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理科 中学生

⑤がわかりません

51 地層の重なり方 ひょうごう ある地域の標高が異なる地点をふくむA~Dの4 地点でボーリング調査を行った。 その結果から地 層の広がりについて調べることにした。 なお、この 地域では, 地層の曲がりは見られず, 地層はある 一定の方向に傾いていることがわかっている。 なお、 A地点とB地点, およびC地点とD地点は南北方 向で, B地点とC地点は東西方向になっている 130. 120. 110_ B 100- 図1 ボーリング調査を行った地点 地表からの深さ [m] A B C 砂の層 黒っぽい鉱物を 30 40 50 60 多くふくむ 火山灰の層 白っぽい鉱物を 多くふくむ 火山灰の層 れきの層 泥の層 図2 柱状図 ① A地点の地層の重なりから, 白っぽい鉱物を多 たいせき くふくむ火山灰の層が堆積するときまでに、海の 深さはどのように変化したと考えられるか。 ②この地域の地層からアサリの化石が発見され た。どの層から発見されたと考えられるか。 また, その地層が堆積した当時はどのような環境だっ たと考えられるか。 かんきょう ③ 下線部の地層の曲がりを何というか。 また、それ はどのようにしてできるか説明しなさい。 ④4 地層はどの方位に向かって下がっているか。 東 西, 南, 北で答えなさい。 D地点の柱状図を図2にかきなさい。

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数学 高校生

【平面上の点の移動と反復試行】 この問題での、試行とはなんでしょうか? 各交差点での移動の仕方? 短い文でまとめていただきたいです。 ・地点Aからの試行と地点Pからの試行は進める方向の数が違うため、同じ試行とはいえませんか? ・各回の試行が独立であるといえるのは、常に移... 続きを読む

336 重要 例題 50 平面上の点の移動と反復試行 右の図のように, 東西に4本, 南北に4本の道路が ある。 地点Aから出発した人が最短の道順を通って 地点Bへ向かう。このとき、途中で地点Pを通る確 率を求めよ。ただし,各交差点で,東に行くか,北 に行くかは等確率とし,一方しか行けないときは確 率1でその方向に行くものとする。 CHART & THINKING 0000円 B 北4╋ P A 基本 48 ddy =求める確率を A→P→Bの経路の総数 から, A→Bの経路の総数 4C3X1 6C3 とするのは誤り! この理由を考えてみよう。 は,どの最短の道順も同様に確からしい場合の確率で,本問 は道順によって確率が異なるから AD経路は同様に C'から北東どっちに行ったとしても 試行(Cからの移動)経路は変わらない個×1=1 CPの確率は常に17717-1 B P 16 A 影響を与えない独立である とがわかるが,どの点をとればよいだろ うか? 解答 右の図のように, 地点 C, C', P'をとる。 Pを通る道順には次の2つの場合があり,これらは互いに 排反である。両方通ることはない [1] 道順 A→C→C→P→B 経路2個1個 2 B しにいくため必ず通る」 11 この確率は X- 1 [2] 道順 A→P→P→B A |CPは1通りの道順であ ることに注意。 この確率はC-1)^(1/1)x1/2×1×1= 3回のっち2回策に進む方法16 よって, 求める確率は + = 8 16 16 3 [1] PRACTICE 50® 風の L トール →→→↑↑↑と進む。 [2] ○○○↑↑と進む。 ○には2個と↑1個 が入る。 どからの移動でもし北に 行ったら℃に着かない… というのは関係ない

