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古文 高校生

最後が問題になってます 全く分からず手付かずなのでどなたか回答ください🙇‍♀️ ※回答がないので理解の仕様がなくお手伝いしてください!!!

次の文章は『桃の園生』の一節である。 謹慎中の弁(「頭弁」 「男君」)は恋人の左京(「女」)に手紙 を何通も送ったが、何者かのいたずらで、手紙は左京にほとんど届かず、弁に届けられた返信も多くは 偽物であった。本文は弁の謹慎が解け、このいたずらを知らない二人が対面するところから始まる。こ れを読んで、あとの問いに答えなさい。 もと なこそ 頭弁は思しやる方あまたあれど、まづ左京が許に行きて気色見給ふに、ありしに変はることなく、 注また人になれける注中の衣ともなく、うらなければ、心おちゐて思ふものから、日頃の文の心得 がたかりしも、絶え間も恨めしう思ひけるなめりとおぼえて、いとどらうたく、こまやかにうち語らひ ア 給ふ。女は、「注影踏むばかりのほども、逢坂こそかたらめ、文をさへ通はし給はぬ勿来の関の恨めし う」と、にくからぬさまに注うちかすめ、怨じ聞こゆるに、弁、「そは我こそ恨みをも聞こえめ。さし もぼつかなからず、日ごとにものしつるを、あさはかにも思しなして、いつもあやしげにかこちなし給ひ、 あひ思さざりつるが、かひなくのみ思ひしものを」と、まめだち給へば、女、「⑨ いとまがまがしうも」と いたづら なかひがき 徒 に文も通はぬ中檜垣隔つる君が心とぞ見し 移心はげに、色ことなりけり」と言ふに、弁、「あやなくおぼめき給ひけりな。 さらば賜ひつる文あ また所狭げにあるを、今見せ奉らん」とのたまふに、女もいぶかしう、「さらに知らず。 僅かに二度三度 ばかり」など言ひて、弁の文取り出でたり。ここら書き尽くし給ふは、ゆめなくて、三つばかりのみなり。 いとあやしう、いかなることぞと胸うち騒ぎて思ひめぐらすに、論無う使ひの心をさなく、もてたがヘ いづかた とのもつかさ つるなめり、さても何方にかものせしと、いとどやすからずおぼゆれど、すべなければ、明日その主殿司 に問ひてこそ、まことそらごとあきらめめとて、言ひさしつつ、「我はつゆ忘るることもなかりしを」と うち泣きて、 君を思ひ日長くなりぬ夢にだに見ずて注)ここだも恋ひし渡れば 常忘られず」などあはれなるさまに聞こえなし給ふ。女、 幾夜かも涙の床をはらひ侘びしをれし注⑥衣かへしてぞ寝し 月立つまでに」と言ふも、心苦しければ、「今はな思しそ。 さらに途絶えあるまじう、目離れず見え奉 らんとこそ思へ」と慰めて、男君、 注きくありてあひそめてし若草の妻注はしきやし離れず通はん 注)その長浜に」と聞こえ給ふ。 みそ またの日、ありつる文使ひの主殿司、密かなる所に呼びて問ひ給ふに、聞こえやらん方なくてゐた 4 とこ > ページ 2/6

