数学 中学生 8ヶ月前 7の(3)が分かりません。教えてください🙇 〈等式の変形式による説明〉 次の問いに答えなさい。 回(1) 男子17人, 女子23人の合計40人の学級がある。 この学級の男子の身長の平均をxcm, 女子の身長の平均を cm, 学級全体の身長の平均をzcmとするとき, xを y, zを使った式で表せ。 (2)上底がacm, 下底が7cm, 高さが6cmの台形がある。 この台形の面積がScmであるとき,上底αをSを いて表せ。 3)おうぎ形の弧の長さをl, 半径を とすると,おうぎ形の面積Sは, S=1/2er と表せることを説明せよ。 解決済み 回答数: 1
物理 高校生 8ヶ月前 エの問題について質問で、答えは④なのですが、コイルが運動する場合でも、単位面積当たりの磁束の変化量から誘電起電力がわかると思ったので①が正解と思ったのですがなぜ違うのですか?? I の解答群 ① コイルが運動する場合でも棒磁石が運動する場合でも,コイルに生じる。 一起電力は自由電子が磁場から受ける力, あるいは,ファラデーの電 導の法則のどちらでも説明できる。 止してい ② コイルが運動する場合でも棒磁石が運動する場合でも,コイルに生じる 起電力はファラデーの電磁誘導の法則では説明できず, 自由電子が から受ける力によって説明される。 ③ 棒磁石が運動する場合はコイルが運動する場合とは異なり、コイルに生 じる起電力は自由電子が磁場から受ける力によっては説明できず,71 ラデーの電磁誘導の法則によって説明される。 ④ コイルが運動する場合は棒磁石が運動する場合とは異なり、 コイルに生 磁場から受ける力によって説明される。 じる起電力はファラデーの電磁誘導の法則では説明できず, 自由電子が 解決済み 回答数: 1
化学 高校生 8ヶ月前 molの計算です。 解答解説に、「反応式の係数比〜完全に反応することがわかる。」とあるのですが、なぜNa2SO4が余り、BaCl2は完全に反応すると分かるのでしょうか❓❓❓ (3)2.5%の硫酸ナトリウムNa2SO4 溶液100gと2.5%の塩化バリウム BaCl2 溶液 100gを混ぜ ると,硫酸バリウムBaSOが沈澱した。生成した硫酸バリウムBaSO4は何gか。ただし, Ba=137とする。 -0.45 解決済み 回答数: 1
化学 高校生 8ヶ月前 どちらもシストランス異性体だとワークにあったのですが、右の化合物がシストランス異性体だと言うことがいまいち理解できません。 この場合だと、Hが2つ二重結合の上部または対角線上にあったなら、あとの2つの原子団はバラバラでもいいのですか? カッコ内がワークに書いてあった構造式で... 続きを読む H H C=C CoaH H+, C COOH Head C = c 1 H THOOC-CH=CH-COOH) [CH₂-CH=CH-COOH] 解決済み 回答数: 1
国語 中学生 8ヶ月前 問4の答えをおしえてください。 2 4 次の文章を読んで、あとの各問に答えよ。 (*印の付いている言葉 には、本文のあとに 〔注〕 がある。) 日本のインテリアの特徴は、柱、障子、畳、天井に生物材料を使い、 それを白木のテクスチェアで統一しているところにある。人間はもとも と生物だから、からだに接するところに生物をおくのがいちばん素直だ し、心も休まる。 生物材料で囲まれたインテリアは、自然と人工とが組 み合わされた空間だから、日本人にとってヒノキやスギの白木の肌は、 戸外の緑と同じ意味あいを持っていた。(第一段 私は木が好まれたもう一つの理由に、仏教の無常観があったことをあ げてよいと思う。われわれの祖先は自然も社会も常に移り変わるものと 悟っていた。その法則にさからわないで暮らしていくのが、日本人の生 き方であった。ヨーロッパでは神の宮居はアテネの神殿のように、永遠 その形を残すものでなければならなかったが、日本では伊勢神宮のよ うに、やがて朽ちていく木でもよかった。 (第二段) ヨーロッパ的な見方からすれば、二十年ごとに造り換えられる神殿は、 原形ではなくコピーだから、価値の低いものと考えるが、日本では芸術 も文化も心の中にあると考えるから、形が伝われば価値は変わらないと 思う。