 that S'V' の受動態 <this + 名詞 → まとめ表現 was discovered (when they noticed that objects [which matched the golden more attractive (than objects [that were more random S V- (s) V ratio] appeared to be (c)] in shape]))). ³Symmetry and regularity (also) seem to play a part (in physical beauty). 4 (At the end of the 19th century), British anthropologist Francis Galton 固有名詞具体例 discovered that "averaging" out human faces (by mixing them) (to form one image) achieved a level of regularity [that was more attractive than each of the individual components]). OCUPLE 訳 ピタゴラスなど一部の古代ギリシャの哲学者たちは,美は対称性と規則性に基づ くと考え, したがって, 数学が真の美の中核を成すと確信していた。この考え方が発見さ れたのは、黄金比に一致する物は、形が不規則な物よりも魅力的に見えることに彼らが気 づいたときのことだった。 対称性と規則性はまた、身体的な美においても一役を担ってい るようである。19世紀末、イギリスの人類学者フランシス・ゴルトンは、人間の顔をミ ックスして 「平均化」し、1つの像を形成すると、個々の構成要素よりも魅力的なレベル の規則性が達成されることを発見した。 句 1 /b

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現代文 高校生

5️⃣の言ってることが理解出来ません💦 どうしてオノズカラシカリとは作為が無いことになるのでしょうか?むしろあると思うのですが、、

2ndステップ 論理 たかし t うちやま 日本人にとっての自然とは 5 理然 日本人はなぜキツネに 内山 館 テ 筆者が改めて考察している事柄をつかも だまされなくなったのか 攻略のプロセス1・2を通して、《日本人の自然》を《再考察の対象となる事柄をおさえ》たうえで読み取ろう。 日本の人々にとって自然とは、客観的な、あるいは人間の外にある自然体系のことではなかった。それ は自分自身が選っていく場所でもあり、自然に帰りたいという祈りをとおしてつかみとられていくもので もあった。とすると、その自然とはどのようなものであったのか。 すでによく知られているように、かつての日本では自然はジネンと発音されていた。 シゼンという発音 が一般的になったのは、明治時代の後半に入ってからである。英語のネイチャー、 フランス語のナチュー 5 ルを日本語にするためにシゼンが使われるようになった。その意味でシゼンは外来語の訳語である。 ジネンはオノズカラ、あるいはオノズカラシカリという意味の言葉である。今日でも私たちは「自然にそ うなった」とか「自然のなりゆき」という表現を使うが、これがジネンと読んでいた時代の意味の名残だと思 えばよい。 このように見ていくと、自然に帰りたいという人々の伝統的な思いは、シゼンに帰るということより、10 ジネンに帰る、つまりオノズカラの世界に帰りたいという思いだったことがわかってくる。 オノズカラの ままに生きたい、ということである。 自然(ジネン)訓で読んだときのオノズカラシカリ(ナリ)とは作為がない、ということであろう。有意 ではない、と言ってもよい。 自我のはたらきから生ずる意図がない、あるいは「我(われ)」がない、と表現 することもできる。 (注1) そしてこの気持ちにも仏教が言葉を与えた。人間は自我があるから「我(われ)」にこだわる。 我執のある (注2) ④_ のが人間である。だから「我(われ)」の欲望をもち、「我」を主張して争い、悲しむべき凡夫に堕ちていく。 煩悩は、「我」をもつことそのもののなかにある。だから煩悩を捨てるとは「我」を捨てることだ。そして「我」 を捨てたあり方とは、すべてがオノズカラのままに生きることだ。 オノズカラのままに生きることによっ (注4) (注3) ゆる て、人々を救う。すべての人を。ここで発想は大乗仏教と結ばれる。 もっとも、このように見ていくと、 ジネンという言葉をシゼンと読んだうえで、ネイチャーやナチュー ルの訳語にしたのはかなりダトウだったということがわかる。なぜなら最もジネンなものは自然(シゼン) だからである。自然(シゼン)はすべてがオノズカラのなかに存在している。 シゼンとジネンは同じではな 8. テーマ wwwww... 5

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