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古文 高校生

「桃の園生」という文の一節なのですが 上手く要約できず苦戦しているのでどなたか要約してください😭🙇‍♀️

一次の文章は『桃の園生』の一節である。 謹慎中の弁(「頭弁」「男君」)は恋人の左京「女」)に手紙 を何通も送ったが、何者かのいたずらで、手紙は左京にほとんど届かず、 弁に届けられた返信も多くは 偽物であった。本文は弁の謹慎が解け、このいたずらを知らない二人が対面するところから始まる。こ れを読んで、あとの問いに答えなさい。 頭弁は思しやる方あまたあれど、まづ左京が許に行きて気色見給ふに、ありしに変はることなく、 また人になれける中の衣ともなく、うらなければ、心おちて思ふものから、日頃の文の心得 がたかりしも、絶え間も恨めしう思ひけるなめりとおぼえて、いとどらうたく、こまやかにうち語らひ 給ふ。女は、「影踏むばかりのほども、逢坂こそかたらめ、文をさへ通はし給はぬ勿来の関の恨めし う」と、にくからぬさまにはうちかすめ、怨じ聞こゆるに、 弁、「そは我こそ恨みをも聞こえめ。さし もぼつかなからず、日ごとにものしつるを、 あさはかにも思しなして、いつもあやしげにかこちなし給ひ、 あひ思さざりつるが、かひなくのみ思ひしものを」と、まめだち給へば、女、「いとまがまがしうも」と 徒に文も通はぬ中檜垣隔つる君が心とぞ見し 移し心はげに、色ことなりけり」と言ふに、弁、「あやなくおぼめき給ひけりな。 さらば賜ひつる文あ また所狭げにあるを、今見せ奉らん」とのたまふに、女もいぶかしう、 「さらに知らず。 僅かに二度三度 ばかり」など言ひて、弁の文取り出てたり。ここら書き尽くし給ふは、ゆめなくて、三つばかりのみなり。 いとあやしう、いかなることぞと胸うち騒ぎて思ひめぐらすに、論無う使ひの心をさなく、もてたがへ つるなり、さても何方にかものせと、いとどやすからずおぼゆれど、すべなければ、明日その主殿司 に問ひてこそ、まことそらごとあきらめめとて、言ひさしつつ、「我はつゆ忘るることもなかりしを」と うち泣きて、 どのもつかさ 君を思ひ日長くなりぬ夢にだに見ずてはここだも恋ひ渡れば 常忘られず」などあはれなるさまに聞こえなし給ふ。女 幾夜かも涙の床をはらひ侘びしをれし衣かへしてぞ寝し 月立つまでに」と言ふも、心苦しければ、「今はな思しそ。さらに途絶えあるまじう、目離れず見え奉 らんとこそ思へ」と慰めて、男君、 さきくありてあひ見そめてし若草の妻はしきやし離れず通はん その長浜に」と聞こえ給ふ。 またの日、ありつる文使ひの主殿司、密かなる所に呼びて問ひ給ふに、聞こえやらん方なくてゐた AUR

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国語 中学生

この問題の(1)と(2)を教えて欲しいです🙇‍♀️

2 これて完ペキ! 次の文章は、江戸時代! を読んで、あとの問いに答えなさい。 あたり ほけ 東山黒谷の辺に畠をうつに、となりの百姓とほりあはせ、「これは何をまく ぞ。」といふに、彼うち手まねきして、「ああ声が高ひぞ。 低う低う。」 といふ。 からもの さてはよにまれなる唐物の種を植うるにやと思ひ、心得たりと、さし足して ちかく寄りたれば、いかにもおのれが声の調子を低くいふには、「大豆をまく。 「口露がはなし」より) 鳥や鳩がきく程に。」 かるくちつゆ *東山黒谷地名。 *畠をうつに=畑を耕していると。 *彼=ここでは畑を耕している人を「彼」と呼んでいる。 うち=ちょっと。 *唐物=ここでは中国から伝わった作物を表す。 *植うるにや=植えているのかもしれない。 さし足して足音をたてないようにして。 一線① 「となりの百姓とほりあはせ」 について、次の問いに答えなさい。 ① 適切な助詞を一語補って、全体を書き直しなさい。 ② 「とりあはせ」を現代かなづかいに直して書きなさい。 一線② 「彼うち手まねきして」 に適切な助詞を一語補って、全体を書き 直しなさい。 10. 古文の基本 からす 3 (2) 古文 ? (4) (5)

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国語 中学生

(1)と(2)を教えて欲しいです🙇‍♀️ もし、出来たら解説もお願いしたいです🥺

取ったものをすべて、そ 次の文章は、江戸時代に書かれた笑い話である 2 これで完ペキ!」 を読んで、あとの問いに答えなさい。 あたりはたけ 東山黒谷の辺に畠をうつに、となりの百姓とほりあはせ、「これは何をまく ぞ。」といふに、彼うち手まねきして、「ああ声が高ひぞ。低う低う。」といふ。 からもの さてはよにまれなる唐物の種を植うるにやと思ひ、心得たりと、さし足して ちかく寄りたれば、いかにもおのれが声の調子を低くいふには、 「大豆をまく。 からす はと かるくちつゆ 鳥や鳩がきく程に。」 (「輕口露がはなし」より) *東山黒谷=地名。 *畠をうつに=畑を耕していると。 *彼=ここでは畑を耕している人を「彼」と呼んでいる。 *うち=ちょっと。 *唐物=ここでは中国から伝わった作物を表す。 *植うるにや=植えているのかもしれない。 *さし足して足音をたてないようにして。 ①線① 「となりの百姓とほりあはせ」について、次の問いに答えなさい。 適切な助詞を一語補って、全体を書き直しなさい。 「とほりあはせ」を現代かなづかいに直して書きなさい。 線②「彼うち手まねきして」に適切な助詞を一語補って、全体を書き 直しなさい。 10. 古文の基本 ② ② Mi 古文の一 (4) (5)