すべてのものは人間の命と同じように、限りあるはかないものと 知っているから、木のように朽ちて自然に帰っていく素材に、心を惹か れたのである。木は仏教の無常観に通ずる恰好の材料であった。(第三段) 以上のように考えてくると、ヨーロッパの「石の文化」 「金の文化」 に対して、日本の「木の文化」が生まれた理由を納得することができる。 だからこそ建物の材料には木のような生物材料が選ばれたに違いない。 その先に濡れ縁をつくったのである。(第七段) 軒は深いからなるべく軽くつくらねばならない。そこで小丸太や竹を 使って重みを減らした。 つまり家の形は中心部に畳を敷いた座敷があっ て、そのまわりを縁側がとり囲み、さらにその先に庭と接触する濡れ縁 があるというスタイルができあがったのである。中心の座敷は人間がす わる静かな場所で、縁側は通行するところ、屋外は活動の場ということ であるから、家は中心部に向かうほど静、外に向かうほど動というよう 中心から外に向かって、静から動へのぼかし模様がつくられている ことになる。(第八段) 座敷と座敷との間の仕切りは軽いふすまだから、夏になってそれをは ずすと、風は自由に通り抜ける。日本のように夏の蒸し暑い国ではこれ が何よりで、畳の上をすべって吹き込む風は天然冷房の効用がある。 高 窓から入ってくる風ではその効果はない。 伝統の和風住宅では、 ふす まと障子をはずすと、何本もの柱で支えられた屋根だけが残る。 この構 造は通風を考えてできた生活の知恵である。 「住まいは夏を旨とすべし」 という兼好法師の有名な言葉があるが、風通しのよさからいえば、これ 以上都合のよいつくり方はない。京都の町屋では間口が狭く、奥行きが 深く、左右は隣家とくっついているから、風はいやおうなしに家を縦断 する。つまり家全体が風のトンネルになるわけで、それに都合がよいよ うに、部屋と部屋とのつながりには壁がない。このように風の吹き抜け に合わせてつくられた家は、世界的にみてもその例が少ない。(第九段) 伝統的な日本の家は、どの部屋を何の目的に使うというように固定し ていない。 ただ八畳とか六畳とかいった四角な部屋をタテヨコにつない そして同じ木の使い方でも、自然のままの白木の素肌に心の安らぎを覚 えたのであった。 ヒノキやスギに触れて暮らす生活は、そうした長い伝 統によって生まれたのである。 第四段) ヨーロッパでも最近は、コンクリート住宅よりも煉瓦の住宅に人気が 戻っているという。イギリスでは特にその傾向が強いらしい。やはりそ の風土で生まれ、長い伝統でつちかわれたものに帰って行くのが、一番 自然の流れであろう。(第五段) 私たちは木を使っている間に、そうした日本人らしい考え方が身につ いて来たのか、もともと日本人がそういう民族だったために木を好むよ うになったのか、それは私にはわからない。だがいずれにしても互いに 影響し合いながら、独特の「木の文化」をつくりあげてきたことは事実 であろう。(第六段) 「家は気候風土と長い生活の積み重ねのなかから生まれてきた文化の産 物だから、土地と切り離して考えたのでは意味がない。ということは、 ヨーロッパの家がどんなに立派でも、日本という風土のなかにそのまま 移したのでは合わないし、 和風の家がいかに美しくても、ヨーロッパに 建てたのでは、住みにくいということである。日本は雨が多いから、家 は屋根の大きいのが特徴で、すっぽりと笠をかむったような形をしてい る。仏教伝来とともに歴史の始まった日本は、何事も中国の真似をした が、土間で履き物のまま暮らす生活だけは取り入れなかった。地面から 一段高いところに板を張り、そこで生活するようになった。 そしてこの 板の間を四方に延ばして縁にした。縁とは家の「へり」の意味だが、そ こには雨がかかるから、緑先に立てた柱を支えにして軒をかけ、さらに で、そのまわりをぐるりと縁側でとり巻いたものであった。 部屋の中で の立ち居ふるまいは全く自由で、どこにすわろうとねそべろうと勝手次 第である。(第十段) 部屋ごとのプライバシーなどは全くないが、そういう住まい方が出来 たのは、住む人同士の間にあるルールが存在していたからである。