解決済み 回答数: 2
数学 高校生

⑶において なぜm→+0のときt→+0となるのですか

EX 342 のすべてにそれぞれ1点で接する円の半径をbとする。 ただし, baとする。 xy 平面の第1象限内において, 直線l: y=mx(m>0) とx軸の両方に接している半径αの をCとし,円Cの中心を通る直線y=tx(t>0) を考える。 また, 直線lとx軸,および, (1) tをm を用いて表せ。 (2)を用いて表せ。 (3) 極限値 lim 1 b a m+om -1 を求めよ。 [東北大 ] YA ←直線 y=tx は,直 (1) 直線 y=tx と x 軸の正の向きが なす角を0とすると, 直線lとx軸 の正の向きがなす角は20である。 軸の正の向きとの なす角の二等分線である a → x 0 a y=tx 2 tan よって m=tan20= 1-tan 20 10-00- 2t ゆえに m=. ① 1-12 よって mt2+2t-m=0 -1±√1+m² ゆえに t= m -1+√1+m² t0, m>0であるから t= m ←2倍角の公式。 =00 ←tan0=t 500g ←tの2次方程式とみて 解の公式を利用。 (2) 半径が6である円をDとする。 Dの中心からx軸に下ろし (1) の図の黒く塗った直 た垂線にCの中心から垂線を下ろすと, sin0 について 角三角形 b-a a+b √2+1 b 1 t b-a = すなわち = a+b √t²+1 b 8209-1+ a b a -=Aとおくと A-1_ t 1+A 分母を払い, 変形すると √2+1-t>0であるから √2+1 (√2+1-t)A=√t2+1+t √ t²+1+t _ (√ t²+1+t)² = √√1²+1-t (√1²+1)²-12 A= したがって tan0=tから得られる直 角三角形 +2+1 =(√1²+1++)² ←分母の有理化。 1/2=(√+1 +t) ② a ...... (3) ①,② および,m→ +0 のとき t→ +0 であることから 1/6 iimo (22-1)=im 1-12 (21°+21F+1) m→+0m a t+0 2t =lim(1-t)(t+√t°+1)=1 t→+0 ←(√2+I+t) =2t2+1+2t√2+1, 2t で約分。

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日本史 高校生

近世の城下町は、大名の居住地や政治的中心という本来の機能以外にも、機能を有していた。近世の城下町のこうした機能またははたらきについて、本文の記述を参考に、居住区の区切り方、どんな業種の人々が流入し、どんな人々の生活を支えるようになっていったのか、やがて何の拠点になっていたの... 続きを読む

の許可証を のために江戸 唐人屋敷が 地域の窓 とよとみひでよし 近世の城下町, 豊臣秀吉が全国を統 した1590年代から天下が徳川家に移 った1610年代を中心として、日本列島各 地でいっせいに建設された。強大な権力 を手にした武士によって都市計画がなさ れ, 全国で共通する性格を持った都市が ほぼ同時につくられた。 このような出来 事は、世界史レベルでみてもきわめて珍 しいといえる。ここでは信濃国飯田藩 (現在の長野県飯田市)の城下町をみてみ よう。 てんりゅうがわ しなの だんきゅう 飯田城は,天竜川に近い段丘の上に建 くじょうか 設された大規模な城である。 城の西と 北に連続して武家が広がり、 さらに連 ちょうにんち 城下町 ・貿易で れ、 されな 人が 続して町人地がかれた。 これらを取り 囲むように多くの寺院が連なり、武家地 の一部はさらに町人を囲んでいた。そ 近出の城下用) [アイナ パタ20 33 るい の外側には土塁と海がめぐらされ、村との境とな っていた。このような配置は地理上の影響を受け ていたが, 身分に応じて居住地を区切る方法自体 は、近世の城下町に共通している。 飯田にはおそくとも戦国時代に城があり,小規 まちば p.112 はいじょう まつ 飯田 92 鯨団殿下町かれる定期市で商人たちに分配さ られ、彼らは高畑の農村でそれらを売りさばいてい きょてん た。 城下町には民衆相手の商売で財をなした商人 がならび、近世後期には地方文化の拠点ともな った。 模な町場が付属していた可能性もあるが,このよ うな本格的な都市の建設が可能となったのは, 1590年代を中心に, 周辺の村々から大勢の人々が 集まってきたからである。 寺院はいずれも,もと もと周囲の村々に置かれていたのが,この時期に 移転したものである。 町人地についていえば,松 尾町一丁目と知久町一丁目は,それぞれ近くにあ った戦国時代の城 (松尾城, 知久平城) が廃城とな るのにともなって, そこにあった町場が移転した からとみられる。 このほか, 周辺の農村に暮らす 人々のなかから町場に引っ越した者もいたとみら れ、伊勢商人が引っ越してきたとの伝承もある。 このことは,戦国時代までに地域の内外で,商工 業がある程度展開していたことを物語っている。 城下町の商工業は、藩主やその家族、そして家 臣団などの生活をささえることを目的としていた が、周辺の村に暮らす人々の生活もささえた。た とえば、三河国から大量にもたらされる塩や魚が, はんしゅ 現在の地方都市の多くは近世の城下町にルーツ がある。身近な事例をもとに,都市の歴史を探っ てみよう。 ↑1960年の知久町三丁目 (飯田市歴史研究所蔵) 近代以後, 飯田は地元の政治、経済、文化の中心として発展した。

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