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古文 高校生

受可自尊の助動詞る、らるについてですが、受け身なのか尊敬なのかが分かりません。そのせいで内容が取れていない気がします。最初に出てくる歌の前の文で、歌を詠みかけられける。という部分がありますがこれは歌をお詠みになった なのか歌を詠みかけられたという受け身の意味なのかわかりませ... 続きを読む

ふうていしょう 第3問 次の【文章Ⅰ】は、藤原俊成の歌論書『古来風鉢抄』の一節である。また、【文章Ⅱ】は、鎌倉時代初期の歌学書『和歌色 葉』の一節で、「芹つみし・・・」の歌が、一説として以下の故事に依っているということを述べたものである。これを読んで、後の 問い(問1~6)に答えよ。 (配点 500) 【文章Ⅰ】 ぎゅうぎぼさつ 行基菩薩 まだ若くおはしける時、智光法師に論義に逢ひ給ひたりけるを、智光少し驕慢の心にやありけん、若き敵に逢 ひたりと思へる気色なりければ、歌を詠みかけられける。 (注2) ふくだ かたばかま 真福田が修行に出でし片我こそ縫ひしかその片袴 おほかた かく言はれて、「二生の人にこそおはしけれ」と、帰したけり。この事は、行基菩薩の前の身に、大和の国なりける長者とぞい ひけれど、国の大領などいふものにやありけん。その家の娘のいみじく傅きけるが、かたちなどいとをかしかりけるを、門守 78 する女のありけるが、子に真福田といふ童ありけり。 十七、八ばかりなりけるが、その家の娘をほのかに見て、人知れず病にな りて、死ぬべくなりにける時に、母の女その曲を問ひ聞きて、「我が子生きて給ひてんや」と洩らし言ひたりければ、娘、「大方 はやすかるべきやうなる事なれど、無下にその童ざまにては、さすがなりぬべし。さるべからん寺に行きて、法師になりて、 学問よくして、才ある僧になりて来たらん時逢はん」と言はせたりければ、かくと聞きて、急ぎ出で立ちける。 「童の着るべかり ける袴持て来。我縫ひて取らせん」と言ひければ、母の女喜びながら、忍びて参らせたりけるを、片袴をなん縫ひて取らせたり ける。さて、寺に行きて、師につきて学問を夜昼しければ、二、三年ばかりに、味の妹の智者になりにけり。さて、後来たりけ れば、「今宵」と言ひて逢ひたりける程に、この娘、にはかに消え入るやうにて亡くなりにけり。法師あさましく悲しく覚えて、 寺に帰りて、道心深く起こしていよいよ尊くなりにけり。されど、我が童名「真福田」といふこと、僧の中には、さしも知らせ ざりけるを、年経て、行基といふ若き智者の出で来たりけるに、論義にあひたる程に、その昔名をかく言ひて、「我こそ縫ひし のち その片袴」と言ひけるに、思ひ続くれば、「我がもと道心起こし始めし女は、即ち、この行基にこそおはしけれど、我が身を き僧となさむとて、しばし仮に彼の女と生まれて見えたりける」と心得るに、尊く、めでたくも恥ぢも覚めるなり。知識け まこと 真に大の因縁なるものなり。 【文章Ⅱ 】 ごと 芹つみし昔の人も我が如や心にものはかなはざりけむ (注6) (注7) まぼ おうな ある説には、昔、大和国に猛者ありけり。 山をつき池をほりていみじき事どもを尽くせりける。 門守りの嫗の子に真福田丸と いふ童、池のほとりに行きて芹をつみけるに、猛者のいつき姫君出でて遊びけるを見て、この童おほけなき心起こりて、病に 臥しにけるを、姫君もれ聞きて、「あはれにやすき事なり。早く病をやめよ」と言はせければ、童喜びて起きゐぬ。姫君の言ふや う、「忍びて文通はさむに、手を習へ」と言へば、童ほどなくて習ひつ。また言はく、「父母死なむこと近し。 その後は何事も沙 せむに、文字知らざらむ、 わろし。 学問せよ」と言ふ。童学問してうるほひぬ。 また言はく、「忍びて通はむに、童は見苦し。 「法師になれ」と言ふに、やがてなりぬ。 また言はく、「その事となからむ法師を近づけむもあやしかりなむ。経どもをよめ。 祈り せさするやうにてもてなさむ」と言へば、よみつ。また言はく、「なほいささか修行せよ。護身なんどせさするやうにて近づけ む」と言へば、修行に出で立つ日、姫君あはれみて藤の袴を調じて取らするに、片袴をばみづから縫ひつ。これを着て修行しあ りく程に、帰りて聞けば、 姫君そのまにうせにけり。 これを聞きて深く道心を起こしてひとへに極楽を願ひて往生しぬ。 弟子ど も後の事に行基菩薩を導師に請ひたるに、礼盤にのぼりて言はく、「真福田丸が藤袴、 我ぞ縫ひし片袴」とばかり言ひて、異事も 言はでおりぬ。弟子あやしみて問ひければ、「亡者智光は必ず往生すべきものの、はからざるに世間に貪着して悪道に行かむと せしかば、我方便してかくはこしらへいれたるなり」となむありける。姫君は行基の化身なり。行基菩薩は文殊の変化なり。真 福田丸は元興寺の智光なりといへり。 とんちゃく GN (注8) 1 -79-