それ から日本独特の礼法が生まれ、茶道や華道を芽生えさせる原因になった。 部屋には定員がないが 「ご順にお詰めを願います」という無言のルール で、混乱はおきなかった 融通無碍に対応する柔らかい住まい方が、お のずから身についていたのである(第十一段) ゆうずうむげ 一方西洋の家は、周囲を厚い煉瓦の壁で囲んで、その内側に部屋を並 べ、中心部に動的な廊下やホールをおいた。 内から外に向かって、動か 静へという遠心的な配置になっていて、日本の住宅とは正反対のぼか 7 し模様である。 第十二段) 厚い煉瓦壁の家は何百年でももつから、彼らはこれを「不動産」と呼 んだ。日本の家は木造だから腐るし燃える。全体が消耗品的なつくりで、 耐久性では比較にならないほど短い。だが西洋からの翻訳でこれを同 じように不動産と呼び、 何の疑問も持たなかったところがいかにも日本 的である。(第十三段)里さ 彼らの暮らし方は、椅子、テーブル、ベッド、ソファというように、 さまざまな道具を使う。日本式のノーファニチャとは対照的である。要 所要所に道具をおいて部屋の用途を限定すれば、生活は快適なはずだが、 好きなところへ自分の居場所を移すには、家具を移動させねばならず、 ときにはそれが足手まといになることもある。(第十四段) 模擬トレTK国 トレTK 国語1回 9 解決済み 回答数: 1
化学 高校生 8ヶ月前 この問題で答えが2枚目なのですが3枚目のでも合ってますか 問題6・4 タンパク質中に存在するアミノ酸のアラニンはキラル分子である。慣例に従い くさび形線、実線および破線を用いて,アラニンの二つの鏡像異性体を書け JCA FRAT . NH2 CH3CHCO2H アラニン 解決済み 回答数: 1
歴史 中学生 8ヶ月前 (3) 答え 東日本の御家人を新たな地頭に任命して支配を広げた どういうことですか?答えの意味がよく分からないので教えてください🙇♀️ 桃山 江戸 明治 大 ⑤ 正昭 和平成 ⑧ |土山 安桃 時代 古墳 あすか 奈良平安鎌倉 室町 飛鳥 東日本大震災がおこる ポツダム宣言を受け入れる 日露戦争がおこる 第一次世界大戦に参戦する 大塩平八郎が反乱をおこす 太閤検地が行われる 下剋上の風潮が広がる ③承久の乱がおこる ”国風文化がさかえる 天平文化がさかえる 大化の改新が始まる 古墳がさかんにつくられる 日本のできごと (1) 傍線部 ①に関するa, b の問いに答えなさい。 a 図1は,このころにつくられた古墳の形を表している。 図1にみられ る形の古墳は何とよばれるか。 その名称を書きなさい。 図 b 図1の形をした古墳の中で,日本で最も大きな古墳は何とよばれるか。 次のア~エの中から1つ選び、記号で答えなさい。 1 上から見た模式図 ア 稲荷山古墳 ウ 江田船山古墳 イ大仙古墳 エ五色塚古墳 (2) 傍線部②に関するa ~cの問いに答えなさい。 横から見た模式図 a 傍線部②の文化が生まれた背景の1つに、遣唐使の派遣の停止がある。遣唐使の派遣が停止さ れた理由を簡単に書きなさい。 b このころ,紀貫之らによって編集された歌集は何とよばれるか。その名称を書きなさい。 C 10 世紀中期に, 海賊を率いて瀬戸内地方で反乱をおこしたのはだれか。 その人物名を書きなさい。 (3) 傍線部③に関するa,bの問いに答えなさい。 傍線部 ③がおこったときの執権はだれか。次のア~エの中から1つ選び, 記号で答えなさい。 ア 北条政子 イ北条時宗 ウ 北条泰時 エ 北条義時 傍線部 ③の後、鎌倉幕府の支配は西日本に広がった。 表1は、承久の乱の後に現在の広島県の各地で新たに地 頭に任命された一族とその出身地を表している。 鎌倉幕 府はどのようにして西日本に支配を広げたか, 表1に着 目して,簡単に書きなさい。 ただし, 東日本という語を用 いること。 表 1 一族 香川氏 小早川氏 熊谷氏 金子氏 出身地 (現在の都県名) 相模国 (神奈川県) 相模国 (神奈川県) 武蔵国 (埼玉県など) 武蔵国 (埼玉県など) 注 広島県史ほかにより作成。 解決済み 回答数: 1