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古文 高校生

古文の「枕草子」雪のいと高う降りたるを、の問題です。 回答お願いします。

内容の理解 【思考力・判断力・表現力】 問 (六〇・1)について、「例ならず」とあるが、いつもだったらどうだったのか。 例ならず御格子参りて、」 展開の把握参照 適当なものを次から選びなさい。 ア 格子のもとに集まる 格子を上げる ウ 格子から離れて座る 問二「少納言、香炉峰の雪、いかならむ。」(六〇・2)について、中宮は清少納言にどのようなことを伝えた かったのか。会話形式で答えよ。 はせ給ふ。」(六〇・3) とあるが、中宮が笑ったのはなぜか。 それを説明した文を完成させよ。 展開の把握参照 清少納言の行動が (1 だったので(2 学習書 p800 参照 したから。 問四 女房たちは清少納言のどのような点を称賛したのか。次から選びなさい。 学習書 参照 ア 雪景色などの自然を愛するその風流ぶり。 漢詩・和歌についてのその博学ぶり。 ウ 機転のきいたその当意即妙の才知。 『枕草子』「すさまじきもの」(六四~六五)次の空欄に入る語を選択肢から選び、内容を整理しなさい。 展開の把握一段落(初め 六四 学習書p.77 現代語訳参照 題 すさまじきもの はずれ、( ] はずれ、不調和などで興ざめなもの。 ほえる。 の網代。三、四月の の衣。牛が死んだ牛小屋。 乳児が 亡くなった産屋。 選択肢 犬 期待 春 時期 紅梅 五 この具体例から見て、作者はどのようなものを「すさまじ」と感じているか。適当なものを、次から二つ 選びなさい。 ア 陳腐で月並みである。 期待はずれである。 エ縁起が悪い。 不備・不調和である。 展開の把握参照 ウ 無作法・無礼である。 無神経である。

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古文 高校生

緊急です🚨お願いします🙇‍♀️ 答え全部教えてください🙇‍♀️答えが乗ってないです。 体系古典文法の十訂版です。

応 用 問 次の文中の傍線部を例にならって文法的に説明せよ。 OROO 1 次の文中の()内の、完了・存続の意の助動詞「たり」「り」を適 切な形に活用させよ。 完了の助動詞「たり」の終止形 (枕草子・一) まど (伊勢物語・九) 1 紫だちたる雲のほそくたなびきたる。 道知れ(り)人もなくて、ひ行きけり。 道を知っている人もなくて、 さまよいながら行った。 ②伏籠の内にこめたり) つるものを。 伏籠の中に入れていたのに。 紫がかっている雲が細く横になびいているさま(がいい)。 (源氏物語・若紫) ②「この昼、殿おはしましたりつ。」といふを聞く。 殿がいらっしゃった (蜻蛉日記) さくさく さうかい (源氏物語・若紫) ③ 顔は、いと赤くすりなして立て(り)。 顔は、ひどく赤くなるほどこすって立っている。 ふみづきもち (4) まんまん ぼうぼう 七月十五日の月に出でゐて、せちにもの思へ(り) けしきな 七月十五日の月の夜)に、家の近くに)出てすわり、ひどくもの思いをし り。 広々として、 (竹取物語) ③ 北には青山峨々として、松吹く風索々たり。南には蒼海 もの寂しい。 そびえ立ち、 漫々として、岸打つ波も茫々たり。 4 おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと思ひ 青い海が (平家物語) 茫々と音をたてている。 ている様子である。 たうふう わかんらうえいしふ そもそも、 ある者、小野道風の書け(り) 和漢朗詠集とて持ち(たり)け ある者が、小野道風の書いた『和漢朗詠集』だといって所持していたのを、 るを、 ほんのかりそめにと思っ いつ たが しかも、今すでに五年を経たり。 五年がたってしまった。 (方丈記) (徒然草・八八) (6) ものの心を知れ(り)しより、四十あまりの春秋をおく よそち ⑤中の庭には、梅の花咲けり。 咲いている。 (土佐日記) 私は、ものの心を知った時から、四十年あまりの歳月を送った間に、 れるあひだに、 うけたま ⑥ ふさこ、承りてまかれり。 (方丈記) ふさ子は、帝の命令を承って退出した。 (竹取物語) (7) 雪のおもしろう降りたり)し朝、 雪が麺のある様子に降っていた朝、 あした (徒然草・三一) 7 このもとの女、悪しと思へるけしきもなくて、(伊勢物語・二三) 不快だと思っている様子 うつくしきもの、瓜にかき(たり)ちごの顔。(枕草子・一四五) かわいらしいもの、瓜に描いてある赤ちゃんの顔。 ⑧ 友とするにわろき者、七つあり。 友達とするのによくない者が、 (徒然草・一一七 ) 思へば うらうらに照れ(り) 春日にひばり上がり心悲しもひとりし うららかに照っている春の日にひばりが舞い上がり、心は悲しいことだなあ。 一人で物を思っていると。 助動詞たり(完了)・り (万葉集巻一九) 59

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古文 高校生

完了と強意と存続、どのようにして判断すれば良いのですか?