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日本史 高校生

この問題の答えを教えて欲しいです

10 ヤマト政権の発展右の地図を見て、下の問いに答えなさい。 「おおきみ ヤマト政権の大王を中心とする権力が拡 つくしのくにのみ 大すると, 527年に筑紫国造 ( 1 ) が右図の Aと結んで反乱をおこすなど, 地方豪族が おおむらじ 抵抗した。 6世紀初め, 大連 ( 2 )はBによ る加耶西部への支配権確立により失脚した。 ものの その後、物部氏と蘇我氏が対立した。 (1) 文中の( )に適する語句を書け。 (2) A・Bの国名をそれぞれ書け。 4 飛鳥の朝廷と文化 で、次の問いに答えよ。 ① 傍線部は西暦何年か。 (2) 傍線部は誰か。 石舞台古墳(奈良県高市郡明日香村) ら盛土がなくなり, 横穴式石室が露出している。 石室の全長は約20m. 7世紀築造とされる, 一辺約50mの墳丘をもつ大型方墳。 早い時期か 高さ約8mと全国でも有数の大きさで, 蘇我馬子の墓と伝えられる。 そがのうまこ たいかかいしん 3 ①の翌年 ②に同行し、後の大化改新で ここのはかせ 同博士となった留学生と学問僧を書け。 11推古朝の政治 次の文を読んで、下の問いに答えなさい。 おおおみ もののべのもりや I 国際的緊張の中, 国内では大臣の(1)が587年に大連の物部守屋を滅ぼ ④ 傍線部は誰か。 ずい し (2) 天皇を暗殺して権力を握った。 うまやと a II 右の写真は厩戸王 (聖徳太子) 創建と される最古の木造建築物である。 若草伽 藍跡発見で, 670年の焼失後に再建された と考えられている。 厩戸王は(3) 天皇 が即位すると, (1) とともに国家組織 をつくった。 603年に(4) を定め, 氏族単位で組織を再編成した。 翌年 には豪族に役人としての心得を説き, 外交では中国との国交を再開し た。 (1) 文中の( )に適する語句を書け。 (2) 下線部aの寺院を何というか。 (3) 下線部bについて、 右の史料Ⅲ を読んで、 次の問いに答えよ。 ① 史料中のに適する語句を書け。 ② 傍線部あは何のことか。 漢字2字で書け。 (3 この史料は一般に何というか。 (4) 下線部cについて、 右の史料 ⅣV を読ん とう (5) 中国では、の滅亡後、唐が成立した。 630年に、最初の遣唐使として派遣された 人物は誰か。 高句麗 B A 加耶諸国 IV きや、云式」と、を覧て 処の天子書を日没する処の天子に致す、無 して朝貢す。・・・・・・其の国書に曰く、「日出づる。 に曰く、2を承りては必ず諦め・・・・・・ 三年、其の王多利思比孤を遣わ 二に曰く、篤く 三宝を敬ひ・・・・・・ 無きを宗と為す。 皿一に曰く、1 を以て貴と為し、ふるこ 『隋書倭国伝) 悦ばず・・・・・・。 St C 10 三 (2) 11 (1) (2) (3) 1 (4) 2 A B 1 2 3 4 ①1 2 ② 3 ① ③ 留学生 学問僧 (5)

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