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現代文 高校生

〰(1)のピンクで書き込んでるとこの漢字なのですが、新規だと思ったし、答え見てから読んでも新規と新奇で区別しようがないと思うのですが…( ⍨ )

肘に成立 (2023AG-F-10) ない。 釈されて るもので ~⑥のう 一国11- 第二問 次の文章を読み、設問 問1~問12)に答えよ。 ( 理系の学問については、高度な計算や化学実験やプログラミングができるようになって新しいものを設計することが可能に なったり、機械や人体の構造やメカニズムについて正確に理解することで問題が起こった場合の対処ができるようになったりす るなど、その学問を修めることでどのような能力が得られて、そこからどのような価値を生み出せるようになるかは、具体的で わかりやすい。 それに比べると、人文学を修めた人が得られる能力とそれによって生み出される価値とは、曖昧にしか論じられないものである。 また、理系の学問によって得られる能力が「 A 」的なものであることが多い一方で、文系の学問によって得られる能力 は「批判的思考」であったり「想像力」であったりと、存在を証明することが難しいものである点も厄介だ。 ある人がどのよう な技術を身につけているかについては、その技術に対応する課題に取り組んでそれを解決することで客観的に証明することがで きるが、想像力や批判的思考についてはそういうわけにはいかない。 さらには、高度な技術はどこかでそれを学ばなければ習得することが不可能である一方で、批判的思考や想像力は、それ自体 は大半の人にもとから備わっているものである。 人文学を学ぶことはこれらの能力を深めさせてはくれるが、人文学を学ばなく ても優れた批判的思考や想像力を発揮できる人はいるだろうし、その逆の場合もあるだろう。 人文学は、せいぜいが「涵養」と いう程度のはたらきしかできないかもしれない。 それでは、人文学は社会に対してどのような貢献をしており、 どのように役に立っているのか? 幾人かの論者が指摘しているのは、「民主主義が健全に機能するためには、一定数以上の市民が人文学に触れて、批判的思考 や想像力を適切に培わなければならない」ということである。 (注)みたになおすみ たとえば、日本の哲学者である三谷尚澄は、著書「哲学しててもいいですか? 文系学部不要論へのささやかな反論」のなか (3) で、哲学を学ぶことの意義は批判的思考とともに「箱の外に出て思考する力」を養うことである、と論じている。 かんよう (2023AG-F-12) 一国 13- 1

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現代文 高校生

問2、問3の回答の導き方を教えてください🙏🏻 ちなみに、ピンクが正解です。 文章も文章下にー国3ーって書いてあるあたりから、理解しにくいです。そこも噛み砕いて説明来て欲しいです。 段落変わって、「人間として〜わけ合いにするることであります。」とその文以降が特に理解できてないです。