3) 絵に描 これは知っていることであったよ。 かたち 絵に描け〔り] 楊貴妃の容貌 り 2 次の線部の助動詞「つ」「ぬ」「たり」「り」の活用形名を答え、 意味をあとのア~ウから選べ。 とまれかうまれ、とく破りてむ。 (土佐二月一六日) 何はともあれ、 早く( )。 (枕・大進生昌が家に) ② 2) 一夜の事や言はむと心ときめきしづれど、 先夜のことを言うのだろうかと胸がどきどき( )、 ③ (土佐一月一七日) 黒き雲にはかに出で来ぬ。風吹きぬべし。 黒い雲が、 急に出てきた。 風も ( かれいひ 乾飯の上に涙落としてほとびにけり。 (伊勢・九・東下り) 乾飯の上に 涙を落として 5 (枕・大進生昌が家に) 何も よろづのことも知らず、ねぶたければ皆寝ぬ。 知らないで、眠たかったので皆( )。 (大和二七) 法師に 人は、 法師になりぬる人は、かくうるさきこといふものか。 このようにめんどうなことを言うものなのか。 雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。 (枕・春はあけぼの) 8 雪が( のは、今さら言うまでもない。 ふなうた 。 船歌うたひて、何とも思へらず。 船歌を歌って、 何とも ( ア完了 強意 ウ存続 (土佐一月九日) ①③ ③ 5 ① DHE 形 形 形 意味 意味 ⑧⑧ 意味 形 意味 アイイ ④ 津 ② 2 2 3 次の〔〕内の助動詞を適当な形に活用させよ。 なお 一重の梅を なほ一重梅をなん軒ちかく植ゑられたりける。 軒の近くにお植えになられた。 これは知り〔たり」ことぞかし。 (徒然一三九) (枕・清涼殿の丑寅の隅の) 形 形 形 意味 意味 意味 形 意味

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世界史 高校生

写真ページの所の歴史の流れがごちゃごちゃになってしまって、分かりやすく教えて頂けたら助かります🙇‍♀️

0 300km 5 ウィーン体制下のヨーロッパ 地時代と変わらなかった。 政治の面では、軍事力をもった指導者が実権 をにぎり、独裁によってどうにか国家の統合を保った。 また、 経済の面 でも、工業化はすすまず、 地下資源や農作物のモノカルチャーに依存し、 6E 年)七 自由の女 と駆り立 いそん しえん 独立運動を支援して進出したイギリスの資本に従属した。 伯父 ナポ 5 ヨーロッパでも、同じ言語や宗教、文化をもつ が 「諸国民の春」 人々が一つの政治的なまとまりをもつべきとい こい う国民意識がめばえ、この考え方をもとに国民国家をつくろうとするナ 運動がおこった。 国家を作ろうという ショナリズムの運動と、政治参加や自由な経済活動を求める自由主義の 自分たちで 0 とりわけフランスでは、1830年にパリの民衆が蜂起して専制政治をお いやしゃわい みおう 渡目 した。 な支持 改革 こなっていた国王を退位させた七月革命)さらに1848年の革命でおわって じゅけんては、 は普通選挙を求めるパリの労働者が立ち上がり、臨時政府が成立した した 1848-52 植民 第一共和政 この二つの革命の影響はヨーロッパ広がったが、6 とくにヨーロッパ全体が革命運動にゆれた1848年の春は「諸国民の春」と もろ 5 独立 から ンスタ まよばれた。ウィーンとベルリンでは三月革命がおこり、 メッテルニヒは 失脚してウィーン体制は崩れた。 しかし、これらの革命は、保守派の巻き返しで最終的には圧された。 AD フランスでは、強力な政府を期待する民衆の支持を背景に、 レオンが国民投票で皇帝ナポレオン3世となり、第二帝政を樹立した。 Apo たも 165270 0 彼は、社会政策と積極的な対外政策で人気を保ったが、ブロ 16/0 ほうかい (音仏戦争でプロイセンに大敗すると、第二帝政は崩壊した。そ その後もフランスの政治は安定しなかったが、 1875年になって、大総 ・二院制を定めた憲法が成立し、ようやくフランス革命以 フランス国際 来の音由主義による政治が定着した第三共和政)。 けいい 1870-1940 CQ ナショツリズムのは、どのような経緯で大西洋両岸に広がったのだろうか