二口 来る (解答番号は、 ~286です。) 第一問 次の文章を読み、設問 (問1~問10) に答えよ。 して引き受けます。 九鬼は、「偶然性の問題」の冒頭で、「偶然性とは必然性の否定である」と言っています。 しかし、本書の後半で、少し角度を 変えて偶然と必然じます。 偶然性に当価する感情はいかなる感情か。 「奇遇」「奇縁」などの語の存在が示すごとく、偶然性の感情当は驚異の情緒 である必然性が平穏という沈静的感情を有つのは、問題が分析的をもって「既に」解決されているからである。 それ に反して偶然性が驚異という興奮的感情をそそるのは問題が未解決のままに「眼前に」投出されるからである。驚異の情緒 は偶然性の時間性格たる現在性に基づいている。 要するに、必然はその過去的決定的確証性のために、池および沈静の静 的な弱い感情より有たないが、可能および偶然は問題性のために、緊張および興奮の動的な強い感情を齎すのである。 私たちは、偶然の出来事に直面したとき、「あっ!」と驚きます。 この「あっ!」の瞬間は、「現在」ですよね。 九鬼が「驚異 の情緒は偶然性の時間性格たる現在性に基づいている」と言っているのは、このことです。 この「あっ!」の瞬間は、「問題が未解決のままに「眼前に」投出され」ています。そうですよね。 何が起こったのかとっさ に判断できず、今起きている現実が、どのようなことにつながるのか、これからどうなっていくのか、「あっ!」の瞬間にはわ かりません。 ることであります。 こそが しかし、時間が経つと、そこに意味づけがなされていきます。思いがけず若松さんが隣の席にいたとき、私はただ驚いただけ でしたが、次第に「これは神様の思し召しだ」と思い始め、そこから「そういえばデリーで会っていたことだって、偶然とは思 えない」と考え始めました。私は若松さんとの出会いを必然的な運命だと思うようになっていったのです。 偶然と必然は、全く対立するガイネンではありません。時制が違うのです。偶然は「現在性」という時制に基づき、「驚異と いう興奮的感情」をもたらします。しかし、私たちは時間が経つにつれて、偶然の驚異を飼いならし始めます。次第に「あれは 運命の出会いだ」と感じるようになり、偶然を必然に読み替えていきます。 つまり、今起きている という物語化によって、「C へと生まれ変わります。 A 運命は偶然にタンを発しています。 しかし、それを必然として引き受けたとき、私たちは「私をめぐる偶然」を所与のものと 私が日本語を母語としていること。 大阪で生まれ、大阪人の気質を受け継いでいること。 顔や姿が親に似ていること。 すべては、私が意志を持って選択したものではありません。 偶然という驚異によって成立しています。 あらゆる存在は、与え られたもの、贈与的なものです。そして、この贈与性を「私」として受け止めたとき、「偶然」は「運命」へと姿を変えます 私は私という摩訶不思議な運命を生きていこうとします。 九鬼は偶然と運命」という論考の中で、次のように言っています。 人間としてその時になし得ることは、意志が引き返してそれを意して、自分がそれを自由に選んだのと同じわけ合いにす 私は私をめぐる偶然、意志を持って引き受けることで、私を生きることができます。私を生きることは、私という偶 然的な被贈与を受け入れ、運命を能動化する作業です。 の形だったり、重的だったりしました。 入ってからです。それ以前には、現在の国境で区切られた空間が均質的に支配されていたわけではなく、アイデンティティも別 近代より以前、アイヌの人たちは日本人であるというアイデンティティは持っていませんでした。 琉球王 ちも同様です。なのに、北海道や沖縄は、国立博物館ではナショナル・ヒー 琉球王国に住んでいた人た 代に日本人なんていう意識が は、未来からやって 初めから身 ちょう AG-P-5)

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英語 高校生

傍線Bの意味がわからないです、似ているものを嫌っていること以上に、その中に、自分自身を見出せることが嫌といことですか?

【②-5】[標準解答時間 15分] 次の文章を読んで、後の問に答えよ。 漱石がロンドンの安下宿で「神経衰弱」になるまでに苦しんだのは、心細いほど金が なかったせいだけではない。自分がこれから、研究しようとしている「英文学」の存在 がきわめて頼りないものだったのだ。それは二一年間の留学期間で研究しなければならな い漱石自身のアイデンティティーをも脅かさずにはいない。自分がいっ さい何をして いるのかわからないというのは恐ろしいことだ。 やむなく漱石は、有名な作品、題名だけは知っているが、まだ読んでいない本を、こ の機会にとにかく手当たり次第、一冊でも余計に読破するという「検束なき読書法」で 読み進めていくことにした。だが、やがて一年後、読了した本は読んでない本と比較して、 ごくわずかな量にすぎなかった。漱石はこの事実に打ちのめされ、いわゆる「神経衰弱」 になるのである。 漱石のこの苦しみについて、英文学者であり作家でもある吉田健一が、たいへん「辛 辣なことを言っている。吉田健一によれば、まだ読んでいない本の数に悩まされるとい うのは、要するに一つの作品を読んで得られるものが少なく、つまり作品理解の程度が 10 27 5 別冊 実践編

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現代文 高校生

問2が答えと解説を読んでも なんでそうなるのかも解説が言ってる意味も よく分かりません 問2の答えは「中央の出先機関の立場」だそうです

3 基礎編 1 →解答解説は本冊ムページ 評論①『まちづくりの実践』田村明 課題対比の箇所に注目し、その箇所に傍線を引いて読んでみよう。 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。 にぎ 戦国時代の権力者は、軍事要塞として城を築き、その近くに商人や職人たちを集めて町をつ くった。織田信長の楽市楽座はその典型で、都市を充実した賑わいの場にすることに成功した。 権力者が町をつくり住民を住まわせる城下町が日本の都市の主流になる。明治になってからも、 都市は「お上」がつくり、また「企業」がその城下町をつくってきた。 2 西欧では中世から、商工業者を中心にした市民が、権力者である領主から自立して、自治都 市あるいは自由都市という立場を勝ち取って町をつくることが多かったが、日本にはその例は ほとんどない。だから受動的な「住民」はいても、主体的に都市をつくろうという「市民」は 不在である。つい最近まで、都市や町をつくるのは行政権力や企業権力であり、住民はそこで 暮らすだけで、 自ら「まち」をつくるという意識は希薄なままであった。 一九一九年に制定された都市計画法では、計画は「内閣に諮って主務大臣が決定する」と規 定され、都市は国家という「お上」がつくることになっている。自治体は国家の決めたこと を実施する代官にすぎない。この状態が、戦前ばかりか戦後のごく最近まで続く。自治体は住 民代表の立場ではないから、住民から要望や提案が出ても取り上げられない。だから、できる だけ住民の意見を聞かないで、せいぜい説明だけですませたいという気持ちが強かった。 4 これではおかしい。日本は第二次大戦の敗戦によって民主主義国家に生まれ変わったはずだ。55 「地方分権」を言うまでもなく、自治体の自立性は現行憲法でうたわれている。それなのに固有 の風土と歴史のある地域が、全国画一的に各省庁バラバラな施策で振り回されていては、「よ 「い」「まち」はできない。住民から直接公選された首長たちには、法令はなくても自らの判断で 地域と市民のための施策を行う動きが出てきた。 ⑤ 一九六〇年代初頭から、先進自治体では、独自の方法で乱開発による崖崩れの防止、学校用 20 地の確保、排水の整備、あるいは工場の公害にたいする予防措置などを行い始める。また、民 主主義の実践の場としての市民参加のさまざまな試みを始めた。地域の個性や文化を求める地 域ごとの工夫も始まる。都市という複雑で総合的で個性的な計画をするには、国家という画一 的な「お上」では無理である。ようやく、自治体は国の出先機関ではなく、市民の側に立っ て、独自の立場で個性的な地域づくりを自覚するようになった。 9 一般的な自治体は、事態の変動に鈍感で、相変わらず中央の出先機関の立場に甘んじている ものが多かった。直接に生活を脅かされる住民の方が敏感に反応し、さまざまな反対運動がお きる。そのうちいくつかは、自発的な「まちづくり」運動へと発展していった。 7 一九六〇年代になると市民参加をはっきり打ち出す自治体も現れた。 議会や中央官庁から . 25 5 「企業」がその城下町を くって大企業とその 請けの中小企業が、 自 の主要な産業の中心と てかたまって存在する 比喩的に表現した 画一的個性や特徴 ないこと。 類語に「一様 「均一」がある。 一九六〇年代―一九五 年から一九七三年にかけて 「高度経済成長期」に会 まれる。

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英語 高校生

(221)についての質問です。 どうしてwhichの直後にsurprisedが来ているのでしょうか。 made everyone surprisedかis surprising by everyoneとかになるかと思いました。 どなたか文の構造を教えていただきたいです🙇‍♀️

としたが、それは不可能だった。 わたが,それにはみんなが驚いた [←そのことはみ 旅行できる日を楽しみにしています。 ットの練習ができる部屋がほしい。 みたい理由を教えてください。 肌に合って b)句や節の内容を受ける which I tried to catch up with Takumi, which was impossible. [旬] 220 Yuka quit the club suddenly, which surprised everyone. [節] 221 220 私はタクミに追いつこうとしたが, それは不可能だった。 221 ユカは突然クラブをやめたが,それにはみんなが驚いた [←そのことはみんなを驚かせた] 。 非制限用法の which は,名詞だけでなく句や節の内容を先行詞にすることがあ る。220 では, to catch up with Takumi (タクミに追いつくこと)という句を 221 では Yuka quit the club suddenly (ユカが突然クラブをやめた)という節 (前の文全体) が先行詞になり, which 以下がそれを補足説明している。 Shelly says she is sick, which is not true. [節] (前の文の一部) (シェリーは気分が悪いと言っているが, それは本当ではない。) - なお,この用法は, 話し言葉でもよく使われる。 Tips for Expression! 17 非制限用法を使う場合 関係代名詞の制限用法は, 先行詞を絞りこむ (=制限する) 働きをする。 次の文で 複数いる医者の中から「父の命を救ってくれた医者」に絞り込んで特定している。 I admire the doctor who saved my father's life. (私は父の命を救ってくれた医者を尊敬しています。) これに対し, Dr. Yamanaka Shinya のような固有名詞は絞り込むことができ いので、 非制限用法しか使えない。 ■I admire Dr. Yamanaka Shinya, who won the Nobel Prize in Physiology or Medicine in 2012. (私は山中伸弥博士を尊敬してい ます。 彼は2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。) 文で who を制限用法にすると、 「山中伸弥博士」が複数人いること しまう。 一,次の文では,先行詞 this movie は1つに限定されるので

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