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古文 高校生

古文の読解について質問があります。 古文単語や古典文法はある程度覚えてきたのですが、それを実際の問題の中でどう使って解いていけばいいのかが分かりません。本文を読むときに、品詞分解や文法知識をどのように使って意味を取っていくのか教えていただきたいです。 また、2枚目の(ア)... 続きを読む

あぶつあずまくだ 第4問 次の文章は、「阿仏東下り」という物語の一節である。阿仏は、亡き夫が遺した荘園を巡る訴訟のため、都に息子たち を残して鎌倉に下ることにした。本文は、富士山の麓あたりまで旅を続けて来た阿仏が体調を崩し、宿を借りたところから始ま 4の番号を付してある。(配点 45 ) る。これを読んで、後の問い(問1~4)に答えよ。 なお、設問の都合で本文の段落に ここち 1 これより風邪の心地とて、いたはりへるほどに、力なく宿を求めて、疲れをしばらくいたはり侍りけり (注1) あるじ 主言ひけるは、 (注2) 。 「やむごとなき御身として、折ふし三冬の半ばに、はるばるの御歩行なれば、疲れにこそおはしますらめ」と、十日ばかり いたはりりて、「これよりも鎌倉へは、何方へか御こころざしあるらむ。送り奉らむ」と聞こゆるほどに、こよなくうれしく (注3) こし 「比企谷といふ所に親しき人のありければ、この所へ送りてむ」 とあるほどに、主、輿を用意して乗せ奉り、ほどなく鎌 倉にては、比企の谷といふ所にぞ届け侍りけり。縁の人なりければ、はるばる下り給へるこころざしを、「いかばかり」とあは れみて、よくよくいたはり参らせけるほどに、旅の疲れなれば、ほどなくもとの心地し給ひけり。 (注4) くじ 2 さて、ここにしばらくおはして、鎌倉の公事ども聞き給ふに、まことに世の政事つかさどり給ふとて、天が下の人々、高 (注6) miin (注5) もしも集まりて、門の門に市をなせり。ここに執政の縁につきて、よきったよりありければ、ひそかにことの様を 言ひ入れければ、よにあはれにとぶらひて、「気色をうかがひて沙汰にあづかり給へ」と言ふも頼もしく、力づきてぞ見給ひ (注7) にける。 dくないん はつこのきば 3 さるに心許して 光陰送り給へるほどに、その年もはやうち暮れて、あらたまの春にもなりゆけば、東風吹く風もやはら (注8) かけひ つらら かに、のどけき空に鶯の、うら若き初声を軒端の梅におとづれて、枝をつたふもとやさし。懸樋の氷柱解けぬれば、ゆ 水の音ものどくて、ぶもやすき心地せり。 人ごころ懸樋の水にあるならば世はすぐさまにことや通らむ 4 かかるほどに、君の北の方、聞こし召して、「あなあはれや。子を思ふ道には身の苦しびをも顧みず、はるばると東の奥に (注10) しうしや (主) 下り給ふことのはかなさよ。 このみなし子の父は、世に名を留めし和歌の秀者にて、帝の御宝と聞こえし。 かかる人のあとな れば、いかでか遺跡を絶えし果てむとは思し捨つべき。かひがひしくも、足弱の身として東の旅におもむき給ふことこそ 便にはおぼゆれ」とて、さまざまの物ども贈らせ給ひて、つねにとぶらはせ給ふぞありがたき。 (注) 1主宿の主人。 7 2 三冬の半ば旧暦の十一月。 3 比企の谷 鎌倉の地名。 鎌倉の公事ども鎌倉幕府の訴訟に関すること。 5 権門の門 鎌倉幕府の有力な役人の家の門前。 6 執政の縁につきて鎌倉幕府の権力者の縁者に関して。 沙汰ここでは、裁判の意。ニ 8懸 水を引くために竹や木を掛け渡して作った。 9 君鎌倉幕府の将軍。 10 このみなし子の父 「みなし子」は、 ここでは、父親を失った子の意で、阿仏の産んだ息子たちを指す。 「父」は、亡き夫の藤原為 せんじゃ 11 遺跡 ここでは、歌道の家の伝統の意。 家のこと。 為家の父定家は「新古今和歌集」の撰者、祖父俊成は『千載和歌集』の撰者で、為家自身も勅撰和歌集の撰者となっていた。

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